青山霊園は桜の季節です。
向こうに見えるのは六本木ヒルズ。
今日は「軍神」広瀬中佐の命日だったりします。
旅順は寒かったでしょうが、お墓は桜の中です。
すんません、航海記更新さぼってます。
さて、今日はなぜこんな所に来たかというと、花見も兼ねて巡洋艦『畝傍』回航員の名前を調べに来たのでした。
防衛研究所の戦史資料にもなくて、どうしたもんかと思ってたんですが、そこでふと思い出したのがこの青山霊園に慰霊碑と墓があったこと。ここをチェックすればいいじゃーん、ととことこやってきたのでありました。
が。
墓、立ち入り禁止。
『畝傍』が遭難したのが1886年。つまり墓も慰霊碑も建てられてから120年ほど立っている訳で、倒壊の危険があるんですな。現に3メートルはあろうかという回航員たちの墓石は、倒れないようロープでそこらの木に結んである始末。で、10メートル四方ほどのその一角も、丸ごとトラロープで封鎖してありました。
遺族というか、子孫が墓参りする時どーするんだ、とか、そもそも子孫ももう覚えてないのかもしれない、とかそんなことを考えてちょっと淋しくなりながらも、ここまでわざわざやって来てそのまま帰るのはどうも納得がいきません。
で、自己責任でくぐりましたよトラロープ。
以下が墓の倒壊と管理人さんに見つかって怒られることにおびえながらも、決死の覚悟で突入してメモしてきた『畝傍』日本人回航員8名の名前です。防衛研究所にもないらしいので、ちょっぴり貴重な資料かも。
……いや、だからどうだという訳でもないんですが。
『畝傍』回航員(8名)
大尉 飯牟礼 俊住
大機関士 大友 彦六
機関師 佐藤 専一郎
機関手 古内 松次郎
船匠 網谷 幸吉
士官候補生 杉 成吉(? 良く読み取れず)
上等兵曹 市村 松甫之
一等兵曹 新庄 憲雄