8月15日

 まあ年にいちどのことだし。たまにはこんな話でも。
 決して鳥のネタがないからではありません。

 しかし見てるだけで暑いな、お前は。
 「?」
 それはおいといて。
 人間様には祖父がいる。
 まあ、有性生殖の生物である以上、必ず祖父に該当するものは存在するのだが、人間様の場合少々事情があって、祖父の名前と、死去の直前に何をやっていたかしか知らないのである。とはいえ、特攻隊だったとか、どこかの島で戦死したとか、米潜水艦と死闘の果てに海に沈んだとか、シベリアで捕虜になっていたとか、そんな話では全然ない。
 祖父は、満鉄の承徳線で土木技師をしていた。満鉄の関係者で作る満鉄会の名簿に名前がないので、どこかからの出向か、現地での雇用なのか、軍属か軍人だったのか、はたまた実は満鉄とは全く関係のない仕事をしていたのか、そのあたりは全然分からない(念のために書いておくと、日本人というのは確実である)。昭和18~20年頃、現地で病死し、残った家族は日本に引き揚げたのだが、向こうに墓があるのかどうかも知らない。
 ただ、とりあえず承徳線は中国で現在も利用されてるようで、祖父の手の跡が今もそんな形で残っていると思うと、少々得意である。
 さて、そんな風に曖昧模糊とした祖父だが、やはりその足跡の一端でも知りたい、と数年に渡って調べてみている。
 が、何しろ場所が場所だし、時代が時代である。承徳なんてマイナーな場所の資料は、ほとんどが戦禍のために散逸してしまっている状態らしい。
 というかそもそも、、このあたりの資料がどこで資料が管理されているのか、まずそこから分からない。国土交通省を始め思い当たるいくつかの場所に問い合わせを出してみたのだが、どこでも他の場所にたらい回しされて終わっている。はっきり言って、満鉄会の名簿に名前がないと、調べようがないというのが実情らしい。
 戦後61年が過ぎ、明らかに戦争や、それにまつわる昔のものごとを知っている人は少なくなった。それでも人間様が子供の頃は、ご近所や親戚にそんなじじばばが必ず数人はいて、面白いのか面白くないのか分からん話を聞かされたものだが(ちなみに人間様の書道の先生は、水雷屋の特務大尉だった。だから今こんな風になった訳では決してない)、今では自分の身内についてすら、調べることが難しくなっている。
 結局、祖父には一生手が届かないまま、その痕跡は消えていくのだろう。そういう「歴史」があるということは、それはそれで淋しいものである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)