陽気のせいか、鳥どもがネタになることをやってくれない。
テーブルの上を夢中で駆け回っていたぎっくちゃんが、すべってこけたぐらい。
……いや平和でいいんだけどね、このほうが。
というわけで、軍系ネタでも書くか。
そーいえば、回天で思い出したが、人間様が子供の頃書道を習っていたご近所のおじいちゃんが、海軍の士官だった。
このおじいちゃん、ご近所でも評判の今的に言えば白髪のきれいなイケメン老紳士。足が悪くてステッキをついていたが、背が高くて姿勢がいい上にセンスもなかなかなので、ベレー帽をかぶって散歩をしてる姿なんか遠くからでも目立って、子供心にもこういう人が祖父だったらすてきだと思ったものである。
お稽古の時も優しくて折り目正しく、飽きっぽい人間様にも「半紙1枚書く間だけ集中できればいいから」と言ってくれる。自身の字も癖のない整った「整いすぎて面白みがない」と他の先生から言われるほどきれいな字である。今思えば、多動性ナントカという奴ではないかというほど落ち着きのなかった人間様が、世間並みの根気を持てるようになったのは、きっとこの先生の「半紙1枚分」のおかげではないかと思う。
そんな先生ではあったが、何しろ相手は子供だから海軍の話などそうそうするわけでもなく(人間様も子供の頃から軍人スキーだった訳ではない)、たまーに陛下のお世話をして恩寵の煙草をもらったとかいうネタをぽろりと披露してくれるだけだった。
で、ある時そんな調子でふと口にしたのが、海軍では大尉で、横須賀で「泡が出ない魚雷」の仕事をしていたということ。
先生、それって93式魚雷じゃん!(と当時に思った訳ではない)
……その先生も10年ほど前に亡くなったのだが、4月に防衛研究所へ行った時に、そういえば先生は何をやっていたのかとちょっと調べてみた。
年齢的に、兵学校出はなく特務士官(水兵から叩き上げの士官)だということは分かっていたので、そのへんの士官名簿を引っ張り出してみた。すると、少尉で重巡『鳥海』の掌水雷長(少佐級の水雷長の下で現場に立ち、下士官、兵を掌握する役職)をやった後、中尉で横須賀鎮守府へ転勤、横鎮付でそのまま横須賀工廠に出向になっている。
多分、この時にその「魚雷」の仕事をしていたのだと思うが、なんかこのあたりに海軍工廠で作ってた物といえば、あの『信濃』。その後はいわゆる特殊潜航艇、平たく言うと『海龍』という、回天同様の兵器だったらしい。
……もしかして先生、ものすごく大変な思いをしていたのかもしれない。