市ヶ谷台ツアー

 市ヶ谷の防衛庁(旧陸軍士官学校他)の見学ツアーに行ってきました。
 ……だって、平日しかやってないんだもの。
 ここは江戸時代には尾張藩上屋敷、明治に入ってからは陸軍士官学校、太平洋戦争中は大本営や陸軍省他、戦後は東京裁判の法廷が置かれた場所。現在は一部を除いてピカピカのビルに建て替えられ、防衛庁、噂の防衛施設庁、自衛隊関連施設が一気にどんと入っている。
 見学コースは、唯一復元保存されている旧陸士大講堂(東京裁判の法廷にもなった場所)と、同じ建物の中の旧陸軍大臣室(三島由紀夫が暴れた所)、天皇陛下の控え室、福利厚生棟(食堂とか各種店舗とかスターバックスとか自衛隊グッズ売店とか)、屋外展示の陸自ヘリ(「ひよどり」とかいう名前だった)、慰霊碑や顕彰碑のエリア。
 さすがに現役で日本防衛の最先端を担う場所だけあって、セキュリティがやたら厳しく、見学者は名前はもちろん、身分証明書を提示させられて年齢や住所などが一致しているかチェックされる。さらに中では見学者カードを首にぶらさげるのは当たり前、案内してくれる広報のおねーちゃん以外に、常にふたりの職員が見学者たちの後ろについていて、絶対コースをはずれることができないようにしている。しかも、必ずひとりが広報の華やかな制服に似合わない変に地味な陸自色の手提げを持ち歩いてる(中身を聞いてみたら『私たちの荷物です』とにこやかに答えてくれたが、絶対別の物も入ってると思う)。
 陸軍のことはほとんど知らない、というかあんまり興味がなかったので調べたこともなかったのだが、この旧陸士の建物、明治のころはきれいなレンガ造りだったのが、関東大震災で壊れて現在の鉄筋コンクリート仕様になったらしい。
 ただ、それを差し引いても、どーも陸軍の建物というのは海軍にくらべて微妙にものさびしい雰囲気があるような気がする。

陸士の講堂、外観。

こっちは年末に行った江田島の講堂、外観。

東京裁判の法廷になった陸士の講堂内部。正面は天皇陛下が座った場所。
左は講堂の歴史の上映コーナー。右は関連品の展示コーナー。

やっぱり年末に行った江田島の講堂内部。陸士同様正面に天皇陛下が座る。
写っているのはガイド役の海自の人。広報の腕章をつけていたがれっきとした教官さん。
どうもピンチヒッターだったらしい。
 まあ、すでに過去の遺物となってしまったものと、いまだに現役で伝統を守り続けているものの違いなのかもしれないが。
 あとイメージか。
 おまけ。

 やっぱりあったカレーの日。

南国果実の魅力

 ヒューストンの最近のおやつは、半生タイプのマンゴー。
 どうやら割と気に入っているらしく、あげるとすぐにやってきては片足でつかんで食べている。
 でも、決まって2,3口食べた後にカタン! と床に落としてしまう。
 最初はうっかり落としているのかと思ってかわりのをやったりしていたのだが、何度やっても2,3口食べると落とすので、もう知らんぷりすることにした。
 で、このマンゴー、甘い物が大好きなブロッサム、通称ちびころも目がない。こちらはやればやるだけ見境なく食べ尽くしてしまう。
 実は、穀物食のインコの場合、こういう半生タイプのおやつはそのうの中で腐って病気の原因になたりするので、あまり大量にやるのはよろしくないらしい。なので体格差を考え、ヒューストンに3回やるならばそのうちの1回、ブロッサム、通称ちびころにもおすそわけする程度にしている。
 ところがそれが不満でたまらないブロッサム、通称ちびころ。マンゴーが入っている容器とそれが置いてある場所をいつの間にか覚え、人間様がそれに触った瞬間、金網に張り付いて催促するようになった。
 しょーがないので、ヒューストンにだけやる時には、なるべくブロッサム、通称ちびころに見えない位置からこっそりやることにしたのだが、それでも、容器に触ると彼女は即察知し、金網に張り付いている。
 なぜ分かる?

ハシゴの主張

 ヒューストンは生手に乗らないので、外に出す時はカゴの入り口を開けっ放しにして出入り自由にしている。

 普段はブロッサム、通称ちびころの休憩所になっているが、本来ハシゴはこう使う。
 外に出たくなると、ヒューストンはこのハシゴを伝って出てきて遊んでいる。

 一方、出たくなかったり機嫌が悪かったりする時は、くちばしで向かって右側(この写真では左側)の金具の部分をつまみ、くるりとひっくり返してしまう。
 しかも、ひっくり返す時は、音も立てず、ハシゴも落とさずに一動作でちょこんとやっている。昔、『海軍めしたき物語』で、ご飯の盛りかたが気に入らないと、お箸の先だけできれいに飯碗をひっくり返してしまう古参兵の話を読んですごいと思ったものだが、まさにこんな感じだろうか(違う)。

 でも、ひっくり返した後で結局出たくなったりするので、油断は禁物。
 ……そればっかりは人間様のせいじゃないからな。そんな目で見ても知らんぞ。

連休

 どこも混んでるのでおうちでまったり。
 ヒューストンが最近お気に入りのお昼寝ポーズ。
 どうもこの鳥は夜中にいつまでも起きてガサゴソやっているようで(時々オモチャがカチャン、という音にびっくりして目が覚める)、しょっちゅうこうやって昼寝をしている。

 カラーのせいでくちばしを背中に埋めるおやすみ姿勢がとれないヒューストンは、この姿勢でオモチャによりかかるのが楽でいいらしい。
(ここでブロッサム、通称ちびころが掻いてちょうだいとやってくる)

 うっとり。
 ……何書こうとしたかすっかり忘れたじゃないか。

熱い視線

 首を精一杯のばしてバリケード(時計を流用)の向こうに憧れの視線を送るブロッサム、通称ちびころ。
 絶対行かせてやらないよん。

 行きたい……。

 すごく行きたい……。

 気がつくと、その後ろでヒューストンが一生懸命カメラ目線をしていた。
 だから黙ってやってても分からないんだって。

マンセー橋

 と書くとなんかやばげな国の話のようだが、漢字では「万世橋」。
 旧万世橋駅跡にある交通博物館が来月で閉館、埼玉に移転するというので、行ってきましたよ。
 正確には、閉館メモリアルイベントの「万世橋駅遺構見学会」が目当てだったんですが。

 明治時代の新橋駅(模型)。
 手前の建物も全部駅の施設。やたら広かったらしい。

 明治時代の万世橋駅(模型)。
 手前のおっさんふたりの銅像が、広瀬中佐と杉野兵曹。多分実物は10メートルぐらいある。
 東京駅もかくやのオシャレ駅だが、実際、大正3年に東京駅ができるまでは、国鉄きっての豪華ターミナル駅だったそうな。
 ちなみにこの建物は関東大震災で焼失。その後再建されるにはされたが、やたらショボくなってしまったらしい。
 でも銅像は戦後誰かに撤去されるまでここに立っていた。

 そして、今の万世橋駅跡。
 ホームに出る階段。高架下を通って改札につながっていた。
 右手の木の柱のすぐ向こう側に開口部があるが、目の高さぐらいの所がレンガで作られた高架のアーチの天井になっている。

 おまけ。
 日本で初めて飛んだ飛行機(多分複製)。こんなのまであった。
 飛ばしたのは日野熊蔵陸軍大尉と徳川好敏陸軍大尉。
 そういえば、実は日野大尉が引っ張り出されたのは、徳川大尉がその名のとおり清水徳川家嫡男だったので、墜落でもしたら大変だとまわりが心配したからだとかいう話を聞いたことがあるな。
 万世橋見学は1回20名の完全予約制なので悠々だったが、館内が家族連れでえらい混みよう。折角来たのだからと根性で全部見たが、最後は結構ふらふらだった。
 買いたいと思った旧万世橋の絵葉書は売り切れで、どうしたら入手できるかと聞いたら再入荷後お取り置きはできますので、また来てくださいとか言われるし。
 それにしても、博物館が閉まったあと、万世橋駅はどうなるのだろうか。
 昔、知人が、日本は江戸時代とか平安時代とかのものは熱心に残したがるくせに、近代以降のものには見向きもしないと怒っていたことがあったが、これもどさくさにまぎれて解体、埋められでもするのかな。

ひとやすみ、ひとやすみ


 遊び疲れてお気に入りのハシゴ(なぜかこの状態が好き)の上でひとやすみのブロッサム、通称ちびころ。

 でもそこはヒューストンのカゴの真ん前。
 しかもこのハシゴ、実はヒューストンのものだったりするので、気になって気になってうろうろしっぱなしのヒューストン。
 ところで、人間様から見るといまいち良く分からないのが、この2羽の関係。
 ヒューストンが子供の頃は、ブロッサム、通称ちびころがものすごい勢いでヒューストンにケンカを売りに行ったり、ヒューストンがブロッサム、通称ちびころをオモチャと思って囓ろうとしたりしていたのだが、現在はどうやら、お互いに慎重に無視しあっているとでもいったところらしい。
 ちなみに、ぎっくちゃんはヒューストンがひそかに恐いらしく、ヒューストンの姿を見ると慌てて遠くへ移動している。

ふたりでみずあび

 ブロッサム、通称ちびころに霧吹きをしていたら、自分も水浴びがしたいのかぎっくちゃんがうらやましそうに眺めていた。
 ついでにかけてやったら大喜び。

 ……半分だけが乾いてるのはなぜ……。

 こちらは何の芸もなく、しょんぼりと乾くのを待つブロッサム、通称ちびころ。

なにかがいる

 お互いに視界の外にいるらしいことを意識しているブロッサム、通称ちびころとぎっくちゃん。
 もっとも、ぎっくちゃんのほうは頭上でブロッサム、通称ちびころのしっぽがぴょこぴょこ動くのが恐いらしい。

 本当に仲悪いんだな、お前たちは。