実録知りたい病気

 動画第3弾。
 すき間とカメラの両方が気になって、段々どうしたらいいか分からなくなってくるブロッサム、通称ちびころ。
 横着して寝転がりながら撮ったんで、フレームが若干変です。

 写真をクリックすると動画が始まります。
 wmvファイル、29秒(3.59MB)
 実は撮影始めようとしたら、カメラにものすごい勢いで体当たりされたのは秘密。

さかなのこども

 さて、日曜日に設置したマジックフィッシュだが、どうやら4匹ほど孵化した模様。
 容器が安物で中が歪んで見えにくいので分かりにづらいのだが、5ミリぐらいの白っぽいのが2匹と黒っぽいのが2匹、泳いでいるのを確認できる。
 うーむ、こんなんで大きくなるのか……なんか騙されてる気分。
 でもHOLOHOLOも、どうせすぐ死ぬと思って騙されたつもりで買ったら、1匹だけとはいえもう4年元気満々で生きてるからなあ。縁日のウズラのヒヨコは3日の命だったけど。
 とりあえず、生命は良く分からん。
 

羽の下

 羽づくろい中。

 インコに限らず、鳥の翼の下はなんだかのっぺりして妙な印象なのだが、ぎっくちゃんの場合、ウロコ模様がさらにプラスされて、なんだか気持ちが悪い。

「すっきり」
 すっきりはいいが、下に散ってるフケを掃除するのは人間様なんだからな。

さかなのたまご

 東急ハンズでこんなものを売っていた。

 商品名『マジックフィッシュ』
 まーいわゆる豊年エビとかカブトエビだとかの孵化セットの熱帯魚版だと思えばいい。
 後ろには警戒心満々のヒューストン。

 中身。これ以外に説明書がある。
 右の袋にピートモス(分解しかけた植物繊維)と孵化直前の卵生メダカの卵が入っている。
 左は孵化した稚魚の餌になるブラインシュリンプの卵。こっちも孵化させないと使えない。

 ピートモスと水を容器に入れて準備完了。数時間から1日で孵るらしい。
 ついでに右で餌用ブラインシュリンプの孵化も開始。わくわく。

 ……まだ警戒してたのか。

停電のひととき

 雷で停電。
 いきなり真っ暗闇になった室内に、それまでご機嫌でごじょごじょ言っていたヒューストンも、例によって広告をシュレッドしていたブロッサム、通称ちびころも一瞬にして沈黙。
 そんな中でぎっくちゃんの声だけが、何事もないかのように暗闇でぴよぴよ聞こえてくる。
 マイペースもここまでくると、いっそあっぱれかもしれない。
 さて、その後ブロッサム、通称ちびころは、出してやっても大好物のヒマワリの種には見向きもせず、人間様のまわりにまとわりついている。
 鳥は鳥なりに、こういう時は不安になるらしい。
 でも人間様は、有線だと雷だし危ないなーと戯れに無線LANネットワークを探してみたら(もちろん契約などしていない)、いきなりどこか見知らぬYahoo!BBを探し当ててつながっちゃってるほうが不安なのだが。
 ……これ、このまま使っちゃってていいんだろーか?

呪いの踊り

 また何かに憑かれたらしく、突然飛び跳ねながら「ケロケケピヨロ、ピヨケケロケロ」と変な声でわめきだしたぎっくちゃん。
 ひとしきり大騒ぎした後、固まることしばし……。

 …………。

 …………おーい。

 下のカゴのブロッサム、通称ちびころもびっくり……はしてない模様。
 「?」
 隣の水槽で魚がひらひらするのがいきなり恐くなったかと思ったが、どうやら違ったらしい。
 多分、呪いの踊りでも踊っていたのだろう。

8月15日

 まあ年にいちどのことだし。たまにはこんな話でも。
 決して鳥のネタがないからではありません。

 しかし見てるだけで暑いな、お前は。
 「?」
 それはおいといて。
 人間様には祖父がいる。
 まあ、有性生殖の生物である以上、必ず祖父に該当するものは存在するのだが、人間様の場合少々事情があって、祖父の名前と、死去の直前に何をやっていたかしか知らないのである。とはいえ、特攻隊だったとか、どこかの島で戦死したとか、米潜水艦と死闘の果てに海に沈んだとか、シベリアで捕虜になっていたとか、そんな話では全然ない。
 祖父は、満鉄の承徳線で土木技師をしていた。満鉄の関係者で作る満鉄会の名簿に名前がないので、どこかからの出向か、現地での雇用なのか、軍属か軍人だったのか、はたまた実は満鉄とは全く関係のない仕事をしていたのか、そのあたりは全然分からない(念のために書いておくと、日本人というのは確実である)。昭和18~20年頃、現地で病死し、残った家族は日本に引き揚げたのだが、向こうに墓があるのかどうかも知らない。
 ただ、とりあえず承徳線は中国で現在も利用されてるようで、祖父の手の跡が今もそんな形で残っていると思うと、少々得意である。
 さて、そんな風に曖昧模糊とした祖父だが、やはりその足跡の一端でも知りたい、と数年に渡って調べてみている。
 が、何しろ場所が場所だし、時代が時代である。承徳なんてマイナーな場所の資料は、ほとんどが戦禍のために散逸してしまっている状態らしい。
 というかそもそも、、このあたりの資料がどこで資料が管理されているのか、まずそこから分からない。国土交通省を始め思い当たるいくつかの場所に問い合わせを出してみたのだが、どこでも他の場所にたらい回しされて終わっている。はっきり言って、満鉄会の名簿に名前がないと、調べようがないというのが実情らしい。
 戦後61年が過ぎ、明らかに戦争や、それにまつわる昔のものごとを知っている人は少なくなった。それでも人間様が子供の頃は、ご近所や親戚にそんなじじばばが必ず数人はいて、面白いのか面白くないのか分からん話を聞かされたものだが(ちなみに人間様の書道の先生は、水雷屋の特務大尉だった。だから今こんな風になった訳では決してない)、今では自分の身内についてすら、調べることが難しくなっている。
 結局、祖父には一生手が届かないまま、その痕跡は消えていくのだろう。そういう「歴史」があるということは、それはそれで淋しいものである。