昨日のNHKで、ペットに惜しみなくお金をかける人々と、それを狙ったペット産業の話をやっておりましたが。
ぶっちゃけた話、「自分がうれしいのだから犬もうれしいだろう」という典型的な勘違いと、それを是正するより煽ったほうが儲かるので煽りまくるという商法ですな。
ところで最近、ペットのことを「コンパニオンアニマル」とか「コンパニオンバード」とか言い換える向きがあるらしい。
要するに、ペットという“見下した存在”ではなく、自分たちと同等のパートナー、家族の一員として動物を扱おうということらしいが、それこそ人間のエゴだと思えるのは、気のせいだろうか。
しょせん人間は人間、動物は動物なのだから、そのラインを守ってつきあうのがお互いのためであり、それを踏み越えることは、本来の有り様を無視して人間扱いされる動物と、動物を人間と同等の存在だと思いこむ飼い主、双方にとって不幸だと思う。
まあ、我が家はすでに人間様がインコどものしもべなので、どう言葉を飾って言い換えても無駄ってだけなんですが。
毛が1本
あなたとお茶を
動物病院雑景
動物病院にはいろいろな動物、いろいろな飼い主がやってくる。
大抵は動物が変わっているか、飼い主が変かどっちかなのだが、両方備えたものに遭遇することもたまにある。
家族総出で白いアヒルを連れてきた一家。
先に来た父親が受付に「あのー、診察券忘れたんですけど」などとやっている間に、母親がアヒルを抱えて待合室に入ってきた。
普通、鳥を病院に連れてくる時は、キャリーやケース、それがなければ段ボールなどに皆入れてくる。鳥と人間、お互いの安全とマナーのためであり、よっぽど大型犬とかでない限り、他の動物でもそれは同じだと思う。
だがこの母親の場合、アヒル本体をそのまま抱えてやってきたのである。茶髪系のまあいわゆる今風母親が、白いアヒルをがっしりと持っているその勇姿に、待合室中の目が思わず集まる。母親は知らん顔して小学校低学年ぐらいの息子に何やら指示すると、息子は待合室の隅に新聞紙を敷きはじめた。
そして、敷いた新聞紙の上におもむろにアヒルをおろす母親。解放されてすっきりしたのか、ご機嫌でお尻ふりふり羽づくろいを始めるアヒル。それを暖かく見守る一家。
待合い室内はもう全員目が点。
その様子に何やら得意げに母親に囁く息子。
ちなみに、待合室には「トラブルや感染の可能性もあるので、待合い室内で動物をケースから出さないでください」という貼り紙があるのだが……まあ、そもそもケースに入れてきてないんだからしょーがないか。
しばし後、診察の順番が回ってくると、母親はまたおもむろにアヒルを抱え、診察室にGO。新聞紙を持った息子が後に続く。
しばらくたって終わったらしく出てきたが、母親の顔を見るとなんだかべそをかいている。
こりゃーアヒルが余命宣告でも出されたかと思って見てみたが、腕の中のアヒルは普通。
ということは、先生に怒られでもしたのかな。
無理もないけど。
南国果実の魅力
ヒューストンの最近のおやつは、半生タイプのマンゴー。
どうやら割と気に入っているらしく、あげるとすぐにやってきては片足でつかんで食べている。
でも、決まって2,3口食べた後にカタン! と床に落としてしまう。
最初はうっかり落としているのかと思ってかわりのをやったりしていたのだが、何度やっても2,3口食べると落とすので、もう知らんぷりすることにした。
で、このマンゴー、甘い物が大好きなブロッサム、通称ちびころも目がない。こちらはやればやるだけ見境なく食べ尽くしてしまう。
実は、穀物食のインコの場合、こういう半生タイプのおやつはそのうの中で腐って病気の原因になたりするので、あまり大量にやるのはよろしくないらしい。なので体格差を考え、ヒューストンに3回やるならばそのうちの1回、ブロッサム、通称ちびころにもおすそわけする程度にしている。
ところがそれが不満でたまらないブロッサム、通称ちびころ。マンゴーが入っている容器とそれが置いてある場所をいつの間にか覚え、人間様がそれに触った瞬間、金網に張り付いて催促するようになった。
しょーがないので、ヒューストンにだけやる時には、なるべくブロッサム、通称ちびころに見えない位置からこっそりやることにしたのだが、それでも、容器に触ると彼女は即察知し、金網に張り付いている。
なぜ分かる?