夢見る娘 クロニクル・ティアーズ・プライベートテイル |
この娘を最初に見た巡回典礼官は、また儀仗精がいたずらをしたかと思ったそうだ……そんな逸話が公然と語られる程、魔王女ヴァレリアは貧相な少女だった。 顔立ちそのものは悪くない……いや、よくよく見れば並居る王族たちの中でも一、二を争うほどの美貌である。だが、いかにも病弱そうな青白い顔色、やせっぽちで眼ばかり大きな容貌、かてて加えて鼻のあたりを中心に散らばったそばかすが、彼女が持って生まれた美を消し去っていた。姿にしても、肉付きが薄くて弱々しいくせに背ばかりひょろりと高く、ついつっかい棒をして支えたくなるような印象がある。 彼女はもともと、地方領主アスターク伯爵家の娘オリガが産んだ私生児だった。人一倍体面と血筋を気にするアスターク伯は、相手が他ならぬ闇王ナナートであるとは夢にも思わず、ひとり娘がどこの誰とも知れぬ男に孕まされたことを恥じた。そして、生まれた赤ん坊に最低限の養育係と使用人をつけると、健康的な環境で育てるためと称して館から遠く離れた別荘のひとつに追いやったのである。この時彼が赤ん坊を殺す、あるいは捨てさせるという選択をしなかったのは、単にそれが風聞となって彼を傷つけるのを恐れたからに過ぎない。 こうしてヴァレリアは、家族の顔も知らずに育った。勉強好きでまず賢いと言っても良かったが、どうにも虚弱でしょっちゅう病気をしており、1年の半分以上をベッドで過ごすことも珍しくなかった。当然、外出もままならず、友人を作ることもできない。 そんな彼女にとって幸いだったのは、つけられた養育係や使用人、また周囲の人々がその境遇に同情し、親身になって面倒を見たこと、祖父が金だけはふんだんに与えてきたので、物質的に全く不自由のない生活を送れたことであろう。この淋しい娘が身体だけでなく心まで病んでしまうことをまぬがれたのは、このふたつのおかげだったと言っても良い。 そんな風にして、14年間はゆるやかに過ぎていった。 突然訪れた典礼官に魔王女であると告げられた時、ヴァレリアは驚くよりも困ったような顔をしたという。珍しく体調が良かった彼女は、求めに応じて自ら応対に出たが、話が進むにつれその表情はうかないものになっていった。 「あの……」 やがて、細い声でそれだけ言って、彼女はしばらく沈黙した。なにか言いづらいことでもあるかのようにもじもじしている。典礼官がうながすと、ヴァレリアはようやく口を開いた。 「あの、とてもぶしつけなお願いですけど……できれば見逃していただけないでしょうか」 典礼官は面食らった。 「それはできません。陛下のお子は、それまでの身分に関わらず全て王宮に入っていただくのが決まりです」 「そうなんですか、やっぱり……」 「……なにか気になることでもおありですか?」 小さくため息をつくヴァレリアに、元来優しい性格の持ち主であったこの典礼官は、穏やかに問い返す。 「新しい魔王子や魔王女のかたがたが、王宮で不自由をされることないよう取りはからうのも我々の仕事です。ご懸念がおありでしたら遠慮なくおっしゃってください」 「…………」 ヴァレリアはまた沈黙した。ややあって、ひとことひとこと言葉を選ぶように答え始める。 「私などが王女になっても、なにもできないと思うので……」 「?」 「私は見ての通り病弱です。こんな私が王族の義務を果たして国や人々のために働くなどできないでしょう。それに……」 「それに?」 「私のようなみっともない娘が王宮にいても、誰も喜ばないと思いますよ」 彼女のそばかすだらけの顔は大真面目だった。失礼と思いつつ、典礼官は吹き出しそうになるのを必死でこらえた。確かに、麗人という奇職を生み出したほど“美”に価値を置く王宮では、貧相な彼女の姿は良く思われないだろう。 だが、この典礼官は、ヴァレリアが「王族の義務」と言ったことを面白いと思った。 自分が魔王子、魔王女であると分かった時の少年少女たちの反応は様々である。が、大体は特権階級の一員として優雅に暮らせることに有頂天になるか、王宮という檻に一生入れられることを予測して嫌悪を示すかのどちらかだった。こんな風に、この段階で自分が果たすべき役割について意識し口に出せる者はまれといっていい。この虚弱な、恐らく世間との関わりもほとんどなかったであろう娘がどういう経緯でそんな考えを抱くようになったのか、この典礼官は興味を持ったのである。 「ヴァレリア様がみっともなく見えるとしたら、ご健康がすぐれないせいでしょう」 だが、口に出したのは別のことだった。 「王宮ならば今より良い医師や薬にかかることができます。気候もここよりよろしいですから、きっと身体も良くおなりになるでしょう。そうなれば自然、美しくもなりますし、これまでできなかったこともおできになると思いますよ」 例えば、国や人々のために働くとか。そう言うと、ヴァレリアは大きな青い眼をみはる。 「本当に?」 「ええ、ヴァレリア様の努力次第で」 典礼官が大きくうなずくと、彼女は考え込んだ。その沈黙はずいぶんと長かったが、典礼官は口をはさむようなことはせず、ただ待っていた。 この魔王女がどういう結論を出すか、すでに分かっていたからである。 そしてこの日から、ヴァレリアの魔王女としての人生が始まったのだった。 ![]()
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