望郷 ![]()
永沢壱朗さん(PC:リーアム・ロウ)のサイトでキリ番を踏んだ際、
「思えば遠くに来たものだ――か」 チャーリー・ブラウンは、窓の外をながめながらぼんやりとつぶやいた。 時は十月。 彼が生まれ育った故国は、そろそろ雪に閉ざされているだろう。 目をつぶれば、灰色の雲がたれこめたじっとりと重い空と、石造りの都を純白に染め上げる雪が音もなく降り積もっていく様を思い出すことができる。だが、しばらく前まで、かじかむばかりに鮮明に思い出せた雪景色は、いまや虚ろで霧のようにとらえどころのない像しか結ばなかった。 彼がいまいる場所にとって、雪はあまりにそぐわない存在だった。 立っているだけで、汗の珠をにじませる灼熱の太陽。空はどこまでも青く、風が吹くたびに舞い上がった砂が、空気の底を黄色がかった白にけぶらせる。氷や雪など、異能者の魔法でしか見ることができない熱帯の砂塵は、肌に当たるたびやけどに似た痛みを残す。 アスター帝国はそういう土地にあった。 エンブリア大陸で最初につくられたエストーラ共和国を蹂躙し、暴威のかぎりをつくしたクラウザー家の討伐に功をなしたことで独立国家を築き上げた、アスター・ディスヴァンディルを皇帝に戴く新興国家である。尚武の気風はあまねく市民に伝わり、国全体に『誇りある力』を是とする男くさい空気が漂っている。ファロスが老練な騎士であり、エストーラが壮年の豪商であるならば、まさにアスターはその頂上に戴く皇帝のごとく精悍な戦士の国といえるだろう。 この国では、武人の社会的地位が極めて高い。 また、高くならざるをえない事情もあった。 どこからともなく軍を率いて現れた魔族、ディザスタ・ザ・スローターロードの攻撃である。鎧袖一触の勢いでヴァインを陥落させ、首都へと進撃を続ける魔軍に対し、アスター皇帝は全土に抗戦の命令を発した。いま、彼は帝国の誇る武人たちをひきつれ、魔軍を迎え撃つべく親征の途についていた。 だが、それでアスターの首都であるセイロンから兵士の姿が消えるかといえば、決してそんなことはない。 後方の市民を守るべく残された部隊は多いし、王宮付近に建てられた練兵場には、この国難を救おうと自ら志願した兵の卵たちが日夜訓練にいそしんでいる。 彼らの訓練は、可能なかぎり厳しいスケジュールで実行される。 士気の高い志願兵が、兵隊としての能力も高いかといえばそんなことはなく、訓練を重ねない兵隊は決して優秀な兵士になれない。そして、優秀でない兵士は、時として軍全体を危険にさらす。したがって、どんな前線が切実に兵隊を欲していても、一人前になるまでは前線に出さないのが、練兵場に勤める教官の義務である。また、どうやっても一人前になりえない兵隊を、はじきだすのも義務のひとつであった。 チャーリーは、教官のひとりだ。 どこかすらっとぼけた、茫洋とした風貌の中年男性だが、腕はめっぽう確かで二振りの剣を縦横無尽にあやつる。だが、個人的に武勇以上に他人を教導する技術に長けている彼は、あえて前線に出ず、より多くの優秀な兵士を生み出すべくセイロンに残ったのだった。 彼は、窓から目を離さず、しきりに長い耳をいじっていた。 人を待っている。 新兵のひとりから話があると言われたため、訓練の終了後も居残っているのだ。 「……失礼します」 遠慮がちなノックの音ともに、ひょろりとした少年が入ってきた。 病的なまでに痩せているが、目だけは生気をたたえてきらきらと光っている。右腕を三角巾でつっているのは、訓練で木刀に打たれた際に骨折したためだ。 「ああ、来たね」 チャーリーは窓から目をそらして少年のほうに振り向いた。口元はへの字にゆがみ、眉間には深い縦ジワが刻まれている。 珍しく不機嫌さを露わにしたチャーリーをみて、少年は身体を固くした。 「ここを出て行きたい、ということだったが」 「はい」 少年はチャーリーの言葉にうなずき、堰を切ったように話しだした。 自分が兵士になるにはひ弱すぎること。前線に出れば、かえって皇帝たちに迷惑がかかる可能性が大であること。ひ弱なのは子供のころからの体質で改善の見込みがまったくないこと。周囲の志願兵たちがたやすくこなすことを、彼だけができない。自分が兵隊として役立たずであることが骨身にしみてわかった以上、練兵場にいても教官や仲間に迷惑をかけるだけなので辞めたい。 そんなことを少年は言った。 「自分から辞めるのは逃げ出すみたいで悔しいんですが、もう決めました」 「そうか」 チャーリーはふたたび窓の外に目を向けた。 その顔は哀しげで、どちらが『不適格』の烙印をおされたのか、ぱっと見には区別がつかない。 事実、チャーリーは自分の教官としての適性に疑問を感じていた。できれば、一人の脱落者とて出したくはなかったのだが、自分の面子を守るために少年をとどめようとする愚かさを無視するには、彼はあまりにまっとうな人格の持ち主であった。 「わたしの不徳だ。すまなかった」 「あ、いえ……」 チャーリーに深々と頭を下げられ、動転した少年が目をしばたかせる。 「教官のせいじゃありません。俺が分不相応なことを考えたのがいけないんです」 「すまなかった」 チャーリーは憮然とした顔で繰り返した。 他の言葉を発した途端、何かつまらないことを口走ってしまいそうな感じがする。 少年のほうも、何を言ったものか迷ったらしい。しばらく、ふたりしてだまっていたが、彼はひと言「お世話になりました」といって部屋を出て行った。 「さて。見送るしかない立場というのも、なんとも居心地の悪いものだな」 ひとり残されたチャーリーの唇が小さく動く。 「あいつには悪いことをした」 寂しげな微笑みを浮かべ、目をつぶった彼のまぶたに、故国の雪景色が浮かび上がってきた。 * * * その日は吹雪であった。 冬のカスケードではめずらしくもない雪も、ここまで激しく吹き荒れるのは滅多に無いことだ。 降雪、という単語はまったく正しくない。雪片は風に流されて地面と並行に飛び回り、ひとたび着地したところであらためて吹き上げられ、幾度でも宙を舞った。 その雪の量たるや、正午だというのに日没後のように暗くするほどだ。 おまけに、どれもが固く凍りつき、雪というより無数に砕いたカミソリの破片のようになっている。 肌を露出させようものなら、流血は避けられない。 いや、その前に凍りついて血も流れないかもしれない。 それほどの吹雪だった。 さすがに、こんな日に外出しようなどと考える物好きは、いくら厳寒に慣れたカスケードの民といえどもほとんどいない。 ほとんどというのは、石造りの壮大な門をたたく吹雪の中に、ふたりの男がたたずんでいるためである。 ひとりは馬に乗ったチャーリー、もうひとりは亜麻色の髪をした優男の青年だ。ふたりとも豪奢な防寒マントで身体をすっぽり覆っている。 激しい風がマントをちぎらんばかりにはためかせ、身体の芯まで染みとおってくる冷気の中、ふたりは無言で立っていた。 聞こえるのは、轟々と巻く風の音と、門からまっすぐのびる街路樹のきしむ音だけだ。 周囲に人影はまったくない。 やがて、チャーリーが口を開いた。 「さて。では行くよ、ライナス。見送りご苦労だった」 「あのですね」 馬首をめぐらせるチャーリーの背に、ライナスとよばれた青年が声をかける。 「ムダだとは思いますが、もう一度だけ言わせてください。なにも貴方が単身で行かなくても……」 「そのことなら何度も話したろう。わたしが単身で行くのが一番いいんだ」 ムッとした表情を浮かべて、チャーリーは器用にくるりと馬首をまわした。鞍つぼから大きく身体を乗り出し、上からライナスをにらみつける。 「わたしが行くことに意味があるのだ。このマー……おほん、チャーリー・ブラウンが、この目でエンブリアの隅々まで見て回るというメリットを考えてみろ」 「そのチャーリー・ブラウンに異国の地で万が一のことがあったら、どれだけのデメリットが発生するか、考えてもみてください」 「おまえは悲観的すぎるよ、ライナス」 「貴方のせいじゃないですか!」 ライナスは憤然と馬のくつわをとった。 「非公式にエンブリアとかいう僻地に出かけていくだけならまだしも、こんな日にお忍びで出るなんて、いったい何を考えているんです?」 「盛大に見送られて国を出たりしたら、どこで身元がバレるかわかったもんじゃないだろう。今後のことを考えれば、こんな日に出発するのが一番安全なんだ」 「そりゃ、人目を避けるっていうのならそうでしょうけどね。途中で確実に遭難しますよ」 チャーリーは笑った。 「別に、このまま一気に首都をでるわけじゃない。途中、適当な宿屋で吹雪のやむのを待つさ」 平然という彼に、ライナスの目が丸くなる。 「え? でも、そんなことしたら連れ戻されるだけじゃ……」 「ライナス。おまえ、わたしがなんでおまえだけに計画を打ち明けたか、まだわかってないのか?」 次の瞬間、ライナスは『あ』と声を上げた。 「貴方、私にその後のフォローを全部やらせる気だったんですか!?」 「頼む」 チャーリーが、うってかわって神妙な態度で頭を下げる。 ライナスはうめき声をあげると、ついにくつわから手を離した。 「わかった、わかりました。先代に見こまれて、貴方の従士になったのがすべての源ってわけですな。やりゃあいいんでしょう。ですが、あくまでも無茶はしないでくださいよ。貴方に万が一のことがあったら、私はすべてばらしますからね。その国と、カスケードの全面戦争になったら、ぜんぶ貴方の責任ですよ」 「気をつけよう」 生真面目にうなずいて、チャーリーは馬の横腹を蹴った。 とことこと歩き出す馬の上で振り向き、なおも憮然としているライナスに手を振る。 チャーリーは、自分の顔に満面の笑みが浮かんでいるのを自覚していた。正直なところをいえば、この寒々とした国からわずらわしい公務もなく出ていけるのが、嬉しくて仕方ないのだ。 「手紙はマメにだすからな!」 朗らかな声でいうチャーリーを無視して、ライナスはくるりと踵を返した。 ドカドカと雪を跳ね上げて歩いていく彼の背中全体から、チャーリーに対する怒りがあふれ出ている。ライナスにしてみれば、結局は押し切られたことが腹立たしくてならないのだろう。 その後姿に思わず苦笑して、チャーリーは馬の脚を早めさせた。 門からまっすぐ伸びる大通りにくっきりと刻まれた足跡は、あっという間にかき消されていった。 それから数ヶ月後、カスケード王国王弟にして騎士団名誉団長たるマーク・チャールズ・ケンドールは、名を変えてエンブリアの大地へと降り立った。 月に一度、エストーラ経由で新大陸に手紙をだしているのだが、彼のほうに手紙が来たことはただの一度もないらしい。 ■キャスティングリスト ●チャーリー・ブラウン(アスター・エリア) 本名マーク・チャールズ・ケンドール。北米の王国カスケードの王弟。王国騎士団の団長をしていたが、役職を「若い者」に譲って暇になったため、調査を兼ねておしのび(というより道楽)でエンブリアへ渡ってきた。 物静かで温厚。どこかとぼけた上品なおじさんエルフ。あまりそう見えないが根っからの武人でもある。 ちなみに、口髭はない。 ●ライナス 錘をしこんだマントを打類・鞭類スキルで使うカスケード騎士団親衛隊長。幼いころからチャーリーの従僕として付き従っているうちに、いつのまにかここまで出世してしまっていた。 純朴な性格で、オルガンやピアノなど鍵盤をたたく古代楽器に非凡な才能を発揮する。 ま、チャーリー・ブラウンの相方ときたらこの名前しかないだろう。 |