Stay With Me ―そばにいて
レジェンド・オブ・アルカディア プライベートリアクション2





 まぶたを通して差し込んでくる日差しに、眠りながらイズムルードは眉をしかめた。寝返りを打って光から逃れようとし……そこでぱっと眼を開ける。
「やだ! もうあんなに陽が!」
 今日は薬草取りに連れていってもらう約束だったのに。子供ができてからなんだか寝坊するようになっちゃって……そう思いながら大慌てで飛び起きた彼女は、そこでふと違和感を感じて動きを止めた。あたりを見回し、首をかしげる。
「……ここはどこ?」
 高い天井、豪華ではないがきちんと整えられた調度、女性らしい気配りの見える小物類……彼女の眼に映ったのは、エルドの森にある自分の家とは似ても似つかないものだった。不安になったイズムルードは姿の見えない夫を呼ぼうとし……寸前で自分がどこにいるか思い出すと口を閉じる。
〈何言ってるのイージャ、ここはペルネじゃない……〉
 ……記憶が戻ってから5日、万事がこんな風だった。なにしろ昨日のことも3年前のことも同じように鮮烈なまま印象が残っているから、ちょっとしたきっかけで混乱してしまう。医師は記憶が整理されるまでの辛抱だというが、この調子では整理される前に神経が参ってしまいそうな気がする。
 イズムルードは小さくため息をつくと頭をふり、ゆっくりと寝台から降りた。椅子に畳んでおいた着替えを取り上げた時、軽いノックの音がする。
「朝食をお持ちしましたよ、イージャさん」
 彼女が返事をすると、ドアが開いて賄いをやっている女性がのぞきこんだ。デーナという名のその中年女性は、イズムルードと眼を合わせるとふっくらした顔に心配そうな表情を浮かべる。
「あらまあ、顔色が悪いじゃありませんか。まだ休んでらしたら?」
 イズムルードは微笑んで首をふった。
「ちょっと夢見が悪くて……でも大丈夫です」
 表向き、イズムルードは過労で休養中ということになっている。思い出した記憶の内容が内容だったこともあり、落ちつくまでは表に出ないほうがいいだろうという“兄"アルフレート・パスウォールの配慮からだった。アルフレートが倒れた後、少しでも穴を埋めるためにと彼女が不慣れな軍務を引き受けていたことは皆知っていたから、身体を壊したというその説明を不自然だと思う者はいなかった。
「そうですか、じゃあ卓に用意をしますから、その間に着替えてしまってくださいな。寝間着で食事はお行儀が悪いですよ」
「はい」
 まるで母親のような……といっても彼女自身は親を知らないが……デーナの言葉を微笑ましく聞きながら、イズムルードは着替えを済ませた。卓に座ると、また今日も彼女の好きな物が並んでいる。以前不審に思って尋ねたところ「アルフレートさんから言われたんですよ」とデーナは答えたものだった。見ず知らずの他人が自分の好物を知りつくしているというのもあまり気持ちが良いものではなかったが、これも彼の気遣いだろうとイズムルードは黙ってそれを受け入れている。
 ……そういえば、あの人はどうしているんだろう。
 記憶が戻ってから、彼とはほとんど顔を合わせていない。どうやら向こうのほうで会うのを避けているフシがある。イズムルードのほうも彼に対してどう接していいのか分からなかったから、それはある種幸いだった。
 だが……。
「あの人?」
 彼女の問いかけに、デーナはけげんな顔をした。イズムルードは口ごもり、しばらく逡巡した挙げ句、ようやく意を決して口にする。
「その……アルフレート……兄さん」
 なるべく何気なく発音したつもりだったが、それでもぎごちなさは隠せない。だがデーナは気付かなかったのか、気にすることではないと思ったのか、簡単にさらりと答える。
「別にいつもと変わりませんよ」
「そう……」
 なんだかほっとしたようながっかりしたような、奇妙な気分になって彼女はうなずいた。そんな彼女の表情をデーナはじっと見ていたが、やがてははあという顔になる。
「構ってもらえなくて寂しいんでしょう? イージャさん」
「えっ?」
 唐突に言われて、イズムルードはたじろいだ。
「隠さなくったっていいですよ、ちゃんと分かりますから。最近アルフレートさんは忙しいし、あなたがたご兄妹はほんとに仲がいいですからねえ。肉親同士が争うことも多いこのご時世だっていうのに、感心なことですよ」
「…………」
 なんと答えていか分からず黙りこむ彼女に、デーナはにこにこしながら腰に手を当て語を続ける。
「でもイージャさん、いくら仲がいいったって一生一緒にいられるわけじゃないんですからね。いつかそれぞれ結婚して、家族を持って、別の人生を行くんですから。いい機会だしそろそろお兄さん離れしなくちゃ駄目ですよ」
「デーナさん、誤解です」
 デーナの言葉は、なぜかイズムルードをどぎまぎさせた。手にしていたフォークを置き、反論しようとしたその瞬間である。
〈……また……?!〉
 なにが引き金になったのか、突然押し寄せてきた記憶にイズムルードは思わず立ち上がった。
「……イージャさん? どうしたんですか?」
『イージャ! 俺と一緒にいるんだ……絶対離れるんじゃないぞ!』
 異形に襲われる村、あの人は背にかばう私を気にしながら……。
『いいか、人生は長いんだ。いつか絶対生きていて良かったと思える時が来る。その時まで一緒にいてやる。だから、死のうなんて考えるな、イージャ!』
 取り上げられるナイフ。痛いくらいに私の肩を抱きしめる手……。
「……イージャさん? イージャさん!」
 錯綜する記憶に耐えられなくなったイズムルードは、両のこめかみをこぶしで押さえた。そのまま崩れるように床に座り込む。
「イージャさん! ……誰か、誰か来て! お医者様を呼んで!」
 かすかにデーナが騒ぐ声がする。それに誘われるように、彼女の口から我知らず救いを求める声が飛び出した。
「……アルフレート……」
〈違う、そんな人は知らない〉
「アルフレート……アルフレート!」
〈あの人の名前はサランドル。サランドル・アシャ。私と一緒にいたいと言ってくれた人。エウリアで知り合った星旗軍の軍団長で……違う、それはサランドルじゃない……誰のこと? 誰のこと?〉
 取り上げられるナイフ。痛いくらいに私の肩を抱きしめる手、名前も顔も分からない優しい人。
 お願い、そばにいて、そばにいて……
 視界が暗くなっていく。その中に誰かの顔が閃いた。金髪に青い眼の、気だてはいいが目つきの悪い騎士の青年。確かその名は……
 思い出す前に意識が途切れた。そのまま、イズムルードはデーナの腕に倒れ込んだ。


「……本当に大変だったんですよ。まるで憑かれたみたいにあなたの名前を呼び続けて」
「俺の?」
 低い話し声に、イズムルードはぼんやりと眼を開けた。すぐそばでデーナが男の人と話している。あの金髪、どこかで見たような気がするのだけど。
「なにが原因なんだ?」
「さあ、分かりませんねえ。普通に話をしてたと思ったら急にですから……あら、眼が覚めたんですか?」
「……あの……?」
 身を起こそうとしたイズムルードをデーナは押さえ、半ば無理矢理寝かしつけた。表情で問う彼女にやれやれと言いたげに肩をすくめる。
「覚えてないんですか? お兄さんを呼びながら倒れたんですよ……だから休んでらしたほうがいいと言ったんです。しばらく寝ていてくださいな。もうすぐお医者様が来ますからね」
「……はい」
 とりあえずは逆らわずに寝台に横になったイズルムードは、視線を感じて男のほうへ顔を向けた。彼女と眼が合うと、男は遠慮がちに呼びかけてくる。
「……イージャ?」
 口にしたのはそれだけだったが、彼の眼には期待の色があった。それを見たイズムルードはいたたまれなくなって顔をそむける。
 ええ、思い出したのよ、あなたのこと。そう言えたらどんなにいいだろう。
「……ごめんなさい」
 少しの間があった。そして優しい声。
「……いいさ、ゆっくり休んでろ……デーナ、イージャを頼む」
「はい、承知しました」
 気配で彼が離れていくのが分かる。追いかけたい衝動をこらえながら、彼女は窓越しに空を眺めた。青い空は、彼女が今しがた見つめた瞳と同じ色だった。ふと、自分が記した3年間の記録を思い出す。
 あなたと一緒にいたい。
 そこだけ特別丁寧に書かれた文字。その文字に自分自身はどんな想いをこめたのか。
 だが、今の自分にはそれを言う資格はない……。
 ……泣きたい気分で、イズムルードは眼を閉じた。




 記憶が戻った次の回のアクションに同封したものです。書いた本人も恥ずかしい我田引水っぷりです。
 まあ、世の中にはやったもん勝ちという言葉もありますから……。





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