……タナトス・コマンド中隊、通称タナトス戦闘団に実は女性隊員がいたことは知られていない。終戦時にカリスト軍部がタナトス戦闘団に関する資料を破棄してしまったこと、彼女が実戦にはほとんど参加しなかったこと、などが原因である。しかし、この一種独特の気風を持った中隊の中にあって、当時彼女の存在はあらゆる意味で異彩を放っていたことは確かなのである。 1 カロライン・佐山中尉は、朝からミザルー・コンプレックスにある兵站管理部購買課オフィスに直行していた。 「おはようございます。資材の発注について、納品日の御相談をお願いしたいんですが」 その声を聞いた責任者の加藤大尉が、そこはかとなく嫌そうな顔になる。だが佐山は全然気にせず彼のデスクにすたすたと歩み寄ると、書類をついと差し出した。 「……佐山中尉」 眼鏡を直しながら、ややわざとらしく大尉は言った。 「補給担当の君が知らないわけはないと思うが、発注の受け付けはオンラインのみだよ。書類で持ってこられても受け付けられないな」 「分かってます。これはこちらの希望納期を書いたリストです。一旦確認をと思いまして……見ていただけますか?」 「納期の確認なら電話かメールにしてくれないか。わざわざ来たりしないで」 「メールだと返事が遅いし、電話だと切っちゃうじゃないですか。こちらが無理を言うと」 「…………」 当たり前だ、と言おうとして大尉は抵抗をあきらめた。書類を受け取り、ざっと眼を通す。そして今度は渋い顔になる。 「……中尉、ひとつ質問していいかね」 「はい」 「今日は何日だ?」 「十三日です」 「とすると、納期まで何日あるかな?」 「五日ですね。実働ですが」 「外部への発注は、どんなに急いでも十日前後かかると何度も言ったと思うが」 「はい、何度も聞きました」 佐山はこっくりとうなずいた。 「でも、うちの部隊はその二日後にカリストを出るんです。ですから、それがぎりぎりのデッドラインなんです」 「中尉……」 加藤大尉は書類をデスクに置き、眼鏡をはずすと額を押さえる。 「この納期では、標準品だって入れられないぞ。ましてや、タナトス戦闘団の装備は仕様が特殊なものが多いんだ……大体、なんでもっと早く言ってこないんだね。いつも君の部隊はそうじゃないか。振り回されるこちらの身にもなってくれ」 怒っているというよりもはや愚痴に近い彼の口調に、佐山は多少は申し訳なさそうな顔になった。 「ダンテ隊長が言うには、襲撃地点の情報収集と戦術の策定には時間がかかると……なんでしたら、隊長に直接確認してみてください。いるかどうかわかりませんけど」 「いや、やめておこう」 いちど、それで大尉はひどい目にあったことがある。その記憶を振り払うように彼は頭をふると、再び眼鏡をかけて佐山を見上げた。 「とにかく、この納期では絶対に無理だ。物理的に不可能だ」 「ですから、不可能では困るんです。作戦に必要なものですから」 「そこまで我々は責任は持てん。早い発注をしなかったそっちが悪い」 「標準品でもかまいませんけど」 「だから、それでも無理だと言ってるだろう」 「私が担当者と交渉します。おどすのでも頼み込むのでも」 「無理だ」 「…………」 にべもない彼の言葉に、さすがに困ったように佐山は考えこんだ。しばしあってなにか思いついた表情で顔を上げる。 「こういうのはどうでしょうか」 「?」 大尉は嫌な予感を覚えた。交渉が煮詰まると、佐山は妥協案と称してろくでもないことを言い出すことが多い。またそれではないかと疑ったのである。電話なら聞く前に切ってしまうこともできるが、面と向かっていると逃げ出すこともできない。 果たして、加藤大尉の予感は大当たりした。 「そのリストのものって、標準品なら結構あちこちの部隊にありますよね」 「……まさか、それを回せというんじゃないだろうな。駄目だぞ」 佐山はまじめくさって首をふった。 「そこまでやっていただく必要はないです。大尉はどこにあるかを私に教えて、あとそれを動かすという書類だけ整えてください。実際に分捕りに行くのはうちでやりますから」 「……冗談じゃない!」 陸戦隊の荒っぽい連中が、佐山中尉の指揮で片端から他の部隊の資材を略奪していく……そんな想像が一瞬頭をかすめ、大尉は思わず声を荒げた。 「そんなことをやってみろ、どんな騒ぎが起こると思う!」 「だから、実際に行くのはうちでやりますってば」 「そういう問題じゃない!」 「でも、納品は不可能なんでしょう?」 「…………」 言い返そうとしていた彼は、その指摘に思わず黙りこむ。 「どこでも多少の予備分は確保しているはずですし、それをかき集めればなんとかなると思います」 「だから、そういう問題じゃないと言ってるだろう! もう少し常識を働かせてみろ!」 「でも、私にはそのくらいしか解決方法がわかりません」 机を叩かんばかりの加藤大尉の勢いに、ぬけぬけと言って佐山は肩をすくめた。 「普通にやってたんじゃ間に合わないし、でも必要な物だからできないじゃ済まないとなると、ぎりぎりの妥協案はこのへんじゃないですか?」 全然違う、と言いかけて加藤大尉はため息をついた。この中尉が口にしたことを本当にやる性格なのは彼も経験している。 「……わかった」 長い長い沈黙の後、苦渋に満ちた顔で彼はうなずいた。 「なんとか……間に合わせよう。ただし……入れられるのは標準品だ。これで特殊仕様などと言うなら……」 「もちろんです」 神妙な顔で佐山は応じる。 「入れていただけるだけでもありがたいと思ってます。いつも大尉にはお手数をかけてすみません」 「本気で言ってるんだろうな」 「は?」 「いや、なんでもない」 大尉はそう言うと、放り投げるように彼女に書類を戻した。 「三十分以内に発注をこっちによこしてくれ。それ以上遅れるとできないぞ」 「あ、それでしたらすぐにでもお送りしましょう。電話を貸していただけますか?」 断る間もなく佐山は彼のデスクの電話を取り上げ、短く二、三度やりとりするとすぐ切り、OKのサインを出した。端末で確認すると、確かに陸戦隊からの発注が受け付けられている。まさにあっという間の早業だった。彼女がこのなりゆきを予想して準備していたのは間違いない。 「というわけで、あとはよろしくお願いします」 「……わかった。だから……」 一気に疲れた加藤大尉は、早く行ってくれ、という台詞を飲み込み、手をふった。 2 「佐山中尉」 購買課からの帰り道、不意に呼び止められて佐山は振り返った。 「なんでしょう?」 歳はダンテと、ハンサム度はランスと同じくらいだろうか。戦略情報部の所属章をつけたその少佐は、愛想良く彼女に笑いかけた。 「少し時間をもらえるかな」 「ナンパは勤務時間外にしてください」 「あ、ち、ちょっと待ってくれ」 すたすたと去ろうとする彼女を、少佐はあわてて追いかけた。前にまわりこんで道をふさぐと、慎重に声を落とす。 「陸戦隊について、ちょっとした疑惑が持ち上がっている……君に事情を聞きたいんだが、内密に」 さすがに佐山は眉をひそめ、少佐を見上げた。それから腕時計に眼を落とし、少し考えてからうなずく。 「分かりました。少し片付けなくてはならない用がありますので、一時間後でよろしいでしょうか」 「ああ、かまわないよ」 もういちど少佐は笑った。顔はいいんだけど、惜しむらくは自信過剰気味なことかも、と佐山は思った。 「……つまり、陸戦隊内部でデータの改竄が行われている、ということですか? ラフェット少佐」 「ひらたく言えばそうなるな」 ラフェット少佐は肩をすくめ、佐山が相変わらず曖昧な顔をしているのに気付くと、安心したまえと言いたげに両手を広げた。 「ああ、それから……これはあくまでも調査の事前資料のための聞き取りだ。公式なものではないから、後々中尉が不利な立場になるということはない……むしろ、調査に積極的に協力したということで、評価の材料になるだろうね」 「はあ」 佐山が聞かされた話はおだやかではなかった。タナトス戦闘団から出されるデータ……特に、補給や装備品に関するもの……が、少なからず改竄されている疑いがあると言うのである。もし立証されれば、幹部は軒並み軍法会議、場合によっては部隊も解散ということになりかねない。 ……やれやれ、ようやく来たか、と佐山は思った。恐らくラフェット少佐は知る由もないだろうが、その“疑惑情報”を流したのは他ならぬ彼女なのである。 エリクセン准将のクーデター鎮圧とその後のアナンケ強襲作戦で、陸戦隊の有効性は公の認めるところとなった。今回の開戦においても、タナトス戦闘団は月面施設の破壊を担当することになっている。だが、そんなタナトス戦闘団の存在を危険視する人物がいた。 あくまでも噂にすぎないが、カリスト防衛軍の最高指揮官であるミッチナー将軍は、陸戦隊を始め地上戦力を統括する山下准将と仲が悪いらしい。個人としてもお互い嫌いあっているのかは定かではないが、確かに、とかく強硬論を唱えるミッチナー将軍と、どちらかといえば穏健派の山下准将がことあるごとに対立するというのは、佐山のような下級将校でも知っていることである。 そして、クーデター以来、ミッチナー将軍は、タナトス戦闘団を山下准将が私兵化するのではないかという危惧を抱き始めているようだった。 戦略情報部こそ、ミッチナー将軍の私兵集団のくせに……そう思いながら、佐山はもぞもぞと椅子に座り直した。その仕草にまぎらせるように、さりげなくポケットの中のレコーダーのスイッチを押す。 「どうしたね? 中尉。なにか心当たりでも?」 佐山の動きをなにか誤解したらしい、ことさら親切げにラフェット少佐は声をかけた。彼女は眼をぱちくりさせ、やや上目使いに少佐を見やる。 「あのー、質問してもいいですか?」 「かまわないよ」 「タナトス戦闘団の補給やデータ管理は私の担当なんですけど、それってつまり、私が疑われてるってことですか?」 いささか恐縮した彼女の口調に、少佐はなだめるような笑顔を向けた。 「まあ、そういうことになるだろうが……だがもしそうだとしても、それがそのまま中尉の責任になるとは限らないよ」 「どういうことでしょう?」 「つまり、その行為が中尉の判断かどうかということだ。中尉自身の意志ではなく、誰かに指示されたか命令されたかでそれを行なったということであれば、悪いのは中尉ではない、ということになるね、分かるだろう?」 噛んで含めるような言い方だった。日系の血を引く佐山は、実際の年齢(や性格)より子供っぽく見られることが多い。少佐のこの態度もそのせいだろうか、と彼女は思った。 まあ、向こうが甘く見るなら、こちらはそれに乗るだけである。 「ええと、指示ってなんのですか?」 「もちろん、データの改竄のだよ」 「ああ」 佐山はほっとした顔になってうなずいた。 「それなら安心してください、少佐。データいじりは陸戦隊の存在が極秘にされてた間だけという指示でしたし、私、一日でも早くあそこから転属したいと思ってるんで、指示された以上の仕事はやらないことにしてるんです 「……では、今は自主的な判断でデータの改竄を行なっているということか?」 やや気色ばんだ口調の少佐に、彼女は違う違うと首をふる。 「そうじゃありませんてば。大体、なんでデータの改竄が事実だなんて決めつけるんです、少佐」 「それは……」 指摘されて、ラフェット少佐はやや動揺したようだった。内心舌を出しながら、だが今はそれに触れずに佐山は続けた。 「指示されたこと以外はしない私がやってないんだから、そんな指示はない。そういうことです。なにか論理的におかしい部分でもありますか?」 「…………」 狐につままれたような顔になって、彼は黙りこんだ。数秒間そのまま考えた後、あきらめ気味にため息をつく。 「……まあ、中尉がやっていないというならそれはそれでいいだろう。では、他にこの件について心当たりは? なんでもいい、聞かせてくれないか」 「……少佐、もうひとつ質問したいんですけど」 「どうぞ」 また佐山はもぞもぞと椅子に座りなおした。 「タナトス戦闘団が、外惑星連合の奇襲と同時に月の工場破壊攻撃に出ることはご存じですね」 「もちろん」 「その直前の大事な時期にこんな調査を始めれば、作戦準備に混乱が出かねないことも予想できますね。場合によっては、作戦を中止する羽目になることも」 「……まあそうだな」 「それって利敵行為と見なされても、文句は言えないんじゃないですか?」 少佐は眉をひそめた。思いがけないことを言われて面食らったようにも、不安になったようにも見える。 「……いきなりなにを言い出すんだ? 中尉」 「データの改竄といえば、軍法会議ものの犯罪です」 彼に口をはさむ隙を与えず、佐山は言いつのる。 「先程も申し上げましたけど、改竄があるということを前提に、この時期にあえてその調査をされるということは、それなりの確実な根拠があるということですね? それを教えていただきたいんですが。正式な事情聴取ではなく単なる聞き取りですから、私の方から要求しても差し支えないでしょう」 「……君は勘違いしているね。君が要求できるかどうかというのと、こちらが教えるかどうかというのは全く別の問題だよ」 「そうですか」 それだけ言って、彼女は間を開ける。そして少佐がわずかに表情をゆるめた瞬間、言い放った。 「教えられないというのであれば、少佐は戦略情報部の名のもとに、根拠のない言いがかりで陸戦隊の作戦を妨害しようとしている、そう私は解釈しますが?」 「……?!」 数秒間、ラフェット少佐は絶句した。そしてハンサムな顔にやにわに怒気をみなぎらせる。 「佐山中尉、言葉に気を付けたまえ!」 同時に佐山は立ち上がり、ポケットから出したレコーダーを彼に見せていた。録音スイッチがオンになっているのを見て、少佐は一瞬だが確かにひるんだ。 「……そんなものが役に立つと思ってるのか? 中尉」 「全然思ってません」 少佐の言葉に、にっと笑って佐山は応じた。 「でも世の中、何があるかわからないですよね。戦略情報部の少佐が突然、陸戦隊で不正なデータの改竄が行われているなんて事実無根の妄想を抱くっていうような」 今にも銃を抜きそうな眼で、ラフェット少佐は佐山をにらみつけた。そんな彼を前に彼女は平然とレコーダーをしまうと、敬礼する。 「というわけで、他に御用がなければこれで失礼していいでしょうか。私も忙しいので」 「…………」 黙ったままの少佐を尻目に、佐山はひとつぺこりと頭を下げるとドアを開けた。そんな彼女に、今度はラフェット少佐が声をかける。 「……佐山中尉」 「なんでしょう?」 「君には失望したよ」 「……はあ、それはどうも」 なにを期待されていたんだろう、と思いながらも、部屋を出る前に、彼女はもういちどぺこりと頭を下げた。 3 アルテミス宙港ロビー コーヒーショップ…… 店主の親父に軽く挨拶して、私服の佐山はカウンターを見渡した。肩を並べてコーヒーを飲んでいるやはり私服姿の凸凹コンビを見つけると、その背中に声をかける。 「お待たせしました」 「……遅いじゃないか」 ダンテとランスは同時に振り返り、ダンテが文句を言った。その隙間に彼女は入りこむと、親父にオレンジジュースを注文する。 「どこかへ消える働き者の隊長のおかげで、仕事が終わらなかったんです」 ジュースは品切れと返され、注文を紅茶に変えてから佐山は応じた。むっとしたダンテが口を開く前に、反対側からランスがやや声を落として……だが素早く割り込んでくる。 「ところで中尉、どうだった? 例の少佐は」 一瞬、眼をぱちくりさせて彼を見やった佐山は、バッグからレコーダーを引っ張り出した。カウンターに置くとランスのほうへ押しやる。 「一部始終これに入ってます」 彼はレコーダーを取るとためすすがめつした。出された紅茶に砂糖を入れながら、佐山はにやにや思い出し笑いをする。 「仮にも戦略情報部が相手だからもう少し手応えあるかと思ってたんですけど……あの程度の情報流しただけでひっかかってくるなんて拍子抜けです」 「で、感触は」 「そうですね、雰囲気からして情報部全部ではなくて、単に少佐がひとりで先走っただけみたいですよ。おどしたらすぐに引き下がりましたし……調べたらあの少佐、ミッチナー将軍の太鼓持ちみたいな人なんです。案外、ポイント稼ぎをしようとでも考えたんじゃないでしょうか」 「……戦略情報部の将校をおどしたのか?」 「あ、間違い。道理を話したら納得したみたいです」 「…………」 黙ってしまったランスを尻目に、佐山は紅茶を一口飲んだ。カップをカウンターに戻し、やってきた数人の客と、その相手をする親父にちらりと視線を送る。 「でも……」 やや声を低めて、彼女は言葉を続けた。 「ただの一少佐がそんなこと考えるっていうのは、上の影響が戦略情報部全体にかなり及んでるってことではありますね。確かに」 「やっと信じる気になったか」 ダンテが鼻を鳴らした。佐山は横目で彼をにらむ。 「別に信じてないなんてひとことも言ってませんよ、隊長。月だラグランジュだと飛び回って帰ってこない人たちと違って、私はカリスト内部の情報や噂を知る機会には事欠きませんでしたから。ミッチナー将軍が隙あらば陸戦隊をつぶすつもりでいることくらい、とっくに知ってます」 「それにしては、話をしたときいやに物分かりが悪かったがな」 「悪くはありません。隊長たちとつるんでその件に関わるのは、変なとばっちりをくらいそうだからいやだと申し上げたんです」 直接には返事をせず、ダンテは再び鼻を鳴らす。佐山は険悪な顔になった。 「隊長たちはカリストを出さえすれば、あとは月まで知らんぷりで一直線だからいいでしょうが、残ってあの連中とつばぜり合いをするのは私なんですよ。大体なにが悲しくて、素人の私が戦略情報部なんかと情報戦をしなくちゃならないんですか。言いだしっぺの隊長か、百歩譲ってロッドあたりがやるのが普通でしょう」 「素人が経理に偽データ送って借金でっちあげたりするのか」 「あれは天誅です」 「……嘘をつくな、嘘を」 「中尉」 声が大きくなりかけたふたりの間に、再びランスが低い声で割り込んだ。 「……逆に言えば、中尉だから任せられるんだ。確かに筋から言えばロッドにやらせるべきだろうが、あいつは月から動けん。それに、システムからセキュリティから生データにどういう細工をしてるかまで、タナトス戦闘団の情報管理にいちばんくわしいのは中尉だろう。そういう意味で言えば、すでに中尉もこの件の当事者になってるんだよ」 「少佐、それはおだててるんですか? おどしてるんですか?」 「どっちでもないさ。ただの事実だ」 「…………」 佐山は唇をとがらせたが、口に出してはなにも言わなかった。そのまましばらく黙っていたが、やがて紅茶のカップを持ち上げると、それに向かってため息をつく。 「……変だなあと思ってたんですよ。アナンケ作戦が終われば転属だと思ってたのに、そのままタナトス戦闘団に居残りなんですから。おまけに今度はばれれば軍法会議もののデータ改竄なんて……」 ……彼女はもともと、陸戦隊が極秘とされていた時期に、データ上からその存在を「消す」工作を専門に担当するために配属された士官である。だから、アナンケ作戦以後その存在が内外に公表されれば、彼女の仕事は終わるはずだった。 だが実際には、アナンケの後も佐山はデータの細工を続けていた。しかも、今では補給士官として後方支援を一切まかされ、それに伴う消耗品、装備など物資全般に渡る幅広いデータを、実情とは微妙に異なった形に改竄する……つまり、データを手に入れた側がタナトス戦闘団の戦力を誤って把握するようにしむける……ようになっていったのである。 彼女に指示した山下准将は、それを「防諜上の措置」としか言わなかった。いや、そもそも言葉に出して指示されることすらなかった。だがそれはどう見ても航空宇宙軍ではなく、カリスト防衛軍内の「誰か」に見られることを意図した措置だったのである。 「……もう私、きっと一生表街道歩けないんだわ。あのまま財務部にいたら、今頃平和で豊かな人生を歩めていたかもしれないのに。変な隊長と副隊長に関ったせいで」 「……なんてこと言いやがる、この女」 ぶちぶちと愚痴る佐山に、コーヒーを片手にダンテがぼやいた。それを無視して彼女はダンテに眼を向ける。 「これだけは確認しておきたいんですけど、隊長」 「……なんだ」 「やりあうのは開戦まででいいんですね。月面の襲撃に成功したら、ミッチナー将軍は手を引くんですね」 「ほぼ確実にな。再発しないか保証はできんが」 その答えを受けて彼女は考えこんだ。あまり長い間黙っているので、とうとうランスが心配げに、というか、やや不安げに尋ねた。 「どうかしたのか、中尉」 「……方法を考えてたんです」 「作戦?」 「月面の襲撃が終わるまでなんとかする方法ですよ」 「……あまり派手なことをするなよ」 「自分と同じ基準でものを考えないでください」 まぜかえすダンテを佐山はばっさりと切り捨て、ところで、と付け加えた。 「ついでだからこの場で業務連絡に移らせていただきますけど、隊長、今日発注するようにと言われた資材ですが、全部標準品しか入れられませんからそのつもりで。納期が間に合わないそうです」 「……なんだと?」 途端ににダンテは不機嫌そうな顔になった。 「標準品じゃ使えんからわざわざ特殊仕様にしてもらってるんだろうが。一体何考えてやがるんだ補給の連中は」 「悪いのは加藤大尉じゃありません」 ダンテの悪態に、きっぱり彼女は言いかえす。 「どっちかといえば、責任は隊長にあります。もう少し早く発注をしてくれという大尉の意見に、私も今回全面的に賛成です」 「発注が早かろうが遅かろうが、こっちが欲しいって言ってるもんを入れるのが事務屋の仕事だろうが。大体、後方組の役目は前線部隊の支援じゃないのか。役にたたん支援ならいないほうがましだぞ」 遠慮のない彼の台詞に、今度は佐山の眉がつりあがった。飲みかけていた紅茶をカウンターに戻すと、上官の顔を真正面からにらみつける。 「隊長」 「……なんだ」 「支援とワガママを聞くというのとは、基本的概念からして違うんです。今度という今度は言わせていただきますけどね、たとえ前線指揮官だって、いざという時困らないために資材発注の流れを頭に入れておいたって、全然損ではないんですよ。むしろ、そうするのが普通の指揮官じゃないですか」 「…………」 ちなみに、佐山は女性にしてはやや上背がある。声こそひそめているものの、ほぼ同じ高さから詰め寄られてさすがのダンテもたじろいだ。救いを求めるようにランスを見るが、彼はさっさとコーヒーの代金を払うと「それじゃ」とだけ言ってカウンターから離れてしまう。 「あ、くそ! 逃げるなランス、待て!」 後を追おうとした彼の腕に、素早く佐山はしがみついた。 「逃げようったってそうはいきませんよ、隊長。今日だって私、加藤大尉に散々文句を言われてきたんですからね。いつも無理を聞かされる大尉もかわいそうだとは思わないんですか? 何度も言ってますけど、資材は空から降ってくるもんじゃ……」 ……この後、ダンテがどうやって佐山から逃げたのかは、いまだに謎とされている。
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