Original Story of VIFAM

凶報


「えっ、ハラワジー大尉は休みなの?」
「はい、熱が下がらないそうです。ハチェット軍医少佐からも無理はさせるなと」
「そう……」
 副官の答えに、コヤマ大佐は困惑した顔になった。
「病気を責める訳にはいかないけど、いちばん休んでほしくない日によりによって休むなんて……」
 なんとなしにオフィス内を見回した彼女の視線が、黙々とキーボードに指を走らせる淡い青色の髪の士官で止まる。
「……フレッチャー少佐」
「はい?」
「あなた、今回ハワラジー大尉と一緒に資料作成をしたんだったわね。中身はちゃんと把握している?」
「は?」
 唐突に聞かれ、フレッチャー少佐は目をぱちくりさせた。
「……はい、基本的な部分は」
「じゃあ私と一緒にククト政府との連絡会議に出てください。10時に出発するので急いで準備を。時差はマイナス4時間。今日は向こうに泊まりですからね、そのつもりで」
「は、しかし……」
 有無を言わさぬコヤマの宣言だった。フレッチャーはたじろぎ、口ごもる。
「私よりブラウン軍曹のほうが詳しいと思いますが……メインでサポートしていたのは彼ですし。私は一部を手伝っただけで……」
「士官でないと駄目なのよ。少佐」
「…………」
 遮るコヤマの口調はおだやかだったが、その奥にはどこか剣呑な響きがあった。フレッチャーは救いを求めるように周囲を見るが、他のスタッフは素早く目をそらす。
「……分かりました。すぐ準備にかかります」
 ひとつため息をついて、彼は立ち上がった。


 慌ただしい打ち合わせが済んだ頃には、シャトルはすでに大気圏突入を終えていた。
 ぐったりと疲れた気分で、フレッチャーは窓外に広がる空と大陸を眺めていた。まだ高度は航空機より高いはずだが、濃い青空と茶色い陸のコントラストは思いの外くっきりとしている。もしかすると、地球に比べて大気が冷たく乾燥しているためかもしれない。
「地上は初めて?」
 ようやく余裕が出たらしいコヤマが隣席から話しかけてきた。儀礼的に「はい」と応じた彼は、さすがにそれで終わってはまずい気がして付け加える。
「休暇はいつもベルウィックでしたから」
「そうね、あっちのほうが確かに過ごしやすいわね」
 実際、ククトには地球人向けの場所はほとんどない。停戦後にホテルや娯楽施設などいくつかの計画は進んでいたようだが、皆内戦勃発と共に立ち消えになってしまった。というより、ククトニアンたちが内戦を口実にこれ幸いと白紙に持ち込んでしまった節があるという。そもそもの地球人とククトニアンの確執の発端を考えれば、母なる星であるククトにはなるべく地球人を入れたくないという彼らの本音は無理もないことなのかもしれないが、一方では、地球の企業や投資家たちのククトニアンに対する心証が悪くなったのも確かである。
 ……そういえば、スレン・ダウアは元気だろうか、とフレッチャーはぼんやりと思った。
 彼が今捕虜収容施設でどうしているか、フレッチャーは全く知らない。手紙を出すことも考えたのだが、彼に英語が読めるとは思えななかったし、「地球人」からの手紙を受け取るということが、他にもいるであろうククトニアン捕虜からどう見られるかをおもんぱかって実行できないでいた。あれほどククトに憧れていた彼が遠い場所に引き離され、別に何の感慨も抱かない自分がこうやってその地を踏むのも皮肉と言えば皮肉である。
「……眠ければ眠っていていいわよ、少佐」
 ぼんやりと窓外に目を向けるフレッチャーを何と思ったか、ややいたわるような調子でコヤマが口を開く。
「到着まであと30分程ありますから。無理して会議中に居眠りでもされたら困るし」
「……はあ」
 別に眠くはなかったのだが、それなら身体だけでも休めておこうと彼は素直にシートをリクライニングし、目を閉じた。


 フレッチャーにとって、初めてのククトは居心地が悪いの一言につきた。
 コヤマの補佐そのものは、それほど大変な仕事ではない。彼女は部下に変な面倒を負わせるたちではなかったし、こまごましたことは皆副官と従卒が片づけてくれる(従卒など、ついでにフレッチャーの世話までしてくれた)。実際、彼がやっていたのはコヤマの後や横につき、会議の席で要望に応じてククト側に資料の説明をしたり記録を取ったりする程度だった。
 彼が閉口したのは、ククトニアンたちが自分を見る目つきである。
 そもそも、淡い青色などという髪を持つフレッチャーは、小さな頃から好奇の目にさらされないことはなかった。そういう意味では見知らぬ他人の注目は慣れっこだし、気にしない習慣もついている。だが……ここで遭遇する視線は、どうもそれまで彼が経験してきたものとは少々趣が違っているようだった。
 もちろん、彼らに悪気がないことは分かっている。恐らく、ククトニアンのくせにごく自然に地球人としてふるまうフレッチャーに対して、違和感と疑問を感じているだけなのだろう。ステーションで共に戦列を組むククトニアンたちなら、フレッチャーが「特別」であることが分かっているから、相応に地球人として扱ってくれる。が、初対面で彼を知らない者からすれば、彼の存在はただただ不審にしか見えないに違いない。
 ……だが、そう納得して心穏やかに過ごすには、行く先々で向けられる彼らの視線には含む物が多すぎるように思えた。その目つきにフレッチャーは少なからずとまどい、苛立ち、それを表に出すまいと努め……1日が終わる頃にはへとへとになっていた。
「あー……」
 あてがわれた宿舎に入るや否や、フレッチャーは制服も脱がずにベッドに倒れ込んだ。ごそごそと足だけを動かして靴を脱ぎ捨てると、大きくため息をつく。
「……疲れた」
 腹ぺこだったが、もう食事に行く元気も出なかった。それに、またククトニアンたちの意味ありげな目にさらされると思うと出歩く気にもなれない。全く、俺を何だと思ってるんだ、と彼は苦々しく唇を噛み、そして、ククトニアンだと思ってるんだろうなあと再びため息をつく。
 こんなことなら、オフィスで端末とにらめっこをしてるほうがまだましだった。スタッフ勤務などきついし地味だしおよそ面白いことのない仕事だが、少なくともこんな妙な気疲れをすることはない。
 というか、早くパイロットに戻してくれ、と、枕に顔を埋めて彼は切に願った。
 ……いつの間にかうとうとしていたらしい。インターホンが小さく鳴るのに気付いてフレッチャーは顔を上げた。一瞬、無視しようかという誘惑が脳裏をかすめたが、結局のろのろと起きあがり、靴も履かずにドアを開ける。
 そこに立っていたのは、私服姿のコヤマだった。
「少佐、食事は?」
 寝じわのついた制服に靴下姿で慌てて敬礼するフレッチャーを見ても、彼女は眉一つ動かさなかった。ごく軽い口調でそう問いかけ、彼の返事を待つ。
「いえ、まだ……」
「そう。じゃあこれから一緒にどうかしら? 知人に招かれているの」
 フレッチャーは首をかしげた。この大佐が食事に招かれるような知人をククトに持っているなど初耳である。
「しかし、私なんかがお邪魔しては……」
「大丈夫よ。それほど気兼ねするような関係じゃないし……それに、あなたにとっても気晴らしになると思いますよ」
 この疲れているのに上司とそのお友達と一緒に食事でなんの気晴らしだ、とフレッチャーは内心うめいたが、彼女の好意は良く分かったし、断れなかった。
 結局、苦行にでも行くような気持ちで、彼はコヤマに従った。


 ふたりが訪れたのは、市街区をややはずれた場所にある一軒家だった。郊外、と言うには荒涼としていたが、まばらな樹木に囲まれたその家は、降りてくる夜の暗さと冷気の中でほっとするような温かみをたたえている。
「昼間はいい所よ」
 聞こえてきたのは獣の声か鳥の叫びか、いささか不安げに暮れゆく景色を透かし見るフレッチャーに言いながら、コヤマはチャイムを鳴らした。待つ程もなくドアが開き、10代半ばとおぼしいククトニアンの少女が現われたかと思うと笑顔になる。
「グレースさん、こんばんは。お待ちしてました」
 その口から出たのは、実にきれいな英語だった。驚きを顔に出すまいと頑張るフレッチャーをよそに、コヤマは当然のように笑って少女に挨拶をする。
「こんばんは、あら、髪型を変えたのねカチュア」
「はい、でもちょっと失敗しちゃって……」
「大丈夫よ、似合ってるわ」
 親しげに会話を交わすコヤマと少女を、脇に突っ立ったままフレッチャーはぼんやりと眺めていた。この子をどこかで見たことがあるような気がするが、どこでだったか思い出せない。それほど強い印象ではないから、有名人とかではないとは思うのだが……。
「……彼はセオドア・フレッチャー。ククトは初めてでね、暇そうなので連れてきたの」
 と、いきなり話を振られて彼は我に返った。少女は彼に視線を移し、礼儀正しくにっこり笑って小さな手を差し出す。
「始めまして、フレッチャーさん。私、カチュア・ピアスンと言います。どうぞ中へ」
「あ……始めまして」
 口ごもりながらフレッチャーは握手をし、そしておやと思った。この少女が自分に向ける目は、これまで出会ったククトニアンと違っている。というか、彼女はごく普通に彼を地球人と見ているようだった。まだ子供だから分からないのかな? と、コヤマについて中に入りながらフレッチャーは考え、いつの間にか妙な目で見られるほうを自然に思っている自分に気付いて情けなくなる。
「そういえば、サライダ博士は急なご用ですってね」
 客間らしい部屋でコートを脱ぎながら、コヤマが少女に問いかけた。カチュアは申し訳なさそうな顔になる。
「はい、なんだか緊急の用件みたいで、ついさっき政府のほうに……ごめんなさい」
「いいのよ、連絡はもらっているから……ミズ・デュボアはキッチン?」
「はい」
「それじゃ、お手伝いをしましょうか。セオドア、あなたはここで待っていて」
 そう言うなり、彼女はさっさと奥に入っていってしまった。いきなりファーストネームで呼ばれたのもさることながら……確かに、この状況で階級で呼び合うのもいささか無粋ではあるのだが……まるで自分の家にいるかのようなそのふるまいをフレッチャーはやや呆然として見送り、次に途方に暮れて少女を見やる。
「どうぞくつろいでください」
 そんな彼に、ククトニアンの少女は笑顔でソファーを示した。
「グレースさんはいつも手伝ってくださるんです。お料理お好きなんですって。フレッチャーさんはどうぞ、こちらで待っていてください。お飲物、お持ちしましょうか」
「……はあ」
 女傑と呼ばれる上司の意外な趣味に、フレッチャーは何か聞いてはいけない秘密でも聞いたような気分でうなずいた。そのままソファーに腰掛け、出された飲み物を口にする。フレッチャーも知っている、アイスコーヒーに似ているがもっと薄くてこくのないククトの飲み物だった。お世辞にもおいしいとは言えないが、地球人がいちばん無難に飲める代物でもある。やっぱり、彼女は完全にこちらを地球人だと思っているらしい。
「……英語が上手だね、きみ」
 しばらく話題を探した挙げ句、唐突にフレッチャーは言った。話し相手でも務めるつもりか、彼の前にちょこんと座っていたカチュアは、やや恥ずかしげな顔になる。
「そうですか? しばらく使っていないから、たまに言い回しを忘れてしまって……」
「いや、きれいに話してるよ。癖もなまりもないし。どこで習ったんだい?」
「習ったんじゃないんです。私、地球人に育てられたので」
「……えっ?」
 その時、ひとりの少年が彼女を呼びに来た。カチュアは「ちょっと失礼します」と言って部屋を出ていく。ひとり残されたフレッチャーは、動悸が速まるのを感じながら彼女の今の言葉の意味を考えた。
 確かに、地球人に育てられたククトニアンというのはフレッチャーだけではない。さすがにベルウィックの時というのは他にはいないようだが、その後のクレアド作戦では、地球人に保護され、そのまま地球人として育ったククトニアンの子供は何人か確認されている。中でもいちばん有名なのは──。
「……そうか、きみをどこで見たのか思い出したぞ!」
 戻ってきたカチュアに向かって、フレッチャーは大声を出した。
「きみ、あの13人の中にいた子だろう? バンガードで他の子たちと別れてククトに戻っていった……あの時の子か、大きくなったなあ」
「……フレッチャーさんもバンガードにいらっしゃったんですか?」
「セオドアでいいよ。ああ、RV隊の小隊長で乗ってた。そうだ、俺たちあの時全員総出で紙飛行機を折ったんだ。そういえば異星人が乗り込んで来るってんで皆と一緒に大騒ぎしたっけ。なつかしいな」
 フレッチャーは言葉を切り、首をかしげる少女を見やる。
「俺も地球人に育てられたククトニアンなんだよ。30年前、地球軍のベルウィック侵攻の時だ」
 自分の正体を自分から告白するのはこれが初めてだった。カチュアは大きく目を見張ったが、その中にあるのは驚きだけで、彼が内心ひそかに恐れているもの──こいつは“異星人”かという感情──は全く見られなかった。それは当然と言えば当然なのかもしれないが、それでもフレッチャーはほっとする。
「……セオドアさんが? でも全然、そんな……分かりませんでした……グレースさんも何もおっしゃいませんでしたし……」
「こんな色の髪でも?」
 フレッチャーは自分の淡い青色の髪を示した。カチュアはわずかに赤くなる。
「あの……ごめんなさい、染めてでもいらっしゃるのかなと……最近ではそういうスタイルもあるみたいですから……」
 察するに、彼女は「そういうスタイル」にあまりいい感情を持っていないらしい。まあ当然だろうな、と、うつむいてごにょごにょと謝罪の言葉をつぶやく少女を見ながら、フレッチャーはやや同情的に考えた。彼にしても、子供の頃、髪の色は大きなコンプレックスだった。ましてや女の子であれば、他人との不自然な外見の違いは一層深い悩みになっただろう。せっかく普通でいられるのに、何を好きこのんでこんな突拍子もない色にしたがるのか、という気持ちはよく分かる。
「あの、それで……ご家族は?」
 話題を変えようとするようにカチュアが語を継いだ。あまり彼女にきまりの悪い思いをさせることもない、と、フレッチャーは笑ってそれに乗る。
「ピンピンしてるよ。ああ、ククトニアンのほうの家族か……そっちのほうは地球軍の攻撃で死んだが、兄弟がひとり生き残ってコロニーで軍人やってる」
「会われたんですか?」
「ああ。実を言うと、そいつが偶然捕虜になって、それで俺は自分がククトニアンだということを知ったんだ。つい何ヶ月前の話だよ。だからまだ……自分自身にしっくりこない。だからだろうな、きみが気がつかなかったのは」
「そうですか……」
 慎重に何気ない風を装っていたが、彼女の声音には隠しきれない羨ましげな調子が覗いた。一体俺の境遇のどこが羨ましいんだ? とフレッチャーは首をかしげる。ククトで家族を失い、地球で新しい家族に引き取られて成長した、という過程は同じだろうに。彼がここまで自分の正体を知らずにやってこれたということがだろうか?
「そういえば、きみの地球人のご両親は良くきみがククトに来ることを許したね。それとも、ここで一緒に暮らしてるのかい?」
 その問いに、少女は小さく微笑んだ。
「私──いないんです、両親」
「え?」
「育ててくれた両親は、前の戦争で死にました。実の両親は……皆さんが探してくださってるんですけど、まだ全然分からないんです」
「…………」
 その透明な、年に似合わぬ大人びた微笑みを、フレッチャーは見ていることができなかった。自分を殴りつけたいような気持ちで彼は目をそらし、ようやく「ごめんよ」とだけつぶやく。
「いいんです。皆さん親切にしてくださるから全然淋しくありませんし、それに、セオドアさんはちゃんとご兄弟と会えたんでしょう? そういう人がいるっていうこと、私、すごく励みになります」
 ……きみは強いね、と言おうとして、フレッチャーは思いとどまった。この年頃の子にとっては、強さとは往々にして我慢と無理の結果であることが多い。だからきっと、彼女にそんなことを言っても誉めたことにはならないだろう。
「……できることがあったら何でも協力するよ。お互い同じ境遇なんだ、今日が初対面だからって遠慮しなくていいから」
 代わりに苦労して見つけた言葉がこれだった。我ながら陳腐な台詞だと思ったが、カチュアは心底嬉しそうににこりと笑い、「ありがとうございます」と言った。
 その時、食事ができたとコヤマがふたりを呼びに来た。

 
 フレッチャー自身も驚いたことに、食事は楽しかった。
 テーブルに並んだのは総勢で5人──フレッチャー、コヤマ、カチュア、ミズ・デュボアという女性、それに、ジミーという少年である。コヤマの部下という気安さからか、皆終始昔からの友人のようにフレッチャーに接し、彼はククトに来てから初めてくつろいだ気分になれた。確かに、コヤマが言ったとおり、ここへ来たことは気晴らしになりそうだった。
 ところが、そんな時間は長くは続かなかった。
 フレッチャーとカチュアがククトニアン相手の失敗談をお互い披露しあっている最中に、コヤマの携帯通信機が鳴った。その音色が最高度の緊急を知らせるものであることに、フレッチャーはどきりとして彼女を見やる。そんな彼をたしなめるように一瞥し、落ち着いた仕草でコヤマは通信機のスイッチを入れた。
「はい、コヤマです……ああ、ちょっと待って……ごめんなさいミズ・デュボア、別室を使わせてもらっていいかしら? 仕事の話が入ってしまったの」
「ええ、どうぞ」
「ありがとう。セオドア、あなたはゆっくりしていていいわよ。何かあったら呼びますから」
「分かりました」
 みんなを不安がらせないように、と目で言うコヤマに、フレッチャーはこくりとうなずいた。コヤマもうなずき返すと席を立ち、「失礼」と言い残して食堂を出て行く。
「……何か起ったのかしら?」
「きっと、我々が想像してるほど重大な話じゃないと思いますよ」
 後ろ姿を見送ってつぶやくミズ・デュボアに、残されたフレッチャーはことさら気楽な口調で応じた。
「我々国連軍の仕事の半分以上は、実は治安維持なんです。だから各国軍とはちょっと扱われかたも違っていて、普通じゃ考えられないような呼び出しなんかも入ってくることがあるんです」
「どんな呼び出しが来るんですか? あ、これは機密なのかしら」
「大丈夫です。そうですね……前に地球で紛争の停戦監視任務をやったことがあるんですが、そこじゃ、警察があてにならないってんで、トラブルがあると地元の人が警官の代わりに我々に連絡してくるんです。放っておく訳にもいかないから当番を決めて応対してたんですが、一度なんて夫婦喧嘩の仲裁に行かされて。逆上した奥さんから皿やらカップやら投げつけられて、亭主と一緒に逃げ回りましたよ」
「まあ」
 ミズ・デュボアが吹き出した。かたわらのカチュアもおかしそうに目をきらきらさせながら、無邪気に問いかけてくる。
「それで、その人たち仲直りできたんですか?」
「うん。ご近所が総出で奥さんを取り押さえた所を、何とか説得したな。ただ……」
「?」
「なんだかちょっとこう、軍人としての自分に自信をなくした」
 皆で笑っているところへコヤマが戻ってきた。「何だか楽しそうね」と言いながらも、テーブルにつくことなく立ったままミズ・デュボアに声をかける。
「あのぅ、本当に申し訳ないのだけれど、私も彼もすぐ戻らなくてはならなくなったの。何だか、私がいないと駄目だと言い張ってるのよ」
「上でですか?」
 ついフレッチャーが口をはさむ。コヤマは彼に目を向け、うなずいた。
「まあ、呼ばれたら駆けつけるのも司令の義務のひとつですからね。仕方ないわ。セオドア、車を呼んでくれる?」
「分かりました……ちょっと失礼します」
 口調こそのんびりしていたが、どうやらただ事ではない事態が起きたのは間違いない。だが、幸か不幸かそれに気付いたのは部下のフレッチャーだけのようだった。部屋の隅に移動して携帯通信機を取り出すフレッチャーの耳に、コヤマに話しかけるククトニアンの女性たちの声が入ってくる。
「何かあったんですか?」
「まだよく分からないけど、きっと本人たち以外にはどうでもいいようなことだと思うわ。きっと戻ってから、戻らなきゃ良かったと後悔するのよ」
「またいつでもいらしてくださいね。セオドアさんも是非ご一緒に」
「ありがとうミズ・デュボア。本当にごめんなさい、こんな失礼をして。いつか埋め合わせをするわ」
「気になさらないで。お仕事ですもの。ご来訪を楽しみにしています」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。サライダ博士にもよろしくとお伝えしてくださいね」
「……司令、手配できました。20分くらいでつくそうです」
 フレッチャーが声をかけると、コヤマはわずかに肩の力を抜いたようだった。ようやく思い出したように席に座り、テーブルの上のグラスに手をのばす。それを見ていたミズ・デュボアが言った。
「20分あればお菓子と飲み物くらいは大丈夫ですね。実は、この間グレースさんから教わったのをカチュアが作ってみたんです。いかがですか?」
「まあ、それを早く言ってちょうだいな」
 どこかほっとしたようにコヤマが微笑んだ。
「そうと聞けば食べないで帰る訳にはいきません。セオドア、あなたも座って。時間は短いけれど最後まで楽しみましょう」
 それが本心か、それともカモフラージュの言葉なのかフレッチャーには分からなかった。だが、だからといって異論を挟む理由はない。彼は通信機をしまい、元のとおりコヤマの隣に腰をおろした。


 通常、国連軍関係者の移動には、業務委託先であるククトの業者の車や航空機が使われる。だが、この時迎えに来たのは、地球人が運転する国連軍の数少ない専用車だった。ククトニアンたちに不審を抱かせないためか、たっぷりと時間を使って別れを惜しんでから、フレッチャーとコヤマは乗り込んだ。
「コロニー政府の元首が暗殺されました」
 車が走り出すなり、コヤマが厳しい表情で口を開く。
「あと少しすればニュースが出ると思うけど、犯人はリベラリストの過激派。国連軍司令部はこの動きを把握していなかったらしくて、上を下への大騒ぎだそうよ」
「…………」
 フレッチャーは言葉を失った。コヤマはそんな彼をちらりと見、努めて平坦な口調で語を続ける。
「我々はこのままシャトルでステーションに戻ります。宿舎の荷物はアジット少尉とラッツェン上等兵が持ってきてくれるわ。多分、何事もなく帰れるとは思うけれど、一応トラブルには備えていてください……軍曹、コヤマ大佐が許可します。武器ロッカーのロックを解除して」
「許可受領しました。武器ロッカーのロック解除」
 民間人を装った運転手の軍曹が何やら操作すると、ふたりの座席の下からかすかな音がした。フレッチャーは身をかがめ、目立たないよう偽装された武器収納庫の中をあらためる。
 今度もリベラリストは意図的に情報を隠したのか? と、拳銃を手にしながらフレッチャーは考えた。だとしたら、開戦に続いてまたしても地球人は連中に振り回されたことになる。前の時はうまくおさまったが、今度はどうだろうか。
 これから、この戦争はどこに行くのだろう。
 そして自分は。
「……司令は武装されますか?」
「そうね、いただけるかしら?」
 受け取った銃をコヤマは手早く点検し、バッグにおさめた。そしてふと、憂鬱そうなため息をつく。
「それにしても、全くこのタイミングの悪さったら。久しぶりに羽を伸ばせていたところだったのに」
「今日はお誘いをどうもありがとうございました。いい気晴らしになりました」
 遅まきながらフレッチャーが礼を言うと、彼女は顔をほころばせた。
「いい人たちでしょう? バンガードの副長時代に世話して以来のつきあいよ。そういえば、あなたとカチュアはお互い自分のことを話したようね。どう、気は合いそう?」
「そうですね」
 少女と交わした会話を思い出し、フレッチャーは素直に答えた。コヤマはうなずき、ふと物思いにふける目をする。
「正直に言うと、私には、あなたの気持ちもあの子の気持ちも良く分からない。なぜならあなたたちが置かれた環境は非常に特殊なものだから。でも、あなたとあの子に共通して感じるのは、何かにつけて自分がアウトローだと考え萎縮する傾向があるということなの。端から見れば、ふたりともびっくりするくらいうまくふたつの社会に溶け込んでいるのだけど……きっと自分を客観的に見る手段がないからなんでしょうね」
 フレッチャーは驚いた。コヤマがそんな風に自分を見ていたとは想像すらしていなかったのである。確かに出生の秘密を知って以来、常に心のどこかで「地球人でない自分」を意識してしまうようにはなっていたが、表に現われる程だとは思わなかった。
 もっともコヤマにしても、カチュアを知っていたからこそ彼の内心にも気付いたのかもしれないが。
「……だから私とあの子を?」
「そう。お節介を焼かせてもらいました」
「……もしかして、ハラワジー大尉のかわりに私を同行させたのも?」
 その声にはつい疑念が混じったが、コヤマはそれを笑い飛ばした。
「まさか、そこまで私は暇じゃありませんよ。いい機会だと思ったのは確かだけど、あなたを選んだのは完全に職業上の必要からです」
 そういえばそうだな、とフレッチャーは恥ずかしくなる。そこまで自分を目にかける理由など彼女にはない。いくら事情が特殊でも、フレッチャーは部下の一士官にすぎないのだ。
「……当分、あの家でのディナーもお預けになりそうだわ」
 窓外の闇に目を向けながら、コヤマがつぶやいた。フレッチャーははっとする。
「司令……」
「勘違いしないで。私も詳細を完全に把握している訳じゃありません。でも……我々とククトニアンとの間に混乱が起こることは間違いないでしょうね」
「…………」
 それが控えめな言い方であることをフレッチャーは察した。そしてどこか暗い気持ちになり、黒い窓に映る自分を眺めた。
 そこにいるククトニアンも、暗い顔で彼を見返していた。

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 フレッチャー話第3話です。次の第4話と対になる形になっています。
 誰か1回くらい本編のキャラクターを出したいなあと思ってたんですが、結局出たのはカチュアでした。なんかいちばん書きにくいのを出しちまったい。
 いや、実はミューラァも考えたんですけどね、あの人が出るとどういう訳か収拾がつかなくなるんで結局没となりました。