Original Story of VIFAM | |
病院船マルグリット
![]() 「未確認飛行物体を感知しました。本船前方をX5Y120Z16へ移動中。グレードマイナス1……警告、警告。未確認飛行物体をアストロゲーターXU-23aと確認。本船との交叉軌道に入ります。グレード0……グレード1」 はっとして顔を上げたヘルマン中佐の目に、モニタの中のアイコンが未確認の黄色から敵性の赤に切り替わるのが見えた。彼は素早く警報のスイッチを入れると、航海士に退避の指示を出す。 だが、航海士の返事は芳しいものではなかった。彼我の位置関係が悪すぎて、どう軌道変更しても最終的に補足されてしまうのだという。恐らく敵艦も最初からそれを狙ってきているのだろう、とヘルマン中佐は考える。 彼は船内電話を取った。 「船長だ、イシカワ病院長を……ドクター、悪い知らせです。アストロゲーターどもに見つかりました。何とか逃げてはみますが、場合によっては降伏の可能性もあります」 『……わかった。何かしておくことは?』 場慣れしていないにも関わらず、イシカワ軍医大佐……祖国では一佐というらしいが……の声は落ち着いていた。ヘルマン中佐は安堵し、わずかに息をつく。 「機密の破棄の準備を。それと、もしかすると、患者を移動させることになるかもしれません。動かせない者はいますか?」 『ICUに3名だな。どうしてもというなら考えるが……』 「分かりました」 電話を切ったヘルマン中佐は、モニタにちらりと目をやった。アストロゲーター艦は急速に距離をつめてきている。もうすぐ窓の外には、肉眼でも見える動く星が現われることだろう。退避は無理だと言った航海士は、それでも必死で操船を試みているが、それが無駄な努力であることはレーダーの表示を見れば明らかだった。 「ミラ、敵の推定射程距離に入るまでの時間は?」 少し考え、中佐はコンピュータに問いかける。 「最短で13分、最長で27分です。ただしこれはXU-23aが直接攻撃してくる場合です。機動兵器との戦闘を想定する場合は前提条件を提示していただく必要があります」 それを聞いた中佐は即座に決断を下した。航海士を呼び、指示を出す。 「退避はもういい。代わりに奴らに対して最も敵対性のなさそうな姿勢を取れ」 「……敵対性のない、ですか?」 振り返った航海士の顔は汗びっしょりだった。ヘルマン中佐はうなずく。 「そうだ。腹を見せるのでもケツを見せるのでもいい。とにかく、こっちには戦闘するつもりがないことを相手に知らせるんだ」 「しかしそれでは一方的に……」 「どのみち我々は逃げ切れない。そうだろう、航海士」 「……はい」 「ならばいっそ、可能な限りこちらが戦闘艦ではないことを向こうに伝えてお目こぼしを願おうじゃないか」 「…………」 航海士は唇を噛んだ。あるいは、自分が責められていると感じたのかもしれない。ヘルマン中佐は気の毒に思ったが、ここで慰めに時間を割いている余裕はなかった。後でフォローしよう、と心のメモに書き留める。 もっとも、“後”があればの話だが。 「……通信士!」 「はい!」 「使用可能な全ての手段を使ってアストロゲーター艦に送信。『貴艦に告ぐ。こちら病院船マルグリット。武装なし。貴艦との交戦の意志なし』。甲板士官、船体灯を全て点灯。識別灯から赤十字灯から一切合切つけて向こうに見せつけてやれ」 「了解しました」 3人は一斉に作業にかかった。やることのない者たちが、その様子を不安げに眺めている。ヘルマン中佐もそうしたかったが、この緊急事態に船長がぼんやりしている訳にはいかない。無理矢理視線を彼らから離して自分のコンソールに戻す。 いつの間にか、敵艦から3機の機動兵器が発進していた。速度を落とした艦に代わって急速に距離をつめてくる。非武装の病院船1隻襲うのには過剰とも言える戦力だったが、敵は単に艦型からこちらが戦闘艦だと判断しているのかもしれない。マルグリットの原型はアメリカ軍の駆逐艦だった。 さて、奴らはこちらをどう見るだろうか、とヘルマン中佐は考えた。敵前で煌々と船体灯をともし、真っ白な船体と緑の帯、赤い十字を輝かせるこの船は、アストロゲーターの目にはさぞ異様に映るだろう。何とか、攻撃以外のことをする気になってほしいものだ、と中佐は思ったが、それについてはただ祈るしかない。 何しろ、赤十字の意味は地球人にしか分からないのである。 敵艦の映像が、突然まばゆい光を放った。 とっさにシリダ艦長は画面から顔をそむた。数秒してから再び見ると、センサが光感度を下げたらしく、画面は通常に戻っている。一瞬自爆でもしたかと思ったが、どうやら大光量の船体灯を灯しただけらしい。艦影を明確にするためにセンサの光感度を高く設定していたから、あんな風に激しい映像になったのだろう。 「……なんだ、この艦は」 シリダ艦長は当惑してつぶやいた。副長が自席で気味の悪そうな悪そうな顔をする。 「変なマークをつけてますな。一体何の意味があるのか……まさか標的艦ってことはないでしょうが」 「明らかに有人だ、それはないだろう」 モニタの中で、地球人の艦は悠然と漂っている。一旦は逃げるそぶりを見せたものの、無理と悟ると逆に開き直ったように停止し、巨大な赤と緑のマークがついた船腹をこちらに向けたのだった。何が目的でそんな行為に出たのか不明だが、追いつめられると何をするか分からないのが地球人だ、というのは、開戦以来ククトの軍人たちが骨身にしみて感じてきたことである。いずれにしろ、用心に越したことはない。 「機動兵器隊に連絡」 慎重にシリダ艦長は命じた。 「敵艦の推定射程距離ぎりぎりまで近づいて待機。奴らの出方を見る」 「了解」 3機の機動兵器の陣形が変わり、敵艦を包囲するような体勢を取る。しばらくそのまま待ってみるが、相手の反応は全くなかった。機動兵器の存在など眼中にないかのように、ただひたすらこちらに船腹を向け続けている。 「艦長……」 時間だけが無為に過ぎ、とうとう副長が困ったような声をあげた。 「いい加減攻撃にかかりませんか。このままでは、奴らに策を弄する隙を与えるようなものです」 シリダ艦長はやや眉をしかめたが、何も答えなかった。自席のモニタを次々と切り替えながら状況を把握しようとしている。艦長が沈黙を守っているものだから副長もそれ以上は言えず、改めて画面の中の敵艦に目を向けた。 動きがあったのは、その直後である。 「敵艦の発信を傍受!」 唐突に通信士の声が響いた。全員がはじかれたように彼を見る。 「全帯域に渡って発信を確認。どうやら言語による通信のようです!」 「味方を呼んでるのか!?」 「現段階では不明。翻訳中!」 「通信妨害をかけろ。同時に周辺宙域を精査。敵本隊の位置を探れ。航宙士、全速離脱準備。軌道は任せる。機動兵器隊、攻撃を開始せよ」 矢継ぎ早にシリダ艦長は命じた。まんまと一杯食わされたか、という苦い思いが湧き上がってくる。 恐らくあの艦は囮なのだろう。今ごろ攻撃力を備えた敵艦か艦隊が、全力で駆けつけてきているに違いない。我ながらうかつだったが、直ちにあれを撃沈して離脱をはかれば、まだ追跡を振り切る機会はある。 「いいか、一撃で片をつけろ。20分以内に帰艦しなければ置いていく」 「了解」 戦術指揮士がコンソールに向かい、指示を伝えようとした。その時、通信兵が再びシリダ艦長を呼ぶ。 「奴らの通信内容が分かりました……『我貴艦に連絡する。我医療施設専用船[マルグリット]。我武装なし。我戦闘を求めず』……この言葉を何度も繰り返しています」 「医療施設専用船……つまり病院船のことか?」 聞いていた副長が眉を寄せた。通信兵は彼に視線を向けて同意する。 「そのようです……あ、今内容が変わりました。これは……あの艦のスペックデータと思われます」 「スペックデータだと?! なんでそんな物を」 「分かりません。今翻訳にかけていますが……やはりスペックデータです……また先ほどのメッセージに変わりました……艦長、敵艦は同じデータ送信と言語の通信を交互に行っているようです」 「……一体何を考えてるんだ、奴ら?」 副長の不思議そうなつぶやきにシリダ艦長はほんのわずか考えた。そして決然と顔を上げる。 「機動兵器隊攻撃待て。別命あるまで待機」 「艦長?!」 「通信、直ちにデータを翻訳してこちらに回せ。検証する。攻撃開始はその後だ」 「しかし、艦長」 「あれが本当に病院船だとしたら戦闘艦ではない訳だ。そうそう簡単に潰すこともできんだろう」 シリダ艦長の指が画面の中の艦を軽くはじく。副長は思わず声を荒げた。 「相手は地球人ですよ! 裏で絶対何か企んでいるに決まっています!」 「その時は、我々を騙した報いを受けさせるまでだ」 「しかし……」 「あの艦がいまだに戦闘態勢を取っていないことは、きみも認めるのだろう?」 副長は一瞬ためらい、そして不本意そうにうなずいた。 「ならば……無抵抗の船を叩いて戦果にするような真似はすべきではない。たとえ相手が地球人だとしてもだ……我々は野蛮人ではない」 「…………」 それはむしろ自分に言い聞かせるような言葉だった。その響きを感じたか副長は黙り込み、そして小さくため息をつく。 「了解しました……それでは、送られてきたスペックを元に地球艦船のデータベースを検索してみます。該当する船がない場合、あれは偽装した戦闘艦である可能性もありますが……」 「そうだな、攻撃する」 モニタに視線を向けたまま、シリダ艦長はうなずいた。 「さて、奴らどう出てくるか……」 マルグリットのブリッジで、ヘルマン中佐は乾いた唇をなめた。 この船のスペックデータを送ることには、副長のキルコイン少佐が強く反対した。みすみす敵に情報を教えてどうするのか、と言うのである。だが、データそのものはカタログにも載っているし、第一、アストロゲーターはこれまでに多くの艦船を捕獲している。それらのデータベースからすでに情報はだだ漏れになっているだろう。そう言って中佐は押し切ったのだった。 今のところ、こちらの「作戦」は成功しているようだった。接近してきた機動兵器は一旦攻撃するようなそぶりを見せたものの、現在は少し離れた所でマルグリットに相対速度を合わせている。恐らくあれは挑発だったのだろう、と中佐は考えた。こちらが本当に戦う気がないのか確かめたのかもしれない。 「船長、通信が……通信が入りました!」 不意に通信士が上ずった声をあげ、驚いた彼は背筋をのばした。 「通信? 友軍からか?」 「いえ、それが……アストロゲーター艦のようです。ですが船長……その……」 「?」 「通信は英語なんです。その……少なくとも英語に聞こえます……」 「聞かせてくれ」 努めて驚きを出さないようにしながら、ヘルマン中佐は応じた。通信士がどこかほっとしたようにスイッチを入れる。と、合成されたとおぼしき機械的な声がスピーカーから流れ出した。 『こちらはククト第3軍所属、機動母艦[デール]。[マルグリット]へ通信を送る』 言い回しや発音にややおかしな所はあるが、確かにそれは英語だった。どうやら「デール」というのがあのXU-23aの艦名らしい。アストロゲーターの艦にも名前があるのか、と妙な所でヘルマン中佐は感心する。 『[デール]が所有する地球艦船のデータに該当船があるのを確認した。[デール]は[マルグリット]を病院船と認める』 「……地球艦船のデータか……」 「やはり、情報は丸ごと向こうに知れてるようですね」 病院船と認められた安堵より、地球の情報が敵の手に渡っている事実を改めて思い知らされたショックのほうが大きかった。キルコイン少佐のつぶやきに誰かが応じるのを聞きながら、ヘルマン中佐はやや自嘲気味に考える。 そうだ、奴らは我々のことを正確に知っている。それに引き換え、我々は奴らがどこから来るのかさえ知らない……。 『……[マルグリット]の処遇は臨検後に決定する。ただちに駆動炉を停止し[デール]の臨検を受け入れること。この通信を送信後地球時間で30分以内に駆動炉の停止が確認できない場合、[デール]への攻撃意志があるものと見なし[マルグリット]を破壊する』 ヘルマン中佐はふと時計を見た。表示は16時42分を示している。 「……通信士、この受信時間はいつだ?」 「16時26分です」 「……おい待て、あと16分しかないじゃないか! 機関士、駆動炉緊急停止だ! 15分以内にきれいに落とせ!」 「待ってください船長、駆動炉を落としたらこちらは身動きできなくなります。それこそ異星人どもの思うつぼです!」 キルコイン少佐がはじかれたように抗議の声をあげた。ヘルマン中佐は片手を振ってそれを遮る。 「奴らは落とさなければ攻撃すると言ってるんだ。とりあえず言うことを聞こう。機関士、あと13分!」 「落とせば攻撃しないとも奴らは言ってませんよ!」 「それはそうだが、どのみちこっちに選択の自由はないんだ。腹をくくって奴らの言うなりになるしかないさ。どうだ機関士、いけそうか?」 「何とか……」 「よし、通信士、敵艦に返信。『本船は貴艦の要求を受け入れる』。副長、大至急各部署の責任者を集めてくれ。何しろアストロゲーターの臨検を受けるなんて初めてだからな。打ち合わせをしたい」 「了解!」 「分かりました」 それぞれの返事を聞きながら、ヘルマン中佐はイシカワ大佐に説明するために船内電話を取り上げた。 「敵艦、駆動炉を停止したようです」 「こちらでも確認」 航宙士の報告に副長が応じるのを聞きながら、シリダ艦長は席から立ち上がった。その動きを追って副長が心配そうな目を向ける。 「本当に行かれるのですか? 艦長」 「まだ何か言うつもりか?」 「いえ、さっき散々申し上げましたから今更言いませんが……」 臨検部隊を自ら率いる、とシリダ艦長が言い出したのは、敵艦から要求に応じる旨の返信があった直後のことだった。そんなのは艦長の仕事ではないし、もしもの事があればこの艦は指揮官を失う、と副長以下が懸命に止めたのだが、その時は副長が指揮して敵艦を破壊しろ、の一言で退けられた。 副長はため息をつき、格納庫に集合した臨検部隊の先任士官に艦長が向かうことを告げた。そしてブリッジを出て行こうとするシリダ艦長の背中に声をかける。 「お気をつけて、艦長」 彼は振り向き、手をあげてそれに応えた。 一体どうやって臨検しに来るつもりかと思っていたら、大胆なことに、異星人たちはXU-23aをマルグリットに横付けしてきた。そして、エアロックから次々と乗り込んで来た異星人たちを見て、出迎えたヘルマン中佐とイシカワ大佐は度肝を抜かれた。 ざっと十数人はいるだろうか。しなやかな黒い気密服に身を包み、武器を構え警戒するその姿は、どこから見ても地球人そのものだった。いや、厳密に言えば、髪の色や瞳の色、顔の印象など、違和感を覚える部分もないではない。だが、もし彼らが地球人と同じ服装をして街中に立っていたとしたら、大抵の通行人は異星人だと気付くどころか、気に留めもせずに通り過ぎていくだろう。それほど彼らは地球人と良く似ていた。 こりゃあ、生物学者や遺伝学者は皆卒倒するな、と、隣で茫然としているイシカワ大佐を横目にしながら、他人事めいた冷静さでヘルマン中佐は考えた。一体どんな平行進化の法則が働いてここまで人類と似た生命体ができあがったのか、それが解明されたら地球の科学界は崩壊するに違いない。 だが、これで少しはやりやすくなった。外見が同じだからといって内面もそうだとは限らないが、少なくとも、かけ離れた姿の生物よりは共通点は多いはずである。もしかしたら、うまくあしらうことも可能かもしれない。 ……と、異星人たちの間に動きがあった。 最後にエアロックから出てきたのは、幾分年かさの、明らかに指揮官と思われる男だった。あたりをぐるりと見回した後、ヘルマン中佐とイシカワ大佐にぴたりと視線を据える。 気密服のフェイスプレートごしに中佐に向けられたまなざしは、どう見ても彼と同格、あるいはそれ以上の権威と経験を持つ軍人のそれだった。あしらうどころか、下手をすればこちらがたちまち追いつめられそうな雰囲気がある。敵を見る目だ、と何となしにヘルマン中佐は思う。 ……まあ、なるようになるだけだ。 覚悟を決めた中佐は、精一杯の矜持と威厳を込めて異星人の目を見返した。それを挑戦と受け取ったのだろうか、異星人の表情がわずかに動いたような気がした。 だが、それを確認する前に彼は後ろを見やり、何か言った。ヘルメットに遮られて声は聞こえなかったが、ひとりの兵士が出てきた所を見ると、何らかの命令を出したらしい。 その兵士は、腰のあたりに付けていた物入れから何かを取り出すと、気密服の手のひらに乗せてふたりの地球人に差し出した。小型のマイクとイヤホンがセットになったようなその代物を目にして、ヘルマン中佐とイシカワ大佐は一様に首をかしげる。それを見た指揮官の口が再び動き、兵士はちらりと彼を見ると、ふたりに向かって口を開いた。気密服のどこかにスピーカーでもついているのか、たどたどしい英語……にかろうじて聞こえる単語……が耳に届く。 それは「トランスレーション・システム」と聞こえた。 「……翻訳……システム?」 「翻訳器、とでも言うのかな?」 ヘルマン中佐とイシカワ大佐は顔を見合わせた。やがてイシカワ大佐がうなずき、「試してみましょう」と言って止める間もなくその器械を取り上げる。 いくらか手こずった後で、イシカワ大佐はイヤホンとマイクをそれらしき形で装着するのに成功した。軽く咳払いした後、指揮官に向かってはっきりとした発音で話しかける。 「あー、聞こえますか? わたしはユウゾウ・イシカワ軍医大佐。この船の病院長です……マルグリットへようこそ」 大佐の声が聞こえたらしく、異星人の指揮官が彼を見た。ヘルメットの奥でその口が何か言う。と、イシカワ大佐が首をふり、再び口を開いた。 「いいえ、船の指揮官はこちらのヘルマン中佐です。わたしは病院の責任者をしています」 指揮官が今度はヘルマン中佐に視線を巡らせる。それを受けて、中佐は辛抱強く待っている兵士の手から翻訳器をひっつかんだ。異星人が使っている(かもしれない)物を身につけるなど、よく考えれば気色悪いことこの上ないが、この際そんなことも言っていられない。 もたつきながらイヤホンをはめたとたん、居丈高な男の声が耳を打った。 『貴船が所持するデータを全て開放せよ。それから、船内での我々の行動を妨げないこと。この2点を拒否する場合、[マルグリット]は破壊される』 ……臨検というより、むしろ略奪だな、とヘルマン中佐は思った。しかもデータを真っ先にほしがるとは……敵を知り己を知れば百戦危うからずとは言うが、どうやら彼らはその点地球人より合理的というか、徹底しているらしい。もっとも、戦闘艦でも情報収集艦でもないマルグリットには、せいぜいデータくらいしか価値あるものがないというのも確かだが。 だが、だからといって素直に言いなりになるのも業腹だった。 「……その前に、貴官の官姓名をお聞きしていいですかな?」 慇懃無礼1歩手前の調子で、中佐はやり返していた。 「たとえ敵同士であっても相手に礼儀をもって接するのが、地球の軍人の間では美徳とされているのですが、そちらではそうでもないようですな」 『…………』 それを聞いた異星人は明らかに鼻白んだ。目つきが険しくなったのがフェイスプレート越しにも分かる。イシカワ大佐がたしなめるようにヘルマン中佐の袖を引いたが、彼は無視し、涼しい顔で肩をすくめる。 指揮官は何かつぶやいた。なんと言ったかは分からなかったが、多分そのほうがいいんだろうなと中佐は思った。 『……それではまず貴官から名乗ってもらおうか』 次の言葉ははっきりと翻訳された。中佐はうなずく。 「私はフリッツ・ヘルマン。階級は中佐。本船の船長です。以後お見知りおきを」 『…………』 「それで、貴官のお名前は?」 『……レフ・シリダだ』 しばらく沈黙した後、幾分吐き出すように異星人は言った。妙な響きの名だな、とヘルマン中佐は考える。もっとも、異星人の名なのだから違和感があるほうが当然なのだが。 「どうお呼びすればいいですか? 隊長? 中佐? 指揮官殿?」 『好きなように』 意識して階級や役職を明かさないのか、それともそういう概念がないのか……いずれにしろ、彼が普段から命令し慣れている立場の人物であることだけは間違いない。 「それではミスタと呼ばせていただきましょう。地球では一般的に男性に対する敬称として使いますから……ミスタ・シリダ。貴官の要求をマルグリットは全面的に受け入れます。ただし、本船は稼働中の病院船です。入院、加療中の者が少なからずおりますので、その旨留意いただけるでしょうか」 『分かった』 本当に留意する気があるのかそれとも口先だけなのかは不明だが、とにかくシリダは了承した。とりあえずはこれが精一杯か、とヘルマン中佐もうなずき、敵の意向を伝えるべく部下に指示を出し始めた。 居住性の良さそうな船だ、というのが、マルグリットに対するシリダ艦長の第一印象だった。 殺風景で装飾には欠けるが、通路にしても室内にしても、天井が高くゆとりのある造りになっている。船内に散った部下たちの話によれば、娯楽関係の設備などもククトの艦船より格段に多いらしい。 さりげなくヘルマンに質してみると、それは航宙期間が長いからという答えが返ってきた。つまり、居住性が良くないと、乗員が地球からイプザーロンまでの航宙に耐えられないということなのだろう。 そこまでしてわざわざ侵略に来る訳か、とシリダ艦長は皮肉混じりに考えた。一方で、恒星間艦隊どころか、超光速航行システムを備えた戦闘艦すら持たないククト軍の現状を思い起こして憮然とする。 もちろん、恒星間航行が可能な艦船がない訳ではない。むしろ、客観的に見て、ククトニアンの超光速航行技術は、地球人のものより洗練されている。だが、どちらかといえばそれは軍事用ではなく、主に探査、観測のための技術であり、そもそも、ククトでは恒星間航行自体そう頻繁に行われるものではなかった。ククト、クレアド、ベルウィックと3つの居住可能惑星を持つククトニアンにとっては、イプザーロンの外に新たな居住地を求める必要はそれほどなかったし、何よりククトニアン自身が、あまり拡張を求めない性向の持ち主だったことがある。 従って、彼らの恒星間航行技術は、ほとんどの場合、ククトに忌むべき血をもたらした祖先の世界──地球を観測、監視するために使われるにとどまっていたのだった。 しかも、核戦争で3惑星を失って以後は、それすら不可能になった。命からがらコロニーへ逃げ延びたククトニアンたちに、数十光年離れた惑星へ、こっそり観測するためだけに恒星間航行船を仕立てて送るような酔狂な真似をする余裕はもはやなかったのだ。それでも長年の習慣から、監視だけはかろうじて続けられていたが、その実態はと言えば、過去に設置したセンサやプローブ群がとぎれとぎれに送ってくるデータを受信、分析することでお茶を濁していたにすぎない。 ククトニアンが地球人の超光速航行技術開発の兆候を見逃し、結果としてイプザーロンへの侵略を許す羽目になったのには、実はそんな事情もあったのである。 ……ブリッジに1歩足を踏みいれると、敵意と恐怖の視線が八方からやってきた。まだ若い護衛兵のひとりが雰囲気に呑まれたように銃を構えかけるのを、シリダ艦長は手で制する。そういえば、こういう直接的な敵意を浴びる環境は初めてかもしれんな、と彼は思い、連れてきたのが経験のない若者であることをほんの少し後悔した。この分だと、ちょっとしたきっかけで恐慌を起こして銃を乱射しかねない。 イシカワが地球人たちに状況を説明している間に、ヘルマンは座席のひとつに歩み寄っていた。そこの要員と少し話し合ってから、シリダ艦長を振り返る。 『ここから本船のメインコンピュータにアクセスできます。ただ……我々は戦闘艦ではありませんから、我が軍の動向について最新の情報を持っている訳ではありません。たとえ持っていたとしても、同じ地球人として利敵行為を行うこともできません。そのあたりは了解いただけますか』 つまり、最新かつ重要な情報は、すでに破棄したかプロテクト済ということだな、とシリダ艦長は内心で冷笑した。だが口に出しては追及せず、同伴してきた技術者たちを促す。心得たとばかりにうなずいたふたりの技術者はその座席に歩み寄り、要員が気味悪げに立ち去るのを尻目に器材をセットすると作業を始めた。これから彼らは母艦デールの支援を受けながら、マルグリットが持つ情報を吸い出しにかかることになる。 とりあえず、これで臨検の目的のひとつは達したか……少しだけほっとしながら、シリダ艦長が目についた疑問をヘルマンに尋ねようとした時である。 突然、けたたましい警報音が鳴り始めた。 「警告、警告。船内で銃器の使用を感知しました。場所はICU付近。船内器物及び人員に損害が出ている模様。繰り返します。警告、警告──」 『ICUよりブリッジ! アストロゲーターどもが発砲しやがりました! 負傷者現在2名! 船長、応戦の許可願います!』 甲高いミラの声に続いて、興奮しきったわめき声が聞こえた。一瞬にしてブリッジの空気が冷えきったものに変わる。猛然と飛び出していくイシカワ大佐を横目に、ヘルマン中佐はさっと異星人の指揮官を振り返った。一体どういうつもりだ、そう言いかけ、フェイスプレートの奥の顔に──奇妙なことだが──しまったとでもいうような感情が走ったのに気付いて口を閉じる。 この男にとっても、これは予想外の事態なのか? 意図された衝突でないのなら、回避することは可能かもしれない……漠然とそう思った瞬間、ヘルマン中佐は行動を起こしていた。自席に駆け寄ると船内電話を取り上げ、船内放送のスイッチを入れる。 「こちら船長だ。全乗組員、医療スタッフに告ぐ」 話しながら、中佐はシリダの様子をうかがう。すでに動揺を押さえ込んだらしい彼は、こちらも誰かに指示でも出しているのかさかんに話をしていた。彼の部下はと言えば、警戒の色こそあらわにしているものの、特に不穏な行動に出そうな気配はない。しかも良く見ると、シリダは兵士が持つ銃に手をかけ、銃口を下へと向けさせている。 向こうもとりあえず戦闘を望んでいないようだ……希望が確信へと変わるのを感じたヘルマン中佐は、やや声を高めて語を継いだ。 「……いいか諸君、船内をうろついている異星人には構うな。何かあれば、それは奴らにこの船を攻撃する格好の口実を与えることになる……これが不本意かつ腹立たしい状態であることはよく分かっている。だが、奴らの挑発に乗って、この船を破壊されるような事だけは絶対に避けなくてはならん、分かるな? ……繰り返す、くれぐれも、船内の異星人には構うな。船長より以上」 素早くスイッチを切り替え、ICUを呼び出して状況を尋ねる。発砲を受けた医療スタッフがレーザーメスを持ち出し、一旦は戦闘になりかけたものの、異星人がすぐに攻撃を手控えたため、現在は睨み合いの状態だという。 「異星人は何人いる?」 『3人だと思います。数は少ないですが強力な火器を持っていて……』 「分かった、今から事態収拾のためにそっちに行く。いいか、無事に釈放されたければ絶対にこれ以上のもめ事起こすなよ」 『しかしそんなことを言われても、向こうがまた撃ってきたらこちらも応戦せざるを……』 ……それ以上聞かずにヘルマン中佐は電話を置き、シリダを振り返った。彼の言葉を聞いていたのだろう。異星人はうなずくような仕草をすると口を開く。 『むやみに敵対行動を取らないよう、指示を出した』 「ありがたい」 それ以上言う必要はなかった。ふたりはどちらからともなくきびすを返し、ドアに向かう。 「……船長、どちらへ!」 副長のキルコイン少佐が声をあげた。 「ICUだ。もしかすると我々が出る必要があるかもしれん」 「危険です!」 「心配するな、そこにいる異星人の偉いさんも協力してくれるそうだ……そうそう副長、偉いさんが席はずす間、そこの異星のお客さんがたの面倒をまかせる」 「ええっ、わたしがですか?!」 「せいぜい丁重に扱ってやれよ。あまり恐がらせるとブリッジで銃を乱射しかねんからな」 まあ、これくらいの揶揄は許されるだろう思いながら、ヘルマン中佐はシリダの様子を見やる。と、彼が一瞬、憮然とも苦笑いともつかない顔をしたように見えた。 漠然とシリダ艦長が想像したほど、衝突の現場は荒れてはいなかった。それほど広くもない部屋の一方に女を含む数人の地球人が、もう一方にククトニアンたちが固まって睨みあっている。よくよく見ると、地球人たちはどこかへ通じると思われるドアの前に立ちはだかるようにして頑張っていた。少し離れた場所では、イシカワが負傷者の手当をしている。それを見るなり、ヘルマンはそちらへすっとんでいった。 「ダウア中尉、何だこの騒ぎは!」 部屋に入るなり、シリダ艦長は部下に詰問した。名指しされた若い士官は慌てる様子もなく応じる。 「あの部屋の中を見ようとしたら、地球人どもが敵対行動に出てきました」 シリダ艦長は首をめぐらせ、ダウア中尉が示したドアを見た。地球人が立ちはだかっているドアである。 「……船長、あのドアの向こうには何がある?」 『ICU……集中治療室です。デリケートな容態の患者を扱うための病室です』 翻訳モードにスイッチを切り替えて尋ねると、即返事が返ってきた。 「わたしの部下は、中を確認しようとしたら抵抗されたので発砲したと言っている」 『力づくで押し入ろうとしたのはそっちだと、うちの連中は言っています』 割り込んできたのはイシカワだった。シリダのほうを振り返り、険悪な顔を向けている。翻訳器ごしにも彼がかなり憤っているのが分かった。 『あの中の環境は厳重に管理されています。それだけの管理が必要な患者ばかりなんですよ。ここに居るのは看護士と看護婦です。人の命を守る者たちが、未知の病原菌やウィルスを持っているかも知れない異星人に無理矢理入ろうとされて黙っていられますか?』 「……貴様らこそ、我々の地を食い荒らしに来た病原菌だろうが」 無表情につぶやいたのはダウア中尉だった。彼はシリダ艦長に視線を向ける。 「艦長、あそこには何か、我々に知られたくない物が隠してあるようです。戦闘力では我々が勝っていますから、突破するべきだと思いますが」 「無茶を言うな。本格的な戦闘になるぞ。そうなれば我々が圧倒的に不利だ」 「外の機動兵器隊に支援させれば、不可能ではありません」 「中尉、相手は地球人だぞ。過度に刺激するれば何をしでかすか分からん連中だ。何かあれば我々全員が生きて戻れんのだぞ」 「地球人どもにやりたい放題させるよりはましです」 「…………」 冷静になれ、とこの強硬な中尉をシリダ艦長は怒鳴りつけかけ、かろうじて自制した。ここでククトニアン同士が対立していると思われるのはまずい。それこそ地球人のことだから、そこにつけこんでなにか画策してくるかもしれない。 ここは一旦引くか……と彼はふと考えた。確かに、あの向こうに何があるのかは気になるが、ここでごり押しすれば余計事態を悪化させかねない。いちど状況を整理した上で、ヘルマンと交渉したほうが良いかもしれない。時間がない訳ではないのだし。 そう指示しようとして、シリダ艦長はダウア中尉の視線に気付いた。若い中尉は相変わらず無表情に上官を見つめていたが、その目の奥には何とも言えないぎらついた光があった。と、シリダ艦長が見返すとついと彼は目をそらし、その光を隠すように目を細めて地球人をにらみつける。 ……どうやらそれも難しそうだな、と、白くなるほど唇を引き結んだダウア中尉の横顔を見ながら、シリダ艦長はひそかに嘆息した。一時的とはいえ妥協と取られる真似をすれば、部下に対しても地球人に対しても悪い影響が出る可能性がある。地球人はともかく、ここで統率が乱れるような羽目になるのは何としても避けたかった。 「……船長」 シリダ艦長は、慎重にヘルマンを呼んだ。 「その部屋の中をみせてもらおう」 『それは承諾できません。病院船の責任者として、患者の安全を守る義務があります』 「忘れたのか、わたしは最初にこう告げている。船内での我々の行動を妨げる場合、マルグリットを破壊すると」 『しかし』 「2度は言わない。ククト軍の名において、その部屋への立ち入りを要求する」 『…………』 部屋の向こう側にいるヘルマンの顔が、苦渋に歪むのが見えた。しばらく待ってから、シリダ艦長は思い出したように付け加える。 「我々は気密服をつけているから、汚染の可能性は低いだろう。我々だって地球産の病気になど感染したくない……心配だというのなら、この上にさらに規定の措置を行ってもらってもいい」 それでも長い間、ヘルマンは黙っていた。なりゆきを見守っていたイシカワが何か言いそうなそぶりをするが、シリダ艦長が鋭く見やると気圧されたように口をつぐむ。 さらに無言の時間が経過した。いつまで待たせる気だと思い始めた頃、ようやくヘルマンはぽつりと言った。 『……分かりました』 ……シリダ艦長は内心、大きく息を吐いた。 「デールより通信が入りました。『貴船を病院船と認め、識別コードを発行する。今後我が艦船に対してはこのコードを使用されたし。ただし、貴船以外が使用した場合はただちにコードは無効とされる』以上です」 「やれやれ、別れの挨拶もなしか」 船長席におさまったヘルマン中佐はひとつため息をつき、身体をのばした。コンピュータオペレータ席に目をやると苦笑する。 「おい、そういつまでも神経質になることはないだろう。奴らも別に変な物は持ち込んでないさ」 「それはそうですけどね、アストロゲーターが触ったと思うだけで何だかいやなんです」 せっせと自席の掃除を続けながらオペレータが応じた。中佐は再び苦笑する。 「それはいいがな、ハッキング手法の分析は明日までに出すんだぞ。至急司令部に提出しなくちゃならんのだからな」 「分かっています。やり口さえ分かれば奴らにこっちの情報が渡ることもなくなるんですからね。我々も自軍の勝利に貢献できるって訳だ。気合い入れますよ」 「データの損失の方は?」 「量的にはかなり持っていかれましたが、まあたいしたことはありません。重要な物はディスクに移して隠してましたし……さすがに奴らも、最新の暗号表が俺の部屋のバスルームにあるとは思わなかったようです」 「……そんなところに入れてたのか……」 「もっとも、連中もおかしいとは感じていたようですね。さかんにデータの照合を行っていた形跡があります……次はこの手は使えないでしょう」 「そうか」 中佐はふと窓外を見やった。当然ながらデールの姿はすでに見えない。 もう2度と会うことはないだろう、と、シリダの顔を思い出しながら彼は思った。まあ、会いたいと思うほどの相手でもないが……。 「よろしいのですか? 識別コードなど発行して……司令部はきっとうるさいですよ」 「司令部にはわたしから説明する」 副長が懸念をにじませて言うのに、シリダ艦長はそっけなくうなずいた。 「いくら非戦闘艦といえども、地球軍の動きと連動して行動していることには変わりない。奴らの動きが把握できれば地球軍の動向も読みやすくなる。病院船1隻見逃すくらい安いものだ」 「奴ら大人しく使うでしょうか、コードを」 「使わなければ、なすすべもなく我々に撃破されるだけだしな。あの船の地球人どもが、口先だけでなく本当に患者を守る義務があると思っているのなら、使うだろうし、使わざるを得まい」 「成程」 ふたりは口をつぐみ、どちらからともなく前方に視線を向けた。ブリッジの窓を通して星の光が見える。 「……少し休憩してくる」 やがて、シリダ艦長はそう言い、席を立った。 「自室にいる。何かあったら呼んでくれ」 「了解しました」 副長の敬礼に短く答礼し、彼はブリッジを去った。 ![]() 病院船オプテンノール(天応丸)の話を読んでいて思いついたものです。 実際には、宇宙空間での戦闘には病院船の出番はあまりないような気もしますね。戦場はやたら広いから、戦闘があるたびに駆けつけて救助という訳にもいかないし、そもそも撃沈されればほぼ全滅だし……どちらかというと、艦隊や船団を回っては、普通の艦の医務室では手当が難しい傷病者を引き取って高度な医療を行う、といった役回りになるんでしょうか。 それにしても、おっさんばっかです。 |