Original Story of VIFAM | |
ふたつの過去ふたつの道
![]() 「ふたり歩いた時を、信じていてほしい」 ――――星の在り処/英雄伝説VI 空の軌跡 その日、フレッチャー大尉はコヤマ分遣隊司令の呼び出しを受けていた。 「フレッチャー大尉、参りました」 「お疲れ様大尉。まあ座って」 女傑の名をほしいままにしているコヤマ大佐は、その評価に似合わぬおっとりした仕草で椅子を示した。しゃっちょこばって座る彼に笑顔を向ける。 「早速だけど用件に入りましょう。まず、来月1日付けで少佐に昇進です。おめでとう」 「は、ありがとうございます」 「同時に異動にもなります。フレミング少佐が地球へ戻るので、その後任として本部のスタッフに加わってもらいます。あなたの後任はリュカス中尉。彼も大尉に昇進です」 「了解しました」 本部スタッフということは、前線に出ることもほとんどなくなるわけか、とフレッチャーは考えた。昇進はもちろんうれしいが、これまで実戦部隊一筋でやってきた身としては一抹の淋しさもある。 「あなたの部隊の下士官以下にも何人か昇進と異動があります。手配をよろしく」 「はい」 下士官以下への昇進や異動の通知と、それに伴う事務手続きの管理は、直属上司であるフレッチャーの仕事になる。渡されたリストを素早くチェックした彼は、リー軍曹の名前に気付いた。曹長に昇進である。これでリュカスの補佐を任せられるな、とフレッチャーはほっとする。実を言うとリュカス中尉には心なしか頼りなさを感じていたのだが、リーがつくなら大丈夫だろうと彼は思った。 「それと、これは別件ですが……」 コヤマ大佐が再び口を開いた。すでにスケジュールや引き継ぎについてあれこれと考え始めていたフレッチャーは、あわてて彼女に注目する。 「1週間後に捕虜を収容施設へ移送します」 「1週間後に?」 とっさに感じた驚き……というか、何か他の感情を押し隠して、彼は鸚鵡返しに問い返した。コヤマはうなずく。 「移送にも耐えうる回復状況だというハチェット軍医少佐のお墨付きが出ましたから。丁度補給艦が着くことですし、ついでに送ってもらうことにしました」 「……そうですか」 なぜ自分が落胆しているのか分からないまま、フレッチャーは応じた。スレン・ダウアは捕虜なのだ。たまたま負傷し、治療が必要だったからここにとどまっていただけで、本来なら速やかに施設に送られるのは当然である。当然なのだが……。 そんな彼の様子を、デスクの向こうで両手を組んだコヤマはどこか観察でもするような目つきで眺めていた。フレッチャーがその視線に気付くと、待っていたかのように話しかける。 「まあ私的な意見を言えば、彼をとどめておいても特に問題ないとは思うのですけど……そうでしょう? 大尉」 「……さあ……私には何とも……」 自分の出生とダウアとの関係を、彼はいまだに誰にも話していない。というか、話すことができないでいた。単なる推測であり、確認したわけではないから、というのが理由ではあったが、それが自分に対する言い訳でしかないことは、フレッチャー自身がいちばん良く分かっていた。確認など、ステーション備え付けの医療機器を使えば簡単にできるのである。 結局、自分がククトニアン認定されてしまうのが恐いのだ、と苦々しくフレッチャーは認めた。そのことで、自分がこれまで築き上げて来たものが砂上の楼閣になってしまうのが。情けない話ではあるが、本音は本音、ごまかすことはできない。 そんなフレッチャーの内心など知らぬげに、コヤマは話を続けていた。 「実を言うと、あなたとダウア大尉については、あちらの司令から何度か探りを入れられているのよ」 「……?」 あちらの司令、とはククト側のステーション司令だろう。ダウアはともかくなぜ自分まで? と首をかしげるフレッチャーをよそに、何か思い出したのか彼女はくすりと笑う。 「彼らのことだから、きっと、あなたたちを使って何かしたくてうずうずしてるんでしょう。どうやらあちらでは、ダウア大尉をうっかりこちらに渡してしまったことをかなり後悔しているらしくて、何かというと私をつついて差し出させようとするの。勿論、その度に丁重にお断りしていますけど」 「我々を使う……ですか? 何のために?」 「十中八九、政治的なプロパガンダでしょうね」 「プロパガンダ?」 「そう。隠蔽された虐殺行為とその生き残り、30年を隔てた不幸な再会と、それを越えた肉親の情。ヒューマンドラマとしてはあなたとダウア大尉は願ってもない材料な訳ですから。理屈を越えた物語であればあるほど、人は感動し影響を受けやすくもなるわけだし、使い方次第ではあなたたち、両星をまたぐ強力な広告塔になれるわよ」 フレッチャーは絶句した。言外の含みから、大佐も薄々自分たちの事情を察しているだろうとは思っていたが、公的な場でここまではっきり指摘されるのは予想外だった。何を、どこまでこの大佐は掴んでいるのだろうか、と冷や汗をかく思いでフレッチャーは考える。 だが、その後のコヤマの話は、さらに衝撃的なものだった。 「何しろ政治運動が服を着て歩いているのがリベラリストの皆さんですからね。多分、あなたたちをネタに、地球人には30年前の犯罪行為を叩き付けて代償としての協力を迫り、コロニー側に対しては、あなたたちの悲劇性をアピールして戦争無用の気運をたきつける、そんな思惑でも抱いているのではないかしら」 これでダウア大尉が転向でもしてくれれば彼らにとっては完璧だけど、さすがにそこまでは無理でしょうね、と続けるコヤマを、フレッチャーはただ呆然と見つめる。 自分の存在が、リベラリストの地球への脅迫の材料になるかもしれない……。 それは、セオドア・フレッチャーという平凡なパイロットが、巨大な国家闘争の真っ只中に巻き込まれることを意味していた。 「……私は……私はそんなことは望みません……」 長い沈黙の後、彼はようやくぎくしゃくと首をふった。絞り出すようにつぶやく。 「確かに私はスレン・ダウアと兄弟で、地球が……地球が行ったベルウィック侵攻の生き残りなのかもしれません。ですが……ですが……そんな……今更……」 言葉半ばでなんと言っていいか分からなくなり、息を大きく吸って気持ちを落ち着かせた。震える手を握りしめ、座っている膝に力を入れる。 「……彼だってそうです。彼は政府軍の軍人ですよ。属する世界を裏切るようなことに自分の過去が使われるのを許す訳がありません」 「分かっています、大尉」 コヤマはきっぱりとうなずいた。その顔は柔和だったが、黒い目の輝きは断固としている。 「こっちだってそんなことをされたらたまったものじゃないわ。むろん、あなたたちのことはいつかは公にしなくてはならないし、するべきだと私は思います。でもそれは我々自身の手で決めることであって、リベラリストがくちばしを突っ込んでくる筋合いはありません。何より、我々は彼らの道具ではない、そうでしょう? フレッチャー大尉」 「…………」 ああそうか、とフレッチャーは悟った。だから大佐はダウアを収容施設に送るのだ。リベラリストにいいようには使われないという意志表示のために。そして彼を利用させないために。 もしかすると、自分の異動も目的はそれなのだろうかと彼はさらに思う。前線からはずし、司令直属とすることで、彼女の保護下に自分は置かれようとしているのだろうか……。 「そうそう、言い忘れていたけど」 コヤマ大佐が口調を変え、フレッチャーは我に返った。 「フレミング少佐も同じ船で出発します。だからそれまでに引き継ぎは済ませて、こちらの仕事もできるようにしてください。大変だとは思いますけど、これを逃すと次は1ヶ月後になってしまいますから」 「……はい」 きっとそれはないな、と彼は肩を落とした。 フレミング少佐との打ち合わせで疲れ果ててはいたが、それでもフレッチャーの足は自然とダウアの所に向かった。 医師や看護士たちが何も言わなくなっているのをいいことに、軽い挨拶を残して勝手に医務室を通り抜ける。病室の前で監視モニタを確認すると、ダウアはベッドに寝ころんでぼんやりとビューアーを眺めているところだった。退屈そうだな、とフレッチャーは内心で苦笑する。 怪我が重かったころはともかく、ほとんど回復した今、この囚人生活が彼にとってつらいものになっているらしいことは傍目にも明らかだった。勿論、規定通り運動の時間などもちゃんと設けられているのだが、地球人と一緒のトレーニング室を使うのが気に入らないのか、「フレッチャー大尉と同じ顔」が注目の的になるのが嫌なのか、拒否したり、出ても早々に切り上げたりしてしまう。かといって特に労務などが課されている訳でもないから、どうしてもこうやって日がな一日ゴロゴロしていることになるのだった。最近では、彼の暇っぷりを見かねたフレッチャーが、当たり障りのない(そして言葉が分からなくても理解できそうな)娯楽ソフトを入れたビューアーを差し入れたり、知り合いのククトニアンから本を調達してきて貸したりしている。 「フレッチャーだ、入るぞ」 そう声をかけて病室に入ると、ダウアは我に返ったように身を起こして翻訳機を身につけた。普段だったらついでにビューアーも消してしまうのだが、どういう風の吹き回しか、この時はそれをせず、逆に映っている画像を彼に指し示す。 「この景色だが……」 「うん?」 「これは地球なのか?」 フレッチャーは近寄り、いつもの通りベッドの端っこに腰をおろすとビューアーをのぞきこんだ。 「ああ、これは麦畑だな。まだ緑色だが」 「ムギ?」 「穀物だよ。主食にもなっている。ほら、パンやパスタがそうだ」 「あれか」 ダウアは顔をしかめた。どうやら両方とも口に合っていないらしい。 「写真だと分かりにくいが、実物はすごいスケールだぜ。じいさんとばあさんが田舎で丁度こんな農場をやっていて、何度か遊びに行ったことがあるんだが──」 そこで不意に口をつぐんだフレッチャーは、きまり悪げに咳払いをした。しばらく話題を探した後、ようやく「気に入ったのか? それ」と問いかける。孤児として育ったダウアに対して、実のではないとはいえ家族の思い出話をするのは、彼にとってはいささか気が引けることだった。 「前に似たような写真を見たことがある」 そんな彼の思いなど知らぬげに、ダウアは淡々と答える。 「どこで?」 「本国で。核戦争前のククトの写真に、丁度こんな感じのがあった」 そう言う彼の目にはどこか憧憬に似た色があった。1000年以上に渡ってコロニーを全てとして暮らしてきたククトニアンにとって、惑星上の風景というのは限りない憧れなのだと誰かから聞いたのをフレッチャーは思い出す。それだけに、それを奪った地球人に対する怒りは深いのだとも。 自分にとっては何の変哲もない、緑の麦と青い空。 ……なんとなしにフレッチャーは自分の淡青色の髪を引っ張った。ダウアの視線がそちらへ向かうのを見てあわてて手を降ろす。 「ククトに降りたことはないのか?」 「任地にでもならなければ見ることもない。もうそうなることもなさそうだが」 ダウアはそう言い、皮肉げにちらりと口の端を上げた。 「まあ、軌道上に来れただけでもよしとするかな」 「誰からそれを?」 「看護士が口をすべらせたらしいが」 「……やれやれ」 フレッチャーは天井を仰いだ。本当に口をすべらせたのか、ダウアが巧みに聞き出したのか……いずれにしても捕虜が知っていいことではないが、彼は咎めなかった。そんなことをしたら、せっかくここまで心を許してきたダウアを、再び遠ざけてしまうような気がしたからである。まあたいしたことではないし、あと1週間しかいないのだし、と、そんな自分の態度にフレッチャーは内心で言い訳をする。 あと1週間……不意にその現実がのしかかり、彼の心は重くなった。 「どうかしたのか?」 「……いや、何でもない」 これも捕虜が知っていいことではない。その日が来るまで、ダウアには何も知らないまま過ごしてもらわなくてはならない。不審そうな彼に首をふり、ふと思いついてフレッチャーは尋ねる。 「気に入ったなら写真にしようか? その麦畑」 「いらん」 即答され、フレッチャーは鼻白んだ。だが、言葉の強さとは裏腹に、ダウアは何か迷っているような顔をしている。彼が促してもなおしばらくそのままでいたが、やがてぼそりと口を開いた。 「これはいらないが……ククトの写真か何かあるか?」 「ククト……ああ、うん、確かあったな。ライブラリで見たことがある」 拒否された訳ではなかったことにフレッチャーはほっとし、なぜか妙に嬉しくなった。一方のダウアはといえば、正面きっての頼み事をするのが気恥ずかしいのか、仏頂面でそっぽを向いている。 「今のククトのでいいんなら持ってくるが、何か好みは?」 「……任地にならなければ見ることもないと言ったろう。何があるかも分からんのに好みもなにもあるか」 「でもククトニアンの故郷なんだろう?」 「最近まで核汚染されていたんだぞ。誰が好き好んで荒れ果てた故郷など見たいものか」 「……確かに」 まるで苦い物でも吐き出すかのようなダウアの言葉だった。民族的なトラウマか、とフレッチャーは考える。ククトを滅ぼし、ククトニアンをコロニー生活に追いやった核戦争のことは彼も知っていた。 それでもなお見たい、と言い出したのは、軌道上にいるということに望郷の念を刺激されたものか、それとも、捕虜となった以上二度と故郷に戻ることはかなわぬと覚悟したのか……いずれにしても、自分たちが地球を恋しがるのとはくらべものにならないほど、悲痛な感情に違いない。 なれし故郷を放たれて夢に楽土求めたり……どこかで聞いた歌詞が脳裏をよぎる。気の毒な話だ、と彼は思った。 ……と、不意にその頭にひとつのアイディアが閃いた。 「……なあ」 「何だ?」 「写真なんかじゃなくて、直にククトを見たいと思わないか?」 ダウアは目を見張って振り向いた。彼は肩をすくめる。 「なに、ここにはククトに面した展望室があるんだ。行って帰ってこられれば別に難しいことじゃない」 「どうやって行って帰るつもりだ?」 からかわれたと思ったのだろう。ククトニアンの声が険しくなる。 「私は捕虜なんだぞ。お前みたいに好き勝手に歩き回れる身分じゃない。もう少し考えてからものを言え」 「考えなしで悪かったな。方法がないわけじゃない」 「ほう、では聞こうか」 「そうだな……俺に変装するってのはどうだ?」 「…………」 呆れかえって黙り込んだダウアを前に、フレッチャーはむきになって続けた。 「俺の外見でいちばん目立つのはこの髪だ。逆に言えば、みんなこの髪を目印にして俺を見てるから、そこさえ同じなら他が多少違ってもばれない可能性は高い。ましてやあんたは顔も体型も俺とそっくりなんだしな」 「似ているからこそ、些細な違いが目立つ可能性もあるぞ」 ダウアの手が首の付け根に見える傷跡に触れる。フレッチャーは首をふった。 「ところがそうでもないんだな。俺の場合、髪の印象が強すぎるらしい。髪を染めるととたんに俺が見分けられなくなる奴は実は結構いる」 「そんな薄弱な根拠を頼りに冒険をする気にはなれんよ。地球人と相討ちならともかく、馬鹿げた企みに乗せられた挙げ句の銃殺はごめんだ」 「手段は確実なものを考える」 「…………」 あからさまにうさんくさげな顔で、ダウアはフレッチャーを見た。 「お前、正気か? お前は私に脱走しろとそそのかしてるんだぞ」 「別に逃亡しようって訳じゃないだろう。責任は俺が取る」 「どうやって」 「首でも命でもかけてやるさ」 「口では何とでも言えるな」 ふたりはしばらく睨みあう。 「……勝手にしろ。悪巧みははお前たちの得意分野だからな」 やがて、ダウアはつきあってられるかといった調子で言い放ち、ビューアーを消した。言い返したい気持ちをぐっとこらえ、フレッチャーは汗ばんだ手のひらをそっと制服で拭く。 「近いうちにまた来る。少し忙しいんで時間は遅くなるかもしれないが」 ダウアは答えず、話は終わりと言わんばかりにベッドに寝転がると眼を閉じる。頑固者め、と内心で悪態をつきながら、フレッチャーは勢いよく立ち上がった。 ……もしかして俺たちはケンカをしたのか? とふと思ったのは、部屋を出てからしばらく後のことである。 「……正気ですか? 大尉」 リー軍曹の反応は、奇しくもというか当然ながらというか、ダウアと同じものだった。フレッチャーは彼に向かって頭を下げる。 「無理は承知の一生の頼みだ。ディック、いちどだけでいい、助けてくれ」 「いやまあ、協力するのはいいんですけどね……ばれたら首が飛ぶだけじゃ済まないですからなあ……」 「悪いのは全部俺だ。俺が無理矢理引きずり込んだんだ。迷惑はかけない……とはちょっと言えないが、とばっちりが行かないように全力をつくす」 「そこで力まれてもこっちも困るんですが……何で大尉はあの捕虜にそこまで入れ込むんですか? いくら瓜二つって言ったって、奴は異星人だし、敵なんですよ?」 「それは……」 もっともなリーの問いかけにフレッチャーは口ごもった。いっそ話してしまおうか、という考えがふっと頭をよぎる。 「……敵と言ってもお互い宮仕えで敵対してるんだし、感情的に悪いものがある訳じゃないからな。望みがあるなら力になってやりたいと思うのは当然だろう?」 「軍規を越えてまで力になってやろうとするのもどうかと思いますけどね」 リーは嘆息した。だが、話のなりゆきについてはあきらめているようで、すぐに「で、俺は何をすればいいんですか?」と聞いてくる。 フレッチャーは勢い込んで言った。 「奴を俺に変装させて、ククトニアン区画にある展望室まで連れてきてくれ」 「……は?」 「こればっかりは俺じゃ無理なんだ。必要な根回しは全部やっとく。奴を連れ出して、俺と一緒にいるような顔をして歩いてきてくれればいい」 「……まあ、確かに大尉がやるんじゃ一発でばれるでしょうが……」 今度こそ困り果てたように、リーは肩をすぼめた。 「俺は捕虜の扱いなんて知りませんよ。何かあってもどうしたらいいか」 「俺だと思えばいいんだよ。まあ多少気難しいし異星人だが、同じ士官で機動兵器乗りだ。そうそう違いはないさ。顔だって同じなんだし」 「その気難しいって所が何かひっかかるんですが」 「まあ何というか、地球人との戦闘で身内が死んでるらしくてな」 「それって気難しいってレベルの話じゃないのと違いますか」 「別にいきなり襲いかかるとかそんなんじゃないさ。現に俺には普通に話してるぜ」 それはダウアが彼を地球人だと思っていないからなのだが、あえてフレッチャーは黙っていた。言えばまたややこしいことになるのは目に見えている。 「……分かりました。引き受けます」 ややあって、半ばやけくそ気味にリーはうなずいた。 「なんだか激しくやばいことになりそうな気もしますが、一旦やると言ったらやりますよ。任せてください」 「ありがたい! 恩に着るよディック」 「今度おごってもらいますからね」 「おごるとも、1ヶ月でも2ヶ月でも、好きなだけおごってやる」 「……いや、やっぱりやめときましょう。おごってもらったりしたらまた何かやらされそうです」 小躍りせんばかりに喜ぶフレッチャーを前に、口をへの字にしたリーはため息をついた。 ──4日後の真夜中。 病室を訪れたリー軍曹は、ドアを開けるとするりと中に入り込んだ。待っていたダウアに短く名乗ると、手にした包みをベッドに置いて後ろに下がる。 「これを着てください。ご案内します」 包みの中には国連軍士官の制服一式が入っていた。ダウアが嫌悪の表情を浮かべるのを見て、リーは再び口を開く。 「きっとあんたはものすごく嫌がるだろうと大尉は言ってました」 「…………」 ダウアは鋭くリーを一瞥した。一瞬、妙に緊迫した空気が流れる。やがて彼は完全に表情を消すと、やや乱暴な手つきで制服を取り上げ構造を確かめながら身につけていく。 だが、大体はククトの服と同じでも、ボタンやホックなどの細かい部分がどうしてもうまくいかない。もたつく彼をしばらくリーは眺めていたが、やがて決然として近付き手伝い始めた。 「……まあ、こんなものでしょう」 しばし後、できあがった偽フレッチャーを前にリーはうなずく。 「あんたのほうが大尉よりちょっと背が高いようですな。まあ、並びでもしない限りばれないとは思いますが……翻訳機はつけててもいいですが、外からは見えないようにしてください。誰かに出くわしたら受け答えは俺がしますから、あんたはただにこにこしていてくれればいいです」 「にこにこ……?」 「フレッチャー大尉は人当たりがいいんです。あんたと違って」 「…………」 ダウアの視線をどこ吹く風と受け流し、涼しい顔でリーは病室のドアを開けるとどうぞこちらへと言った。彼の後ろについて病室を出たダウアは、いつもは当直医がつめているはずの医務室を見回し、誰もいないのに首をかしげる。 「席を外してるようですね」 さらりとリーは応じると彼を促す。実は示し合わせての不在だと気付いたか気付かなかったか、ダウアは無表情なままリーと共に歩き出した。 娯楽が豊富でないこのステーションでは、人々の夜も比較的早い。消灯時間も過ぎ、やや暗くなった通路を、リーとダウアは並んで歩いていた。人の声がすれば立ち止まり、気配がすれば道を変えるといった用心のしようである。見つかれば脱走と脱走幇助になるのだから無理もないことではあるのだが。 「……心配しなくても、ちゃんとご案内しますよ」 時折盗み見るダウアの視線に気付いたリーが、つぶやくように低く言った。 「フレッチャー大尉に頼まれてますからね。地球人嫌いの異星人のために首をかけての軍規破りなんて馬鹿らしい気もするんですが、大尉はあんたを好きらしいから」 「……お前は私が嫌いのようだな」 皮肉たっぷりに──だがさすがに声をひそめて──ダウアも言い返す。リーは肩をすくめた。 「嫌いじゃないですけど好きでもありませんね。自分を殺しに来る奴をなんで好きにならなきゃならないんです。その辺はあんたたちと同じですよ」 「お前の上司はそうでもないようだが?」 「フレッチャー大尉ね、あの人はお人好しですからね」 リーの目にちらりと敬愛とも苦笑ともつかない光がよぎる。 「一体どんなお坊ちゃんな育ち方をしたんだかと思いますよ。まああんな見てくれだし、実際にはいやな目にも結構あってるんでしょうが、全然そんな感じはしませんから」 「見てくれ?」 「あの頭です」 ダウアが話に乗ってきたのでいくらか緊張がほぐれたらしい。歩きながら、リーは自分の頭をちょいとつついてみせる。 「何というか、あの髪の色は普通じゃありませんからね。実は目のほうもなんだか妙な色をしてるようですが、やっぱりあれですよ、いろんな意味で目立つのは……そんなきょとんとした顔をしているところを見ると、あんたたちククトニアンにとっちゃ別におかしくもないみたいですな」 「…………」 そういえばフレッチャーが時折髪を気にするような仕草をするのを、ダウアはふと思い出した。少し考え、そして口を開く。 「実際の所、あの男の外見はどんな風に見えるんだ。お前たちには」 「そうですねえ……はっきり言っていいですか? きっとあんたには不愉快ですよ」 「地球人がからんで愉快だった事はないからな、別に構わん」 「……まあ正直、薄気味悪いというのが大方の所でしょうね」 はっきり言うと言った割には、やや口にしづらそうなリーの口調だった。 「勿論、つきあってみればそんなことは全然ないですがね。いい人だし、優秀だし、そこそこスマートだ。ただ、ぱっと見はどうしてもね……損をしてると思いますよ、大尉は」 「…………」 ダウアは何とも言い難い表情でまじまじとリーを見た。口を開きかけたがすぐに閉じ、そのまま考え込む。しばらくして彼は再びりーに視線を向け、何か言いかけた。 と、その時だった。 突然、すぐそばの角から人影が現われ、よろめくようにダウアにぶつかりかけた。不意をつかれてふたりはぎょっとする。いつの間にか会話に気を取られ、注意がおろそかになっていたらしい。 「……おい、気を付けろ!」 「すみません!」 リーの怒声に、危うく踏みとどまった若い兵士は身をすくめた。謝ろうとするようにダウアの顔を見上げ……目が合うとふと言葉を飲み込み、何か違和感でも感じたかのように眉を寄せる。 とっさにダウアはフレッチャーの仕草を真似て片手を上げ、気にするなというようにうなずいた。それを見た兵士の顔が、たちまち照れ臭そうな恐縮したものに変わる。 「フレッチャー大尉……すみませんでした。ちょっと酔ってしまって……大丈夫でしたか?」 「酔っぱらってるんなら早く部屋に戻れ。MPに見つかったら大目玉だぞ」 リーが素早く口を挟んで兵士を追い立てながら、さりげなくダウアの背を押す。もういちど頭を下げる兵士からふたりは背を向け、不自然に思われない程度の早足で歩き出した。 「……びっくりさせてくれる」 完全に彼の視界からはずれたのを確認してから、リーが冷や汗をぬぐった。いささか感嘆の混じった目つきでダウアを見やる。 「あんたも意外と演技力がありますな。手の上げ方といい笑いかたといい、フレッチャー大尉そっくりでしたよ。驚きました」 「……不愉快だ」 だが、断ちきるようにダウアは一言だけ言い、あとはぴたりと口を閉じて歩き出す。一瞬、リーはなんとなしに複雑な顔をしたが、やがてやれやれと両手を広げると、こちらもそれ以上会話は続けようしなかった。 ククトニアンの使用区画に入ると、リーはもはや身を隠すこともせず堂々と進んだ。まれに出会うククトニアンも、国連軍の制服を着たククトニアン=フレッチャー大尉だと思いこんでいるのか、特に注意も払わず去っていく。結局、誰にも咎められることなく、ふたりは一室に入り込んだ。 「ここです。大尉ももうすぐ来ると思います」 ……そこが展望室であることはすぐに分かった。壁一面が窓になっており、真っ黒な空間を背景に惑星の一部が巨大な弧を描いて見えている。淡いグレーとブラウン、そして青とわずかな緑によって彩られ、ゆったりと自転するそれは、ククトだった。 「…………」 ダウアは言葉もなくその光景に見とれた。1歩、2歩、窓に近付き、手すりにぶつかるとそのまま魅せられたように眺め続ける。 「……すごいだろう」 ふと気付くと、隣にフレッチャーが立っていた。 彼はダウアとは逆に、ククトニアンになりすましてここまでやって来ていた。借り物とおぼしきククトの服を身にまとい、顔を隠すためかご丁寧に色つきの眼鏡まで手にしている。一方で、髪型がダウアと同じようなものになっているのは、偽フレッチャーがばれないための細工だろう。 「とても核戦争で居住不能になった惑星には見えないな」 「やっとここまで回復した……1400年かかって」 感慨深げな彼の言葉に、独り言のようにダウアは応じる。 「1400年か……」 歴史はあんまり得意じゃないが、とフレッチャーは頭を掻いた。 「その頃の地球じゃ、みんな甲冑と馬で走り回るか、地面にはいつくばって麦やらイモやら作ってた。同じ時代に、あんたたちは宇宙を飛び回ってたんだもんな……全く、すごいよあんたたちは」 「お前だってククトニアンだろうが」 「……ああ、そうだったな」 一瞬の空白、そして意外にもどこか淋しげなその相槌に、ダウアは思わずフレッチャーを見た。 「地球人じゃないんだよな、俺は……」 「…………」 そのつぶやきには、なぜか孤独感すら感じられた。同意の言葉を言おうとして、ダウアはそれを飲み込んだ。だが、代わりに何と言ったらいいのか彼には分からず、分からないことに奇妙な苛立ちを感じて、ダウアは自分と同じフレッチャーの横顔を見つめる。 「……おい」 しばらくためらった後、彼は低く呼びかけた。 たちまちフレッチャーの顔から淋しげな色は消えた。何でもないかのように振り返ってダウアを見る。 「何だ?」 「私は……こうやってお前とククトを見ることができて……良かったと思っている」 「…………」 フレッチャーはしばらく黙っていた。やがて彼は小さく笑い、片目をつぶってみせる。 「そう言ってもらえると、俺も生き延びた甲斐があったよ」 ……数日後、スレン・ダウアは収容施設へ向かうためにステーションを離れた。 引き継ぎ業務でてんてこ舞いをしていたフレッチャーは、見送りに行き損ねた。いやあえて行かなかったというのが正確かもしれない。 「フレッチャー大尉、よろしいですか?」 オフィスに閉じこもり、必死で書類を読み込んでいる彼のもとへハチェット軍医少佐がやってきたのは、輸送船が出発して半日後のことだった。 「大尉とスレン・ダウアの遺伝子照合の結果が出ました。多分、私が直接持ってきたほうがいいかと思いまして……」 「ああ、お気遣いありがとうございます。ドクター」 ステーションには、損傷のため判別できなくなった遺体の身元確認のために、簡単なDNA解析装置がある。生きている時に提出されたサンプルと、遺体のものとを照合するのだ。これを応用すれば、ふたりの人間のDNAがどのくらい一致するか──遺伝的にどのくらい近縁にあるか──を調べることができる。 渡されたプリントアウトに目を走らせたフレッチャーは、特に表情を変えるでもなくそれを折りたたんで保管用のフォルダにはさんだ。 「平静ですね」 「まあ、大体分かっていたことですから」 軍医の言葉に、彼はやや苦笑めいた笑いを浮かべ、淡い青い色をした髪を片手でかきあげた。 「いっそすっきりした気分ですよ。もう少し早くやれば良かったかな……彼には渡していただけましたか」 「ええ、翻訳にちょっと手こずりましたが」 「ありがとうございます。何から何まで」 「構わないですよ。それから、ダウア大尉から伝言を預かっています」 「伝言?」 どきりとするフレッチャーを前に、ハチェットはポケットから何やら包みを引っ張り出した。散らかりきった彼のデスクを見てやや迷ったようだが、かろうじて空いている場所にそっと置く。 「世話になりついでに預けていく、だそうです」 「?」 包みを取り上げ、広げたフレッチャーは、いきなり顔色を変えると椅子を蹴倒して立ち上がった。思わず後ずさるハチェット少佐を尻目に内線電話にとびつく。 「第1中隊のフレッチャーだ、格納庫か?! 今から輸送船に連絡便を出すことはできるか!」 だが返ってきたのは、この距離ではもう無理、という返事だった。肩を落として受話器を戻した彼に、ハチェットがオフィスの隅からおずおずと声をかける。 「……どうしました?」 「俺が……俺が持つべき物じゃないんですこれは……返さないと」 それはダウアの家族の写真だった。恐らくは唯一の肉親の形見であろう品を、彼はフレッチャーのもとに置いていっていた。何考えてんだあいつは、とフレッチャーは唇を噛む。 「そんな大切な品を……彼からは、自分が出発してから大尉に渡すようにと言われていたんですが……」 事情を聞いたハチェットが、いささかうろたえ気味に応じる。フレッチャーは目を見張った。 「出発してから?」 「そうです」 「……そうですか」 フレッチャーは椅子に座り込もうとし、自分が蹴倒していたのに気付いた。よっこらしょと引き起こすと改めて腰掛ける。そして小さくため息をつくと、デスクの上の写真を丁寧に包み直し、引き出しにおさめた。 「また会えますよ」 そんな彼に、隅から出てきたハチェット少佐は慰めるように言った。 「ダウア大尉は預けると言っていましたから。まあ、翻訳機が誤訳した可能性もないでもありませんが……少なくとも、今生の別れとか、そんな覚悟の顔ではありませんでした。きっと彼は、機会があればまた会う気でいるんだと思います」 「……そうですか」 その機会がいつ訪れるのだろう、とフレッチャーは思った。1年後だろうか、2年後だろうか、それとも、また30年後だろうか。そもそも、お互い軍人の身で、それまで生きていられるのだろうか。 一旦しまった包みを再び取り出し、重さを量るように片手に乗せる。家族の絆の証とするには、それはあまりにも軽いように思えた。 「信じてあげたらどうですか? 大尉」 まるで彼の内心を読んだかのように、ハチェットが口をはさむ。 「きっとダウア大尉も、あなたに信じてほしいんだと思いますよ」 フレッチャーは目を上げて彼を見た。そしてうなずき、もういちど包みを引き出しにしまう。 「……そうですね」 閉じた引き出しに向かって、彼は言った。 「そうですね、信じるとしましょう」 ![]() 『ふたつの星ふたつの過去』の続編です。なんだか余計な枝葉をつけすぎた気がなきにしもあらず。 |