陸軍と海軍、その違い
 陸軍は陸で戦うのが仕事、海軍は海で戦うのが仕事、というのが基本なのはもちろんですが、それ以外にも海軍はいくつかの点で陸軍と大きく違っています。
 中でも目立つのがこのふたつです。


1.海軍は外国と戦争するためにできた軍隊、陸軍は国内の治安維持を目的にできた軍隊
2.海軍は基本的に技術者集団


  1. 海軍は外国と戦争するためにできた軍隊、陸軍は国内の治安維持のためにできた軍隊

     日本のような島国では、海軍の大きな役目のひとつは「海を越えて国土を侵そうとする連中を追い払うこと」です。ただ、鎖国をしていた江戸時代、幕府にそういう思想はほとんどありませんでしたし、当然、海軍などというものも存在しませんでした。
     ところが、1853年のペリーを始め、続け様に海外列強の訪問(それもかなり強引な)を受けた幕府はあわてふためきます。そしてまずオランダの協力を得て海軍創設に乗り出し、その後、長州藩が下関を通過するアメリカ船などを攘夷砲撃して返り討ちにあった下関事件、イギリス海軍が生麦事件の報復として薩摩藩を攻撃した薩英戦争を経て、幕府だけでなく日本全体が(というか薩長が)「強力な西洋式海軍」の必要性を痛感、明治維新後すぐに列強にならった近代的設備の海軍導入に踏み切ります。
     つまり、まず列強の脅威があり、それ対抗するために作られたのが明治以降の海軍でした。
     対する陸軍の成り立ちは、これとはかなり違います。実は初期の陸軍についての資料をほとんど持ってないんで正確なところは不明ですが、陸軍は戊辰戦争、西南戦争を経て、不平士族の反乱や農民一揆など、維新前後の混乱期において主に国内の平定、秩序維持のために成立したものです。もちろん、後には外国――列強と戦うことを視野に置いた整備、拡張が進められますが、そうなってきたのは清との戦争が予想されるようになってからだったと思われます。

     この成り立ちの違いは、その後の海軍、陸軍の姿勢に大きな差を生みます。もともと列強との対決を視野に入れて作られた海軍は、常に海外の動向に気を配り、海外の情報や技術、時には考え方までもを積極的に取り入れようとします。対する陸軍はどちらかと言えば国内の状況に眼を光らせる必要があったために、外には背を向けて中ばかり見ることになりがちでした。
     もっとも、明治初期の陸軍の高級軍人は、留学や研究のためにヨーロッパを中心に海外へ行くことも多かったようで、昭和の日本中心主義、精神主義に凝り固まってしまった軍人にくらべればはるかにバランスは取れていたともいえます。


  2. 海軍は基本的に技術者集団

     明治時代、陸軍の戦力で中心になるのは「歩兵」です。
     陸上での戦闘というのは、早い話が陣取り合戦です。相手の陣地に歩兵を送りこみ、相手を叩きつぶすか追い出すかして占領する。そしてそこを拠点にまた前にある相手陣地を狙う――このくり返しで戦争は進められました。もちろん「騎兵」や「砲兵」というのもいましたが、それらは主に歩兵をサポートするために使われていました。ちなみに、飛行機を含めて空から直接敵を攻撃する兵器というのは、この時代まだ存在していません。
     で、そんな歩兵に要求されることはなんだったかというと「指揮官の指示に従って、銃(たまに軍刀)を使って相手を攻撃すること」だけでした。実は明治時代の日本の歩兵は、義務教育のたまものか、兵士ひとりひとりが非常に高い状況判断能力を持っていて列強を驚かせたそうですが、それでも、あまり複雑かつ高度なものを求められないのが陸軍の兵士でした。だから後に「兵卒の値段は赤紙1銭5厘」なんて言葉も生まれてくるんですが……。
     一方、海軍の艦艇、あれは機械の集合体です。戦闘に勝つためにはその機械をいかにうまく操作し、また、壊されたら素早く直して長持ちさせるかが重要になってきます。つまり、扱う側にはそれなりの知識や技術がないと話にならないんですね。
     しかも、どんなに頑張っても1隻の船に乗れる人数は限られていますから「役に立たない」人間を乗せておくわけにはいきません。いきおい、乗組員全員が「役に立つ」――船という機械を動かすのに必要ななにかしらの技能を持っていなくてはならないことになります。それはいちばん下の兵卒であっても同じです。むしろ、直接機械を操作、整備する役目の兵士や下士官のほうが、彼らを管理し指揮する士官よりも専門家である必要がありました。

     海軍では創設後間もないころから、機関学校、水雷学校、経理学校(これは陸軍でも作られましたが)など、様々な専門学校を作り、下士官、士官の教育に当たりました。また、特に下士官は専門技能を持つ者が昇進でも優遇され、技能のない者はいつまでも昇進できず、結局雑用係で終わってしまうなんてこともありました。海軍では優秀な戦闘員であることより、まず優秀な技術者であることを求められたと言えそうです。
     この違いは、陸海軍の兵員補充の方法にも表われています。陸軍は基本的に徴兵によって兵士の補充がされますが、海軍は全て志願制です。意欲のある者に知識と技術を教え込み、少数精鋭の専門家集団でいくというのが海軍のやりかたでした(艦艇の数は限られているので、大勢いればいいというわけでもないというのも理由ですが)。後に軍備拡張が大きくなるとさすがに志願兵だけでは足りなくなって徴兵もするようになりますが、それでも、陸軍でやっていた徴兵検査の合格者を少し回してもらう程度でした。

     そして、陸軍の精神主義、海軍の合理主義の源は、この部分にあるようです。
     敵に向かってとにかく前進、相手を粉砕して陣地を占領という状況では、まず必要なのは精神力になります。兵卒で言えば、敵に攻撃されても逃げ出さないということ、下士官以上の指揮官で言えば、戦場で兵士たちをまとめ、殺されるかもしれないような場所で自分の思い通りに動かすこと……はっきり言って理屈もへったくれもない世界です。ですから陸軍ではまず、精神力を身につけること、指揮官の指示には必ず従うことを文字通り身体に叩き込まれるのです。
     対する海軍ですが、当然ながら精神力や根性では船は動きません。必要なのは、どこをどうすれば自分が担当する機械をうまく扱い、力を出させることができるかという技術、うまくいかない場合はどうすれば解決できるか筋道を立てて考えることができる力です。ですから海軍では、問題を様々な角度から客観的に検討できる視野の広さや、主観にまどわされずに最善の方法を探る論理的能力が教えこまれます。
     こういう「必要とされる資質」と「資質を育てるための教育」の違いが、陸軍精神、海軍精神というものを生み出し、のちに軍そのものの動きまでも左右するようになっていくのでした。




























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