ゆき乃の婚約者が海軍軍人でもあることですし、この方面のことにも触れてみましょう。 「港、港に女あり」がセオリーの海の男ですが、海軍の皆さんもまた例にもれず、女遊びは盛んだったようです。なにしろ大正時代の中頃からは、性病防止のために各人にコンドームが配布されていたくらいですから、これはれっきとした軍公認の“娯楽”だったんですね。 もっとも、彼らが相手にするのはもっぱら芸者や女郎といった玄人さんでした。軍人の女遊びというと、スマートさを武器に美女とあらば見境なくという印象になりがちですが、少なくとも日本の海軍では、素人──市井の女性を、結婚するつもりもないのに口説いて云々、というのは良い行いとされていなかったようです。 この玄人、素人というのは実はかなり厳格に区別されていて、たとえば、士官の結婚相手として玄人の女性は認められませんでした。士官は結婚する時には海軍大臣の許可が必要でしたが、相手が玄人の人だと分かると許可がおりなかったのです。やはり、風紀を保つためにも、娯楽の相手は娯楽のみの関係にとどめるようにという意識が強かったからと言えます。 もっとも、山本権兵衛などは、惚れた女郎を足抜けさせて結婚したそうなので、明治初期はこの点に関してはおおらかだったのかもしれませんが。 なお、海軍では外国人の女性との結婚は特に禁止されていませんでした(廣瀬武夫のように、もろに仮想敵国の女性となるとさすがにヤバかったようですが)。実際、赴任先で知り合った等の縁で外国人と結婚した海軍士官も何人かいます。 が、いつ“敵国の人間”になるか分からない立場の妻を持つというのは、やはり出世等様々な所で支障になることも多く、苦労したようです。 ***
日ごろ港港で女遊びをしていても、海軍には、家族思いの人かなりありました。離ればなれになることの多い艦隊勤務ではもちろんですが、たとえ陸上勤務であっても、全国各地の鎮守府などを転勤で転々としがちだった士官は、いつも不便をかけているという思いもあって、家族を非常に大切にする人が多かったようです。 海軍の名物(?)に「KA回航」というのがあります。これは、艦に勤務している人が、上陸休暇を一緒にすごそうと次の寄港地を奥さん(KA。“かかあ”から発生した隠語)に手紙で連絡するため、艦が入港する時には、全国各地から集まった奥さんたちが港で大勢待っているということを指したものです。まあ、中には奥さんよりなじみの芸者を優先する人もいたでしょうが、一般的に、海軍軍人は我々が想像する以上に、家族と一緒にいられる時間を大事にしていました。 ここで余談を少し。 軍隊や軍人を描くとき、一部の趣味の女性の皆さんが好んで扱う題材に、いわゆるボーイズラブ(最近は『やおい』ではなくこう言うらしいです)、またの名を衆道というものがあります。 日本の海軍で実際にそんなことが──男同士で云々などということがあったのか、というと、実は陰ではあったようです。まあ、上陸すれば女がいるとはいえ、狭い艦内に数百人、数千人、男ばっかりが押し込まれて何ヶ月間も暮らすんですから、無理もない話かという気はします。 |
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