The Voyage of Queen Dragon,Vol.2
グラヴィティ・パニック

宇宙空間の航宙船「クイーン・ドラゴン」。広大とも言えるその船体の一点に、アレックスとアンドロイド・ケファイドがひざまずいていた。
「……この隕石が、重力装置を狂わせているのか?」
アレックスが、直径にしてわずか数ミリの隕石孔を宇宙服のヘルメットごしに何とかよく見ようとしながら言う。片や、船内と全く変わらない作業服に吸着靴と通信用ヘッドセットをつけただけという身軽な格好のケファイドはうなずいた。
「可能性はあります。直径は数ミクロン程度ですが、かなり高速だったようですから。しかし、だとすると我々での修理は不可能です」
……「クイーン・ドラゴン」では、3日前から船内重力に異常が起こるようになっていた。1Gで厳密に調整してあるはずなのに、突然2Gから大きい時で5Gくらいまではねあがるのである。いろいろ調べてみたがどうしても原因がわからず、もしかすると外で何か起こったのかもしれないから見てこいと、船長アネリースはこのふたりを放り出したのだった。
「やはりどこかのドックに入れるしかないか」
「そうですね」
アレックスの脳裏にアネリースの渋い顔が浮かんだ。また金がかかるの? とその顔は言っている。
ドックに入れるということは、当然、それに伴ってかなりの出費があるということである。最近、彼女は金銭感覚がことに厳しい。海賊だった父親の残した財産(といってもほとんどがよそさまから略奪した物だったが)がそろそろ乏しくなりつつあるのだ。金などなくなれば稼げばよい、と言う人もいるが、未知の宙域で新参者が商売に手を出すのは、あまりに危険である。慎重派のアネリースはそういうことには乗り気ではない。
「とりあえず、隕石孔だけでも塞いでおきますか? アレックス」
ケファイドが尋ねてきていた。考えるのをやめてアレックスがうなずくと、ケファイドは腰のポーチから工具を取り出し、器用に作業をはじめた。
……とりあえず、何も起こらなければいいが。
作業を見守りつつ、なんとなくアレックスはそう思った。
……不意に座席に押しつけられるような感覚があった。持っていたマグカップがずしりと重くなる。取り落とすまいとあわてて腕に力を入れた瞬間、重さはふっと消えた。
「きゃあ!」
自分ではねあげたコーヒーを頭からかぶって、マリアは悲鳴をあげた。
「んもう、いったいいつまでこんなこと続くんですかーアネリースさん! コーヒーもまともに飲めないなんて最低です!」
「もう少し待ちなさい」
顔ををふきふき憤慨する彼女を、アネリースはややうんざりした表情で見やった。
「アレックスたちが外で調べてるから。原因がわかったら対策もとれるでしょ」
度重なる重力の変動で、皆いらいらしていた。別に命に別状はないが、なにしろ暮らしにくいことこの上ない。マリアがコーヒーをかぶるのはまだましなほうで、丁度シャワーを浴びていた時に遭遇したアネリースなどは、全身がまるで数知れぬ小石かなにかをぶつけられたようなあざになってしまったものである。
「直らなかったらどうします?」
そして、マリアはそういういらいらを直接他人にぶつけるタイプである。なだめるようなアネリースの言葉に、ことさらにくってかかってきた。
「この状態のまんまで暮さなくちゃならなくなったら? あたし絶対そんなのいやですよアネリースさん」
「……だったら降りなさいよ」
ついにアネリースの堪忍袋の尾が切れた。8才も年下の子供とケンカするのはおとなげないと思って我慢していたが、物には限度というものがある。正面からマリアをにらみつけながら、彼女は思いっきり言い放つ。
「私は別にかまわないわよ。航法士なんてどこでも雇えるし。この先1番最初の港で降ろしてあげる。お金もあげるからあとは好きにしなさい。あんたの文句を聞くのはもううんざり」
だが次の瞬間、マリアのくりくりした眼に浮かんできた涙を眼にして、アネリースは言い過ぎたことに気がついた。涙目で見られてアネリースはどこかへ逃げたくなる。
「…………」
ここでタイミングよくケファイドが現れなかったら、本当にブリッジから逃げ出していたかもしれない。アンドロイドの冷静な呼びかけを彼女は天の助けのように感じた。
「あらケファイド早いのね。今戻ったの? 原因はわかった? 修理できそう? アレックスはどうしたの?」
「はい、今戻りました」
予測にないアネリースの反応に、ややとまどいながらも律義にケファイドは応じた。
「原因は極微小隕石の衝突によるもののようです。我々での修理は不可能ですがドックに入れば可能だと思います。アレックスはトイレに寄ると言っていました」
「……トイレ?」
最後の解答に、アネリースはきょとんとした。が、すぐに納得する。
「ああ、またあの癖か。ここんところしばらく出なかったのに」
「癖って? アネリースさん」
不意に尋ねられて、アネリースは思わず心の中で身構えた。だが、マリアの表情がもう無邪気なものに変わっているのを見てほっとする。どうやら、このたった4人の狭い船で彼女と気まずいままという最悪の状態は逃れられたようだ。
「アレックスの癖。子供の頃から宇宙服を着るとトイレに行きたくなるんだって」
「えー、アレックスさんてハンサムなのに、そんな変な癖があるんですか?」
マリアは興味深そうに眼をくるくるさせた。本人が聞いたら気を悪くするだろうが、少なくともアネリースの気分はこれでずっと軽くなった。軽いついでにもう少し秘密を暴露しようとする。
「しかもそれだけじゃないのよねマリア。実はアレックスは……」
その時、船内重力が突然増加した。その余りの激しさにマリアは椅子に、立ち上がろうとしていたアネリースは床にたたきつけられる。
「ケファイド! 一体何が……!」
「船内重力が急激に増加中です。現在8G……10G」
さすがにケファイドはこんな中でも冷静だった。動きは鈍いが着実にデータをモニターしていく。しかし、アネリースはそうはいかない。床にはいつくばったまま動くどころか顔もあげられず、自分の体重で空気が肺から押し出されていく。身体の下側になった骨がきしむのが感じられた。
「ケファイド……重力制御装置をオフ……」
それだけいうのがやっとだった。了解という声が遠くで聞こえたような気もするが、よく憶えていない。それから時間がたって……すっと全身から重さが消えた。
気がつくと、何もかもが宙に浮いていた。ケファイド、マリア、マグカップ、ペン……そして、アネリース自身も。ケファイドが重力制御装置をオフにしたため、船内が0Gになったのである。
「大丈夫ですか? 船長」
ケファイドが漂ってきた。彼女はうなずき、マリアを見やる。
「マリアは?」
「……大丈夫じゃありませーん」
かぼそい答えが返ってきた。あの分なら大丈夫、とアネリースは判断し、手近の壁を軽く蹴ると船長席へ戻る。
「当分これでいきましょう。不自由だけど、押し潰されるよりマシだわ」
「はい船長、しかし……」
「何?」
「アレックスは大丈夫でしょうか?」
その瞬間、アネリースは沈黙する。彼の行き先がどこだったか思いだしたのである。
「……私、見に行きたくない」
しばらくして、彼女はうめいた。
「なんだかすごくイヤな風景にであいそうな気がする……」
「なぜです?」
ケファイドには、使用中に0Gになったトイレというのがどういうものかわからないらしい。アネリースは何も知らないアンドロイドを横目で見やった。
「……ケファイド、アレックスの様子を見てきてくれない?」
……結果として、この指示がアレックスのプライドを救ったことになるのだが、それについて触れるものは「クイーン・ドラゴン」では今でも誰もいない。

用語解説
このたった4人の狭い船で……:現代でも宇宙飛行士の適性としては「協調性」が重要視されるそうである。
使用中に0Gになったトイレ:重力があるから、液体も固体も下に落ちるのである。つまり……
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