令和最初のフェリーで島散策

 和歌山3日目。
 ぎりぎりまで遊ぼうと飛行機を21時発にしたのはいいが、行きたかった所は前日までで大体行ってしまったので、この日ははっきりした予定を立てていない。
 和歌山城か風土記の丘でも見ようかと思いつつガイドブックをつらつら見ていたら、ホテルから電車で2時間ほどで行ける距離のところに、友ヶ島という島があった。
 丁度大阪湾を塞ぐような位置にある島で、戦前戦中は大阪を守る要塞としていくつも砲台が置かれていたらしい。東京湾でいうところの猿島みたいなものか。ラピュタなんて言われてるのも猿島そっくり。というか、ある程度の規模の緑に覆われたレンガの建物ならなんでもラピュタなんだよな、日本人は。
 よしここに行こう。
 でも調べたら連休は混雑すごいらしいんだけど。


 友ヶ島に行くには、南海電車の特急で和歌山市駅に出た後、加太支線に乗り換えて終点加太駅へ。さらに20分ほど歩いてフェリー乗り場からフェリーに乗る。
 加太線は車内装飾が海の幸のかわいい電車だった。
「めでたいでんしゃ」と言う特別編成列車らしい。なお、外観は撮り忘れた。
 車内販売で鯛コロッケバーガーを売っていたので買ってみた。

 フェリー乗り場についたのは10時半頃だったのだが、この時点ですでにフェリーは14時まで一杯だという。
 まあ今日はこれしか予定を入れていないので待つのは別にいいのだが、実はこのあたり、寺と神社と食堂しかないので何をして暇を潰したらいいのか分からない。
 しょうがないので、フェリー乗り場から歩いて5分ほどの神社に行くことにした。


 そして来たのがこの淡島神社。写真だとすいているように見えるが、実は同じようにフェリーにあぶれた人たちが大挙してやってきている。
 人形供養の神社らしく、至る所に納められた人形が飾られていた。


 淡島神社の参道にある食堂でサザエの壺焼きと玉子丼を食べ、神社下の海岸でこれから向かう友ヶ島を眺めながら鯛コロッケバーガーを食べる。
 日差しは強いが風が冷たいので、ぼんやり座っていると実に気持ちがいい。
 きれいな貝も拾ったし、もうこれでいいかなという気がしてきた。


 他に行く場所もないのでフェリー乗り場へ戻り、海をのぞいてみる。
 水がきれいなので生物がたくさん見えて水族館みたいで楽しい。


 なんかケンカしてた。


 アメフラシ。
 結構歩くのが速かった。


 多分手のひらぐらいあるデカいカニ。

 まあそんな感じで待っていたら14時になってフェリーに乗れた。
 最終便は16時半なので、2時間半しかいられないじゃーんと思っていたら、あまりにも人が多すぎるので17時に繰り下げられていた。
 よし30分もうけた。ラッキー。


 友ヶ島。
 正確には「友ヶ島」とは、最大の大きさで、フェリーが発着する沖ノ島を中心とし、地ノ島、虎島、神島の合計4島で構成される群島の総称。
 虎島には役小角が修行したと伝えられる場所もあったりするのだが、去年の台風で行けなくなっている。
 ちなみに、この写真の左側、階段や柵が壊れているが、これも去年の台風の被害。


 一番有名な第3砲台跡は、上の写真の山を登ったところにある。
 道そのものはたいしたことはないのだが、普段の運動不足がたたってつらい。
 道中、変なケケケッという鳴き声が聞こえるので何の鳥かと思ったら、鳥じゃなくてタイワンリスだった。


 着いた!
 これは将校宿舎跡。


 宿舎と弾薬庫、砲台は小さなトンネルで隔てられている。


 弾薬庫跡。


 砲台への入り口。全ての設備が地下に作ってある。


 多分オフィスだった所。
 保護のためか、弾薬庫も含めて施設内には照明が全く敷設されておらず、本当に真っ暗闇。懐中電灯必須。
 みんなスマホのライトであたりを照らしながら歩いていた。


 砲台跡。
 今は土で埋まっているけど、この円形部分が穴になっていて、回転機構がはまっていたんだと思う。
 説明書きによれば、ここに設置されていたのは28サンチ榴弾砲。観音崎砲台にあったのと同じサイズ。
 この友ヶ島も猿島も観音崎も、国家防衛事業としてほぼ同時期に、同規格で作られた物っぽい。
 そりゃ同じ規格で作られた物が同じ経緯で廃墟になって、同じ年月を経て同じような植生の植物に覆われたんだから、どっちも似たようなラピュタっぷりになりますわな。

 と、こんな感じでとりあえず見たかった物は見たのだが、まだフェリーの時間まで1時間半ほどある。
 この島には蛇ヶ池、深蛇ヶ池という池がふたつあって、なかなか植物相が豊富らしいのだが、さすがにそこまで往復する時間はない。
 まあだったら早く帰ればいいのかもしれないが、なんとなくもったいないのでもうちょっとふらふらする。


 砲台の後は山頂の展望台に行ってみた。
 景色がすごくいいが、日陰がまるでないので早々に退散した。


 次に、海軍聴音所跡に向かう。
 水中に聴音ソナーを設置して、潜水艦とかの接近を探知していた場所らしい。
 こんな所に聴音所作って役に立っていたのだろうか、という疑問はないでもないが、こんな所まで潜水艦に入り込まれるようになったらほぼ負け戦確定だし、多分気休め程度の物だったんじゃないだろうか。
 写真は途中で見かけたもの。層の上がもろい岩盤、下が堅い岩盤だったらしく、台風で上のもろい岩盤部分がまるっと割れて堅い岩盤の上を滑り落ちている。


 聴音所に向かう途中。
 しかしここほんと地層がすごいな。
 ブラタモリでやってたけど、フィリピン海プレートで紀伊半島がぐいぐい押されている影響で、こんな派手に褶曲してるのかな。
 見たところ堆積岩のようだけど。



 聴音所跡。まあ廃墟。


 多分トイレ。


 偽装と言うより、風雨を防ぐために石で補強してあるっぽい。


 フェリー乗り場に向かう途中の第5砲台跡。
 第3砲台と形が違うのは、ここに据えられていたのが口径の小さい12センチカノン砲だから。


 多分これも軍の施設だと思うんだけど、天井が見事に崩れ落ちている。
 それほど痛んでいるようには見えなかったので、去年の台風で力尽きたのかもしれない。


 ハルゼミ。何かがジージーそこら中の木で鳴いてるのがいて、一体何かと思っていたらこれだった。
 実物見たの初めて。


 なんだかかんだで結構良く見かけるタイワンリス。

 で、16時半頃フェリー乗り場に到着したのだが、人がいっぱいすぎて乗れるのは17時半か18時の臨時便ですと言われた。
 まあ飛行機には間に合うから待ってもいいけど、便の案内の声が聞こえる所にいてくださいと言われたので、どこかで時間つぶしをすることもできない。
 しょうがないからまた海でも眺めていよう。



 そんなわけでいろいろと海の写真を撮りまくった。
 浦賀水道ほどではないが、このあたりも結構貨物船が通る。


 そして日も暮れかかる頃、ようやくフェリーで島を脱出。
 ことごとく予定通りいかなかったけど楽しかった。



 帰りはめでたいでんしゃの赤バージョンに乗れた。
 こっちの内装もかわいい。

 キャリーの鍵がなかった時はどうなるかと思ったが、代替品をすぐ購入できる環境だったのは本当にラッキーだった。
 買った物はバッグひとつにまとめ、持っていても役に立たないキャリーは翌日家に送り返してしまったのだが、そのおかげで身軽に動いてあちこち行けるようになり、むしろよかった気もする。
 考えてみれば、旅先でのブログ更新用にノートPCを持って行くためにキャリーを使い始め、キャリーがあるとつい余分な物を入れて荷物を増やしてしまうという、あまり良くないスパイラルが起こっていたように思う。
 PCがなければ本当にバッグひとつで済むというのを改めて思い出した。

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