昨日とは打って変わっていい天気。
でも明日はまた雨だそうなので、一番歩きかつ天気が悪いとちょっと無理な所に行くことにした。
ザ・大門坂。
ここから熊野那智大社を目指すのだ。
まあ熊野に来たからには、ちょこっとは熊野古道を歩きたいからね。
こうやってみるとどうってことない感じだが、実際には石の階段が延々と続いていく。
この階段が胸突き八丁というほどではないが、割と勾配があり、しかも敷いてある石は自然石に近く不規則な凹凸がある。スカートとヒールは絶対やめたほうがいい。というか、平安女性のコスプレで大門坂を上がるとかあるけど、ぶっちゃけよっぽど脚力と根性がないとあれ無理だと思う。
しかも階段はここだけではない。熊野大社は山の上にあるので、むしろ大門坂が終わってからが本番なのだ。
よみがえる長谷寺の悪夢……。
やっと着いた……。
でも実はこのすぐ下までバス路線が通っているので、無理して急な階段を上る必要はほとんどなかったりする。
次に来る時はそれを使おう。
しかし、標高が高いだけあって、景色はいいし風は爽やかだし、本当に気持ちがいい。
もうこのまま動きたくないが、ここには他にも見るものがある。
熊野大社のすぐ隣の青岸渡寺。
神と仏が明治の廃仏毀釈をくぐり抜け、今も隣同士で共に過ごしている。
三重塔と那智の滝。
三重塔は実は那智の滝を一望できる展望台だったりする。いや中には観音様も一応まつられてはいるんだけども。
そして那智の滝までの道も平坦ではない。道路やらこんな階段階段やらを、今度は下っていくのである。
なんか恒例の膝がやられそうな予感がしてきた。
やっとついた那智の滝。
苦労した甲斐のある壮観な眺めだが、昨日の雨のおかげで今日の水量はいつもの5倍らしい。
ぬう、いつもはこの1/5なのか……。
水量だけなら、中禅寺湖から直接ダウンする華厳の滝の方がありそうな気もする。
奥の遙拝台まで上がるとさらに迫力。
霧状の水しぶきがひっきりなしにかかってきて、ちょっと長時間いると全身しっとりしてくる。
しかしやっぱり滝はいいよね。
30分ぐらい堪能してしまった。
朝9時前に大門坂を上り始め、那智の滝を堪能し終ったのが12時頃。
まだまだ時間はたっぷりあるので、次はバスに1時間ほど乗って熊野速玉大社と神倉神社にGO。
神倉神社には500段の階段があるから、ますます膝が心配だけど。
……の前に那智駅で寄り道して、近くの補陀洛山寺へ。
この補陀洛渡海船がちょっと見たかったのだ。
補陀洛とはサンスクリット語で浄土を表す言葉で、平安時代から江戸時代にかけて、この寺の住職は60歳になると、わずかな食料と共にこの密閉した小舟に乗って「補陀洛」を目指す旅に出る(出させられる)風習があった。
もちろん、その先に待っているのは死しかない。
記録にあるだけで、20名以上の住職がこれで命を落としている。
信仰心の暴走は悲劇しか招かないというのは、どの宗教も同じ。
予定では速玉大社に行くつもりだったのだが、バス停では神倉神社の方が先だったので、急遽そっちからにした。
神倉神社は速玉大社の摂社で、ゴトビキ岩という大岩の御神体と、そこに至るまでの500段ほどの階段が有名。
でも多分これがあれば大丈夫なはず(折りたたみストック)!
さあ大門坂に続いて長距離階段第二ラウンド開始だ!
全然大丈夫じゃなかった。
いやこれ石垣だよね? 階段じゃないよね?。
これを上れというのか……。
でもここであきらめるのも癪なので、頑張った。頑張って上りきった。
これが上がりきったご褒美の風景。
熊野の町が一望できる。こりゃすごいわ。
昔の人にとっては、まさしく天からの眺めだったんだろうなあ。
お社の後ろの大岩がゴトビキ岩。
なんか神々しい写真撮れた。
そして困難は上がるよりむしろ降りる方にある。。
大きさも段の高さも不規則な石の並びから、安定した足場を見極めて行かなくてはならないのだ。
昔城攻めしてた人たちは、こんな気分を味わっていたのか。
案の定、膝をやられて最後は片足だけでしか下りられなくなった。
恐ろしいことに、この階段を2月の夜、数十人の男たちがたいまつを掲げて駆け下りるという神事があるらしい。
慣れているとはいえ、良く無事に降りてこられるな……。
最後は熊野速玉大社。
神倉神社から国道をてくてく歩いて20分ぐらい。
今日初めて楽な道のりたどったような気がする。
とまあ、予定していたのはここで終了なのだが、まだ15時なのでもう1ヶ所ぐらい行けそう。
そういえば、熊野速玉大社の近くに、国の特別天然記念物の浮島という場所があった。
帰り道がてらにぶらぶら寄れそうなので、行ってみよう。
これが浮島。
一見何の変哲もない水辺の林だが、その名の通り、池に浮かんだ泥炭層の上に植物が生えた、文字通り浮いている島。
昔は池が数倍ぐらいあったため、風の吹くままあっちへ行ったりこっちへ行ったり、台風の時とか岸辺にある家に体当たりして壊したりしていたらしい。
戦後の宅地造成で動く余地もないほど池が埋め立てられたため一部が座礁、今では雨が降って水量が増えると島の位置も上がる、みたいな上下運動しかできなくなっているとか。
泥炭層は植物が腐らない環境、つまり高山や北海道のような極寒の地でしか普通できない。
この温暖な紀伊半島で、なんでここにだけ島になるほど泥炭層ができたのか、今でも謎らしい。
島の中はこんな感じ。
設置された遊歩道の上で跳ねると、重さが伝わってちょっと離れた所から泡がぶくぶく出てきたり、震動が伝わって波ができたり、確かにここは土じゃなくて泥炭なんだと納得する。
勢いに任せてあちこち行きまくってしまった。
歩数計を見たら20キロも歩いていたのだが、明日膝は大丈夫だろうか。