お寺へはるんるんに乗って

 今日は平泉へやってきた。


 ゆかしい造りの平泉駅。

 平泉は奥州藤原氏の本拠地だった所で、ゆかりの寺や遺跡が割とコンパクトにまとまっている。
 各地点を結んでるんるんバスという観光専用の巡回バスが走っており、車がなければこれを利用できる。
 これまで散々免許がないがゆえの辛酸を味わってきたので、さすがは岩手屈指の観光地とつい賞賛しかけたが、よくよく調べたらこのるんるんバス、1時間に2本しか出ていない。
 ……うん、でもこれまでに比べたら破格の扱いかな。


 もっとも、平泉駅についた朝9時には、まだるんるんバスは動いていなかったので、普通に路線バスで中尊寺に来た。
 バス停のすぐそばに弁慶の墓があった。
 なお、るんるんバスで、義経と弁慶が討たれたと言われる場所も行くことができる。ちょっと興味があったのだが、時間的に微妙だったので見送った。


 そしてここが中尊寺入口。
 また坂!?(悲鳴)

 そう、ここからかなりの急坂をのぼっていかないと、中尊寺にはたどりつけないのだ。
 なんか早くも心が折れそう。
 しょうがないから頑張るけど。


 でも長めは素晴らしい。


 坂を上って最終地点の金色堂に行くまでに、こういう小さなお堂がいくつもある。
 これは通称弁慶堂。奉られているのは地蔵菩薩だが、弁慶の立ち往生と義経の像がおさめられているので、この名前になった。
 というかさっきから弁慶しか出てこないな……。


 萩がきれい。


 やっとついた金色堂。
 といってもこの建物は金色堂ではない。
 覆い堂と呼ばれる保護用の建物で、金色堂本体はこの中にすっぽり格納されている。
 中は撮影禁止。
 隣には資料館もあって、仏像とか収蔵品とか、昭和35年の金色堂の解体修理の時に調査した藤原4代の棺の副葬品とかを見ることができる。
 泰衡の首桶とかもあって生々しい。
 というか、この人達のミイラの写真、みんな素っ裸で葬られた遺体としてはどうかみたいなポーズをしていて常々疑問だったんだけど、あれは副葬品とか着ていたものとか調査で全部剥がれてああなってたのね。
 この資料館には、発見時にミイラが着ていた袈裟とか経帷子とかも展示されていて、やっと謎が解けた。

 金色堂は、うん、すごかった。
 割と小さいのでがっかり名物などと言われる事もあるが、といっても、奥州藤原氏の3人の遺体+1人の首が中に納められているのだから、決してそこまで小さい物ではない。
 むしろ、小さなお堂のなかにこれでもかとばかりに金にあかせて豪華な細工を施し、さらにお堂全体を金箔で金ぴかにするというトンデモ発想に、もしかすると朝廷と同等か、それ以上かもしれなかった奥州藤原氏の権勢と羽振りの良さがひしひしと伝わってくる。ぶっちゃけ、秀吉の黄金の茶室とか鼻で笑うレベル。
 これは義経を口実に頼朝が滅ぼすわけだわ。絶対鎌倉より金も力も持ってたもの。


 どこかで見た顔だと思ったらうちの社長に似ていた松尾芭蕉。
 金色堂を見て「五月雨の降り残してやひかり堂」という句を残している。


 そして、古い寺社に良くあるように、ここも仏と神が一緒に祀られている。
 境内内にある白山神社にある能舞台。作ったのは伊達一族。
 能舞台なんて良く分からないけど、伊達と聞くだけでセンスがいいように見える。


 丁度お坊さんが鐘を撞いているところに出くわした。

 全部見るのに大体2時間半ぐらい。このご時世で御朱印がほとんど書き置きなので、その分時間がかからなくなっている。

 次に行ったのは毛越寺。
 中尊寺に行くと行ったら父親が熱烈に推してきた。なんでも庭園がすごいらしい。


 これが本堂。
 これだけだと普通の寺なのだが……。


 ちょっと奥に広大な池の庭園が広がっていた。なるほどこれはすごい。
 性質が全く違うので単純比較はできないが、規模で言えば足立美術館にも匹敵する。
 何度も火災に遭ったため、当時の主要な建物はほとんど残っていないが、元々は一番奥(真ん中の白い杭が立ってるあたり)に金堂(本堂)が建っていて、池に渡された橋を通ってお参りする形になっていたとのこと。


 ここも萩がきれい。
 ちょうど萩祭りをやっていた。


 左側の木の塊が経堂跡、右側が鐘楼跡。といっても土台石しか残ってない。


 噂の金堂跡。杭の説明文によれば、吾妻鏡に「金銀をちりばめ、紫檀赤木等を継ぎ、万宝を尽くして釈色を交う」と書かれた程の、それこそ金色堂並みの豪華絢爛さだったらしい。
 またしても奥州藤原氏の財力すごすぎる。


 紅葉が色づき始めていい雰囲気。


 曲水の宴とかやる水路。


 萩と紅葉。


 今も残る数少ない古い建物(といっても享保年間の物)。

 確かに父親推しなだけの事はある。
 まあ残っているものだけ見たら、ただの庭園と言えば庭園なんだけどね。

 で、最後に行こうと考えたのが、達谷窟毘沙門堂。
 岩に貼り付くようにお堂があるとか、岩に仏の像が彫ってあるとか一部で有名な寺。
 ただ、またしてもここはバスがないので、タクシーに頼る事になる。
 毛越寺ではタクシーがつかまらないので、一旦歩いて10分ほどの平泉駅に戻り、そこから出発した。
 ちなみにお参り中の待ち時間も含めて、かかった料金は5,000円。


 大きくはないが手の込んだ鳥居。律儀に一の鳥居から三の鳥居まである。
 奥に見えるのが噂の毘沙門堂。
 ん? 鳥居……? 寺なのに鳥居……?


 創建は坂上田村麻呂らしいが、なぜこんな所に作ろうと思ったのか……。


 これが岩の仏、岩面大仏。
 岩が脆いのかかなり消えてきている。もう10年ぐらいで危ないかもしれない。

 これで行きたかった所はコンプリート。でも新幹線の時間まで3時間近く残っている。
 早割で予定を変える事ができないので、とりあえず乗車駅の一ノ関まで戻ってぶらぶらして過ごした。


 ぶらぶらついでに撮った岩手山となんか山。
 橋の下を流れるのは磐井川。冬には白鳥が来るんだって。

 実は、中尊寺に行きたいなと思ったのが、今回の旅行のそもそもの始まりだった。
 どうせ行くならもうちょっと別の場所をと考えた結果、八幡平とか藤七温泉とか小岩井農場とかが加わり、気付けば岩手県内陸部を大縦断することになっていた。
 とにかく交通の便が悪くて苦労したが、結果としては割とスムーズにいったと思う。

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