1月14,15と日光に行ったため、後追いでアップしています。
おかしい、昨日の天気予報では朝から曇りだったはず……。
曇りどころか雲一つない……。
しまった日焼け止めを持ってこなかった……。
でも中禅寺湖は天気予報通りの曇り。
それどころか、下からガスがどんどん上がってきて景色も見えなくなりつつある。
そういえば、買い物をしたお店の人が、湯元あたりは山奥すぎるので、天気が他と全然違うって言ってたっけ。
なんと湯元には梅雨もないらしい。なにそれ北海道か。
もしかするとガスに包まれた華厳の滝が見られるかと思ったのだが、そんな事なかった。
ここだけ高度が下がるので、ガスは滝の頭上を飛び越していってしまっているらしい。
湖面に触れんばかりに降りてくるガス。
真冬にこうなるのは珍しいらしい。昨日暖かかったから、というのは地元の人の話。
そしてこいつは、常に水面からこちらを監視していて、目が合うと即座に潜って逃げてしまう鳥。
何度かの攻防の後、やっと写真を撮るのに成功した。
ちなみに名前は知らない。
さて、中禅寺湖も堪能したし、下の世界に戻るとするか。
今日は現存する最大の御用邸、田母沢御用邸を見るつもりなのだ。
田母沢御用邸は中禅寺湖からいろは坂を下って30分ほど。バス停の真ん前なのでとてもアクセスがいい。
正式名称は「日光田母沢御用邸記念公園」。大正天皇の夏の避暑地として、明治に紀州藩の中屋敷や、赤坂の東宮御所、日光の資産家の屋敷などを移築、組み合わせて建設された。大正時代になってから、謁見所などの公的な部分が増築されて、実に部屋数100室を越える大規模なお屋敷になった。
戦後は大蔵省の管理下から栃木県に譲渡され、一時合宿や研修施設などとして使われていたが、20年ほど前に大規模に復元して歴史的建造物として公開し始めたらしい。
元々あった部分はもちろん、復元部分も宮大工の本気の匠の手仕事なので、ほぼ現物と言っていいんじゃないかと思う。
中庭。
こうしてみると田舎のおじいちゃんちみたいなのだが……。
中はこんな感じ。
地味ながらもめちゃくちゃ手間暇かけて作ってある。
ここは紀州藩の屋敷だった部分で、大正天皇の皇太子時代の御学問所。早い話が勉強部屋。
菅原道真にちなんだのか、梅の絵が白壁一面に描いてある。
今は色あせちゃっているけれど、シンプルな部屋に紅梅の赤が映えたんだろうなあ。
そして皇太子が大正天皇になったからは、滞在する度に三種の神器も一緒にやってくるようになった。
ここがしまっとく部屋。
いちばん格式の高いお内裏様とお雛様の畳が敷いてある。
ここは梅の部屋の真上にある3階の御展望室。1月末まで特別公開されている。
まあただの座敷なのだが、当時幕府は2階建てまでの建築しか許していなかったので、3階建てというだけで非常に珍しいそうな。
当時吉宗を出した紀州藩が、権勢に物を言わせて禁令を無視した結果できたものらしい。
さすがに100室全部を見せてもらえるわけではないが、それでもかなり広い。
自分のペースでふらふら見られるし、途中見回りをしたり見張りをしていたりする係員さんが皆さん親切で、質問をするとものすごい蘊蓄を語ってくれる。
なかなか楽しい。
そして当然ながら庭もある。
緑の季節だとかなり映えるんだろうなあ。
面白かった。
とにかく広い上に何しろ昔の建築なので非常に寒いのだが(足が冷える人のためにスリッポンの内履きが用意されている)、いろいろ小ネタ的な要素がすごく楽しい。
これで見たい所もひととおり終わったので、適当にぶらぶらしながら戻ってきた。