6/18から自衛隊の見学で九州に来ていますが、PCの調子が悪いため後追いでのアップになります。
見学2日目。
この日は都城からはるばる南下して、海自の鹿屋航空基地を見に行く。
鹿屋航空基地は、対潜哨戒機P-1を中心に運用している基地で、他にヘリコプターの操縦教育も行っている。
東京ドーム60個分の広さを誇り、2,250メートルと1,200メートルの2本の滑走路を持ち、固定翼機と回転翼機が同時に飛び立てる。広くて便利なので、陸自や米軍も時々使っているらしい。
元々は海軍航空隊の基地で、太平洋戦争の時には特攻隊も多く出撃していった。特攻隊と言えば知覧が有名だが、あっちは陸軍でこの鹿屋は海軍になる。
まずはそういった歴史が見られる史料館へ。ここは一般人も入れる。
屋外には過去に使われていた航空機がいっぱい展示されているが、手入れが行き届かなくて大半が色あせちゃっているのが惜しい。
世界で唯一現存する二式大型飛行艇。通称二式大艇。その昔船の科学館にあったのをこちらに移設したもの。US-2のご先祖様に当たる。
前から見たくてたまらなかったのだが、ついに願いが叶った。
実はこの車輪は取り外し式で、今のUS-2と違って滑走はできない。
車輪の役目は陸上の格納庫などから海までのタキシング用限定で、海に入ったらはずしてしまう。なので運用は海の上でしかできなかった。
もう見る機会なんて来ないかもしれないので、思う存分堪能した。
でも眺めるのと写真を撮るのに夢中で、触るのを忘れてきた。
史料館のロビーには、こんなステンドグラスがある。
原画はあの平山郁夫。弟が海自だった関係で描いたらしい。
零戦。
戦後に引き上げられた2機の零戦をニコイチして復元したもの。
そろそろ、軍神以外の部分で評価してあげてもいいんじゃないかな……と思う廣瀬武夫。
まあ、旅順港閉塞作戦がなければ、特に名も知られないまま軍人人生を終えていた人だとは思うんだけどね。
廣瀬武夫がロシアから出していた絵はがき。
このほかに猫の絵のとかもあってどれも大変かわいいので、ほしくてアンティークなどを探しているのだが、当然ながらいまだに見つからない。
零戦が軽量化のために、一部木やキャンバス地を使っているのは有名な話だが 上のニコイチ零戦が引き上げられた時に木造部分が一部残っていた。
木というよりベニヤじゃないかこれ?
大体こんな感じで、海軍と海自の歴史的史料が並べてある。
あと、撮影禁止だったので写真はないのだが、やはり特攻基地だった関係上、特攻に関するものも多かった。
この後は基地の中の見学になる。
まずは管制塔の展望室から、基地全体を見てみる。
その後ろの2本の滑走路では、P-1とSH-60Kがタッチアンドゴーの練習を繰り返している。
次に格納庫でP-1、TH-135練習ヘリ、SH-60Kを順番に見ていく。
まずはP-1。
そういえばP-1をじっくり見るのは初めてかもしれない。基地モニターをやってた頃はまだP-3Cが現役で、ようやくP-1が配備されるかされないかだったから。
なんかいろいろ問題が多かったんだよね、当時は。
なおエプロンで整備中のP-1はお腹の爆弾槽を開けていた。結構なレアショットらしい。
次はTH-135。パイロットの卵が一番最初に乗る機体で、一般にも販売されている。
仕様は市販されている物と同じで、足回りだけ、訓練生がうっかり地面にガツンとやっても大丈夫なように頑丈にしてあるらしい。
あと吸気口には桜島対応の火山灰フィルターを追加している。
鹿屋のあたりは、季節風の関係で、夏は大丈夫だけど冬に火山灰が来るんだって。
最後がSH-60K。60Jは割と見慣れてたけどKはじっくり見たことなかったかも。
といっても、ブレードが違ってるぐらいしか差が分からないんだけど。
むしろ周囲の格納庫がすごい。昭和12年製で太平洋戦争をくぐり抜けてきた文化財級の代物だった。
鉄骨とか明らかに他の格納庫と違う。
この後は、やっぱり撮影禁止だけど、TH-135のシミュレータでヘリ操縦を体験させてもらった。
なんか、操縦桿がすごくフワフワで、ちょっと力を入れるとすぐ横転しちゃうので大変だった。こんな敏感なのを安定して操縦しているプロやっぱりすごい。
海自の航空基地は、厚木と館山に何度か行っているけど、鹿屋は規模感が全然違った。
あと、二式大艇が見れて良かった。