「トイ・ストーリー4」を見てきた。
とりあえず、野良おもちゃを極めたボー・ピープのできる女感が半端ない。
野良おもちゃたちのリーダーとして的確な指示を飛ばし、巧みな交渉術で相手の協力を引き出し、カウボーイ人形のウッディと同レベルかそれ以上のアクションもこなす。それでいて女らしい上品さも忘れない。基本的に迷うタイプのウッディと比較すると、その潔さが際立っている。昨今乱立している男と並んで活躍する女性キャラの中では成功している方だと思う。
作品そのものについては、もう安定のという枕詞がつくぐらいの出来の良さ。
なのだが、前作でおもちゃたちの立ち位置が子供視点から大人視点に変わっており、今回もそれに沿った、ありていに言えば大人に対してお涙ちょうだいが成立するラストシーンとなっていて、そのあたりにどうしても違和感を感じる。
これまで、持ち主のいないおもちゃは基本的に悲惨な立場であるとして描かれてきた。
それが急に、ボー・ピープをして、今作では「自由なおもちゃは素晴らしい、1人の持ち主に縛られることはない」と言い始める。
だが、「誰かのもの」になることを拒否する彼らは、自分たちのおもちゃとしての存在意義をどう維持し続けるのだろうか。
そもそも、この映画を見た子供たちが、おもちゃにとって自分のそばにいることが最上の幸福ではないと「知る」事は、果たしていいことなのだろうか。
そういう意味では、制作側は決してやらせてはいけない事をやらせたような気がしないでもない。
あと、単純に、持ち主がいないということは、誰からも大事にされないという基本的な事から目をそらしている感がある。
壊れても直してもらえない(現にボー・ピープは折れた腕をテープでぐるぐる巻きにしてかろうじてくっつけている)、誰からも大事にされず、無責任に扱われ、壊れても誰からも振り返ってもらえない。それが本当に幸福なのだろうか。
1人の物になっていたって、不要になればよそにやられたり捨てられたりするのは同じということなのかもしれないが、考えれば考えるほど首をかしげてしまう。