投稿者「深度測定長」のアーカイブ

大事に遊ぼう

 長門と2個目のキャットボール。

 本来は猫用のオモチャだそうです。
 最初のはあっという間に破壊してしまい「壊れちゃった」と訴えに来てたのだが、2個目は慎重になっているのか、遊びかたを変えたのか、2週間以上もたせている。
 一応学習することはするんだね、この鳥も。

謎のアピール

 なんかずっと中途半端に片足をあげっぱなしのビビ。
 ちらちら人間様を見るので、何かをアピールしてはいるらしいんだけど、何をアピールしているのか分からない。

 出してほしい時は、上の止まり木を右に左に駆け回るのがこの鳥式だし……。

穴の向こうの別世界

 身体を半分つっこんでのぞきこむほど、魅力的な何が向こう側にあるのだろうか。

 確か人間様の記憶では、その下にあるのは洗濯機だったけど。
 しかも覗いているだけでは飽きたらず、いつの間にかドレープを越えて向こう側に降りてしまい、戻れなくなって鳴いていたりする。

ぼくのなかよし


「長門です。
 今日は、僕の仲良しを紹介します」

「ビビお兄ちゃんです。
 僕が遊んでるのをいつもこうやってそばで見ててくれます」

「チャンドラです。
 こいつちょっと生意気なんだけど、でも息が合ってるでしょ?」
 ……だからさ長門、人のカゴに無理矢理押しかけて、写真におさまるのやめてくれない?

『キスカ』もタイトルで太平洋奇跡の作戦と言っている件

『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男』を見てきた。
 観客の老人率が異常に高かった。
 赤ちゃんがかわいかった。
 唐沢寿明がいい味出してた。
 以上。
 ……だけでは何なのでもうちょっと書いてみると。
 公式サイトや宣伝から、47人の部下と100人以上の避難民を率いてタッポーチョ山に立てこもり、神出鬼没のゲリラ戦を展開する大場大尉と、険しい自然に悩まされながらも物量作戦で彼らを掃討しようとする米軍の、知略の限りを尽くした対決を想像していたら、全然違った。
 大場大尉が「フォックス」ぶりを見せたのは、映画冒頭の2回、追跡してきた分隊に対してのみで、後は何というか、お決まりの「戦争は厳しいね、悲しいね、つらいね」という情を前面に押し出した展開に終始。山と捕虜収容所(米兵の監視の眼を盗んで大場隊も出入りし放題)をちょろちょろしてたら、いつの間にか終わっちゃいましたという感じ。
 なんでこの大尉を米軍がそこまで恐れたのか、映画を見る限りでは全く分からない。
 この手の作品はまず何よりも「戦闘」と「作戦」、及びそれに伴う極限状態をきちんと描き続けてこそ、その反対側で織りなされる人間のドラマにも深みがでてくる。なのに、手間がかかるからか、スタッフにそれを撮りきるだけの専門技量がなかったのか、最初の玉砕突撃以外は「戦闘」と「作戦」の描写はは手を抜く一方、簡単に撮れる人間芝居にばかり傾注していく。なので、見る側は感情移入ができないし、彼らの苦しみを実感としてとらえることができない。
 そして、感情移入ができないから、登場人物、特に民間人の行動が悪目立ちする。家族を目の前で殺されたのは自分だけではないという当然の事実を考えもせず、大場に当たり散らしアメリカ兵を憎み、勝手なことをしては隊を危機に陥れる看護婦とか、恐らく天然という設定なのだろうが、全く空気読めずにいらんこと言ったりしたりしてばっかり、何のためにいるんだろう? と疑問なだけの老母を抱えたおばさんとか、収容所で大場の庇護下に自分の子供がいると知り、「なんとしても説得して投降させます」とアメリカ側に言って大場隊を訪れたはずなのに、乱暴に扱われたら逆ギレしてろくに説得もせず帰るおっさんとか……。
 要所要所で場面を締める唐沢寿明の任侠兵士(比喩でなく本当にヤクザ出身の兵隊)がかなりがんばっていたので、かろうじて映画全体の印象は救われているが、一歩間違えれば相当グダグダな映画になっていたと思う。
 題材の選びかたやポスターの絵柄を見ると、この作品、明らかに『硫黄島からの手紙』を意識している。だが比べるとこっちはかなり厳しい。
 もっとも、イーストウッドも、母国のお家事情が絡む『父親たちの星条旗』は結構グダグダだけどね。