投稿者「深度測定長」のアーカイブ

上階行きはまだですか

 止まり木に上げてほしいいずも。


「…………」

 たまにエサ入れからではなく、自分でエサを探して食べたくなるのか、いずもは時折自分からカゴの床に降りては、エサ入れから散らばったエサをついばんでいる。
 ひとしきり床をうろついて満足するとまた止まり木に戻るのだが、足腰の調子によってはうまく跳び上がる事ができずに床に転げてしまうことがある。
 何度かそうやっていた事があったので、カゴに手を入れて乗せて止まり木に戻してやっていたところ、いずもの中では自力で駄目なら人間様に頼もうという発想ができあがってしまったらしい。
 たまにこんな風にして、人間様のほうを一生懸命のぞいている。

 もっとも、上げてもらいたいのかと思うと実は外を眺めていたかっただけで、手を入れると思いっきり怒られたりするので、やっぱり文鳥は分からない。

スコットランド美術とお社と

 東京都美術館の「スコットランド国立美術館 美の巨匠たち」展に行ってきた。


 この前で写真を撮れるお立ち台。
 バックの絵はチャーチという人の「アメリカ側から見たナイアガラの滝」という絵。
 ここでは縮小されているが、実物は2.5メートル四方ある超大作。しかもめちゃくちゃ精緻で写実的でどれだけ渾身つぎ込んだのというぐらいすごい。

 内容は、ボリュームも多いし、あまりなじみのないスコットランドの美術史を知るのにはいいかと思うが、「巨匠たち」はちょっと違うかなと思った。
 ぶっちゃけると、今回売り物にしているエル・グレコやレンブラント、ヴァン・ダイクといった誰でも知ってる画家の絵は、特設サイトとかで紹介されているものが全てで、後はほぼスコットランドの画家。当然良く知らない。
 あと、小さな紙にデッサンしましたみたいな小品がかなりの割合を占める。
 なので、いわゆるおなじみの画家の絵を見るつもりで行くと肩すかしをくらうと思う。

 そんなわけで、予定より早く見終わってしまったので、湯島天神でも行こうと思い立った。
 調べたら不忍池を越えて歩いても20分ぐらいらしい。
 横着して地下鉄を使ったら、上りと下りを間違えて結局歩く以上にかかったので、不忍池をぶらぶらしながら来れば良かったと後悔した。


 来た。

 もっと大きな神社かと思ったら、以外と下町の天神様っぽい感じで良かった。


 境内に小さな庭園があって、梅がいっぱい植わっている。
 梅の季節は良さそう。

 そして、ここまで来たら、やっぱり歩いて15分ぐらいの神田明神まで足をのばしてみようと思い立った。
 歩いて気付いたんだけど、湯島天神も神田明神も、それぞれ別の尾根というか、多分昔の丘陵部の突端というか、そういう所に建っていて、片方からもう一方に行くのには、一旦坂を下がってまた上ることになる。
 なんとなく、今の名前のある神様が来る前にこの2ヶ所に祀られていた「何か」には、共通の由来がありそうな気もちょっとする。


 来た。

 ひなびた湯島天神に比べるとめちゃくちゃ都会。
 境内にお土産とカフェを備えたオシャレビルまで建っている。商売っ気満々。
 いやいいんだけどさ。


 お社も立派。
 そして参拝者が行列している。


 神馬までいる。
 ポニーで愛称は明(あかり)ちゃん。
 カメラが嫌いらしくて、撮ろうと寄ったら文句を言って去っていってしまった。
 ごめんよ。


 獅子の親が我が子を千尋の谷に落とす滝。
 多分、上で仁王立ちしているのが父ちゃんで、心配そうにかがんで見ているのが母ちゃん。

 で、ここの御朱印。
 明らかに印刷所から納品されたと思える梱包から取り出した物を、300円と引き換えにはい、はいと渡していくだけだった。
 はっきり言おう、お参りした証だから大事にしろと言い張るなら、もっと取り繕ってほしいよ。
 がっかりだよ。

 そして、この後てくてく歩いていたら万世橋に出てしまったので、写真を撮った。



 まだ交通博物館だった頃に1度来ているのだが、もうすっかりオシャレスポットに。
 万世橋駅の遺構はまだ残っているのかな。

 しばし万世橋を眺めて感慨に浸った後、憧れの肉の万世でカツサンドを買って帰ってきた。
 おいしかった。

○おまけ

 万世橋付近のハト。揃いも揃って皆めちゃくちゃに汚れている。
 一体どういう生活してるんだお前達は?

肝臓フルスロットル

 またくちばしにシミができてきたサーラル。


 分かりにくいが、くちばしに点々とまだらができている。

 このシミは肝臓の調子が悪いと増えてくる。
 丁度サーラルは換羽中で、羽毛を作るために肝臓が頑張っているのでこうなっているらしい。
 ということは、換羽が終われば元に戻るのだな。

掴みはオッケー

 ふぶきがむしった藁を足で掴んで囓り遊びをしていた。
 前からエサ入れでムキエン麦を掴んで食べるのはしていたけれど、こうやって遊びに使うのを見たのは初めて。
 進化してるな。


 長門もそうなんだけど、握りこむ足指の向きが必ず内側から外側に向けてなんだよね。
 人間だと掴みやすいのは外側から内側に握りこむ形だけど、インコは逆。

 片足上げの位置が他のマメより上だったりするのを見るに、ふぶきは足の可動域が広いのかなと思う。
 だから他のマメにできない事ができてるのかな。根拠ないけど。

よぼよぼ換羽

 換羽中の五十鈴おじいちゃん。


 いつもより一層よぼよぼな感じに。

 前は外に出ると即いずものカゴに入り浸っていたのだが、自分より老化の進んだいずもに遠慮しているのか、構ってくれなくなったのでつまらないのか、最近はほとんど行かなくなった。
 かわりにマメどものカゴの上を跳び歩いては、下の住人を怒らせている。
 噛まれたら流血待ったなしなんだから、やめときなさい。

背中に背負う

 くつろぐ時には必ずオモチャを背中に乗せる長門。


 満足そうだけどなんの意味があるんだ……。

 背中から落ちると何度でも乗せ直すので、よっぽど気に入っているのかと思うが、一体なんなんだろう。
 何かにくっつきたいならバードテントに寄りかかればすむ話だし。

なぜそのタイミング

 赤ももひき。


 相変わらず、水浴びがしたくなると水入れに浸かって人間様が霧吹きをするのを待っている。

 待つのはいいんだけど、なぜかこの鳥が水浴びしたくなるのって、人間様が食事中とかオンライン会議中とか取り込み中ばかりなんだよね。
 なんで?

ひみつの寝場所

 どうやらサーラルは毎晩、止まり木に通してある藁の輪っかにはまって寝ているらしい。


 これが藁の輪っか。
 昼寝をする時は普通に止まり木で寝るので、ここは完全に夜限定。

 らしい、というのは、毎朝おやすみカバーを取っている間に素早く出てきてしまい、どうしても現場を押さえられないから。
 そこで、おやすみカバーを取らずにめくって写真を撮ってしまおうと人間様は考えた。


 そーれ!

 完全にはまってた。
 他のマメどもは全員カゴの天井のすみっこを寝床にしているのに、なんでこの鳥だけそんな窮屈な場所がいいんだろう。

最後の藁

 ……これは一両日中に最後のい草を食いちぎって、自分も一緒に落ちるやつだ。


 かろうじて1本だけでつながっている状態。

 い草ロープはそんなに長いのに、どうしてそう無駄な囓り方をするのか。

伊勢の裏のお寺

 今日は朝熊金剛證寺に行ってきた。
 伊勢から伊勢志摩スカイラインの途中にあり、行く手段は車か路線バスしかない。しかも路線バスの運行は土日祝日のみ2時間に1本という、なかなか難易度の高い場所である。
 天気は雨、しかも荒れ模様に向かうという事だが、8:25の初回バスに乗れば10時前には伊勢まで帰ってこられそうなので、頑張った。


 ついた。
 早くもガスがかかり始めていて急がないと危険な予感。
 まあ路線バスは止まったりはしないだろうけど。


 なかなか趣のある庭園。
 ここは伊勢神宮の鬼門を守るお寺で、かつては「伊勢神宮の奥の院」と言われ、伊勢神宮にお参りしたら必ずここにも来るのがならわしだったという。
 創建も古くて、伊勢神宮とほぼ同じ6世紀頃。
 まだ朝のせいか、天気のせいか、他に見かける人の姿といえば、たまたま同じバスに乗り合わせた4人しかいなかったのだが、広大な駐車場があったので、普段は結構な人気スポットなのかもしれない。


 30分ほど滞在していただけなのに、あっという間にガスが深くなった。

 ちなみにここは檀家を持つお寺で、お墓も多数あるのだが、なんといっても卒塔婆が半端なかった。
 奥の院までの参道の道沿いとか、空いた場所とかに、高さ数メートル(後で見つけた料金表によれば、最大のものは8メートルらしい)、太さ十数センチの角材状の卒塔婆が、すき間なくびっしりと立てられている。その数も数百本ではきかない。
 そして、卒塔婆の前には必ず花立てが置かれ、花が生けられている。
 たまに「卒塔婆に遺品をぶら下げないでください」という注意書きがあったりして(実際、子供の物とおぼしい品がぶら下がっていたりして)、基本、ここでは供養は墓ではなく卒塔婆で行う風習らしい。
 さすがに写真は撮らなかったが、すき間なく立ち並ぶそんな巨大卒塔婆に両側から見下ろされながら歩くのは、ちょっとしたやばさがある。
 もっとも、帰りのバスの時間に間に合うよう必死だったので、それほど意識する余裕がなかったのも事実だけど。

 この後は伊勢に戻り、内宮のおはらい町をぶらぶらして過ごした。
 さすがに10時前だとどの店もまだそれほど混んでなくて(でも赤福の店はすでに大行列だった)、行きたかった店には大体入れたのでラッキーだった。
 そして、そんな事をしているうちに風雨が強くなってきたので、夕方の予定だった帰りの電車を切り上げて、昼には伊勢を離れたのだった。