ここ好き

 パムのお気に入りの場所は大体この2カ所。

 その1。ティッシュの蓋の下。

 その2。逆さになって金網をレロレロ舐める。
 ティッシュの蓋の下はともかく、金網を舐めるのはなぜこんなことをするのか謎。
 何か足りてない栄養素でもあるんだろうか?

細目で見る

 チャンドラはくつろいでいる時、眼を細めて何かを見ていることが多いことに気付いた。

 本人に悪気がないことは分かってるんだけど、なんとなーく小馬鹿にされてる雰囲気が。

 緊張したり興味を引かれたりすると普通にまんまるおめめになる。
 やっぱりこの鳥は眼が弱いのかもしれないな。
 ヒマワリの殻をむいて手のひらに乗せて出すと、どこにあるのか見分けられないらしくて見当違いの所を探してるし。

闇の中から

 パムが延々ギャギャギャ、ギャギャギャとわめき続けてうるさくて仕方がない。
 我が家の場合、1羽が騒ぎ始めると他の鳥も負けじと鳴きだし、ときにはテレビも聞こえないぐらいの大合唱になってしまうので困る。

 とりあえず、騒ぎの元凶であるパムのカゴにカバーをかけて暗くすると、ようやく静かになったのだが……。

 …………。
 パムちん、恐いからそれやめて。

くつろぎはこれで

 鳥にもくつろぐ時のお決まりポーズというのがあるらしい。
 たとえばくらま。

 人間様に背中を向けて手の中に座るのがお決まりポーズ。
 これで頭を掻いてもらうのが最高らしい。
 なので手に乗るとすぐにこの体制に移行しようとする。

 カゴから出ると即お決まりポーズ。

 お決まりポーズからテーブルに降ろされても戻るとまたお決まりポーズ。

 手ではなく指に乗せられても中途半端にお決まりポーズ。
 ある意味ぶれないねお前も。

別に悪いことしようとしてるわけじゃないの

 人間様の様子をうかがいながら、エサ入れでいたずらをしているブロッサム、通称ちびころ。

 怒られるかと思ったらしく、途中で何かしきりと言い訳をしている。
 ちなみにカチャカチャ聞こえてくる音は、カメラをこっちにも向けてほしい長門が一生懸命金網を鳴らしている音。
 言い訳するならいたずらするのやめればいいのに。

東北縦断の旅・三沢編

 最終日は盛岡からさらに北上して、空自三沢基地。
 この日は良く晴れて気持ちいい天気になったが、風が盛岡よりさらに冷たい。
 三沢基地は米軍と空自が共同で使っている。というより米軍基地内に空自が間借りさせてもらっている状態。
 なので中ではものすごい制限がある。
 写真は本当に展示用の物しか撮れないし、移動中も見通しの良い所は絶対通らない。格納庫から滑走路を眺めるのさえ、空自の人に付き添われてでないとできない。
 なので見学としてはとてもつまらない。
 厚木や岩国も米軍と共用だけど、ここまでうるさくなかったと思うんだけど、まあ空自はもともと杓子定規なところがあるし、「身内」じゃないっていうのもあるんだろう。

 資料館でこんな感じのブリーフィング。
 ここの資料館、歴代の三沢航空祭のポスターを展示してあるのが面白かった。
 ブルーインパルスがカラースモークを吐いてたり、アクロバットをしているのがF-86だったり(ブルーインパルスですらない)、歴史を見ている感じでこれは飽きない。

 格納庫でF-2見学。
 置いてあるのがこれだけで、他の機体や機材が一切無いところを見ると、見学用にわざわざ格納庫を全部片付けて1機だけ持ってきたっぽい。
 ……まあいいんだけどね。
 この後は昼食を体験喫食(堅焼きそばと野菜サラダにバナナが1本ついてきた)、地上管制塔見学。三沢基地の管制は、米軍や民間機も含めて(一応三沢基地は三沢空港という民間空港でもある)空自がやっている。
 管制塔も写真禁止だがこれはしょうがない。
 こんな感じで見学は終了。時間がぎりぎりになって基地での買い物の時間はなし、かろうじて八戸駅で新幹線に乗る前に15分ぐらいお土産を買う時間があっただけだった。
 東北は、他地方から見ると東日本大震災でひとくくりにされがちだけど、実際に行ってみると地域によって結構感覚に差があった。
 まあ関東でも、東京あたりと大きな被害のあった千葉とかではやっぱり意識は違うから、別に不思議でもなんでもないんだけど、この差をきちんと見ていないと、誤解が出てしまうというのもまたあるなというのは思った。

東北縦断の旅・盛岡編

すみません。21日からオピニオンリーダー研修で東北地方に来ていますが、持参したvaio pro11がネットワークを認識しないため、ブログの更新ができません。
(これはスマホからアクセスして書いています)
帰宅後にまとめてアップしますので、お待ちください。
 というわけで、2日目は盛岡の岩手駐屯地を見学。
 前日の仙台も寒かったが、北上した盛岡はもっと寒い。
 しかもまた雨だし。
 この日は74式戦車体験搭乗があるんだが大丈夫か。

 岩手駐屯地には特科(火砲)部隊と戦車部隊がある。所属する隊員の80パーセントが岩手出身だそうな。
 ここの厚生施設は温水プールはもちろん、トレーニングジムやリラクゼーションルームまで備えた超充実した全国の陸自でも5つしかない施設(予算の関係からそれ以上作れなくなっちゃったんだって)。
 人里離れた平坦と言えない山の中腹にある上に豪雪地帯なので、隊員の日常のトレーニングやリフレッシュをどうするかという観点から作られたらしい。

 食堂は幹部とそれ以外で通行エリアも別。
 ザ・階級社会。


 資料館。旧陸軍時代の資料が異常に充実している上に、解説の隊員さんがよく知ってるわ話はうまいわで超面白い。
 でもなぜ海軍の資料まで充実しているのかは謎。

 館長、沢内ポン太。

 実は3佐。司令が1佐なので上から3番目に偉い。
 昔は自衛隊が民間支援の一環として農繁期に農家の手伝いに行くということをやっていて、その記念なんだとか。
 なんというか、農業国日本らしい話ではある。

 そして雨の中、FH-70榴弾砲の展示訓練もやった。これは砲に先立って撃ちこむ地点を観測する部隊。
 PR部隊のブルーインパルスは天気が悪いと飛べないけど、これは実戦部隊なので天気は関係なくやる。

 ただいま観測中。

 観測終了すると、牽引車に引っ張られたFH-70が登場。

 自走でも登場。
 左に乗ってる人が運転手。というか丸出しで大丈夫なのか。

 来たのは全部で3両。距離的には100メートル離れていないと思う。
 で、これが一斉に空砲射撃をする。音もすごいけど身体に直接振動がくる感じもすごい。

 なのでどうしても撃つ瞬間はびくっとしてしまい、まともな写真が撮れない。

 最後は74式戦車体験搭乗。74式そのものは何回か乗っているけど、さすがに雨は初めてだ。というより一般の体験搭乗なら雨が降ったら中止になるよね。
 走ったのが一応舗装された場所だったのと、運転手さんがうまかったので全然揺れなかったけど、どうやらこの駐屯地、隣に牧場があるらしくて、走ってる最中牛小屋の臭いがすごかった。


 一緒に装備品展示もしてくれた。
 上右:94式除染装備。化学汚染なんかを温水や冷水や薬剤で洗い流すやつ。
 上左:72式対迫レーダ装置。地上で発射される迫撃砲を逆探知して発射場所を特定する装置。
 下右:対迫レーダ装置JMPQ-P13。72式より新しいの。
 下左:FH-70の自動給弾装置。ここに弾を置いておくと、前のを発射した反動を使って自動的に装填できるんだって。
 この後は盛岡市に戻って、盛岡市先人記念館を見て終了。
 新渡戸稲造とか金田一京助とか米内光政とか、盛岡出身の歴史的政財界人、文化人130人を紹介するという資料館。
 正直、こういう自画自賛系の資料館はぱっとしないのが相場と決まっているので内心ふーんと思っていたら、意外と収蔵品がすごくてびっくりした。
 米内光政が昭和天皇から下賜された硯箱の現物とか普通に展示してあるし。
 すごい盛りだくさんだった。盛りだくさんすぎて(あと寒くて)装備の名前とか覚えられなくて、後でネット検索したぐらい。
 あと、盛岡の人は郷土愛と自負心がかなり強いということが分かった。
○おまけ

 よく見たら運転手さんがピースしていた。

 ホテルの植え込みに落ちていたカラスのヒナ。場所が場所なのでうまく歩けず途方に暮れていた。親も心配らしくて近くをうろうろしている。
 親鳥が近くに来ると、羽を広げておねだりポーズをしたりするのがかわいい。

 あ、眼が合った。

東北縦断の旅・松島編

 というわけで、戻ってきたので改めてアップします。
 21日から23日まで、オピニオンリーダー研修で東北縦断してきた。
 21日は仙台の陸自仙台駐屯地と空自松島駐屯地。どっちも東日本大震災で大きな被害を受けた所。
 ちなみにこのラインナップは海自の基地モニターで2009年に行った時と同じ。
 2009年3月4日
 2009年3月5日

 仙台駐屯地。
 被害からの復旧はほぼ終わっているが、見えない基礎の部分がやられている建物が後で分かったりとかして、まだ一部工事継続中。

 震災で倒壊、再建されたチャペル。
 なぜ駐屯地内にチャペルがあるのかという、ここは戦前陸軍基地で、戦後一時期米軍が使っていたから。
 ちなみに結婚式が挙げられるかどうかは不明。

 倉庫で見つかって磨き直されたという年代物の鐘。
 すごくいい音がする。もちろん音は全然違うけど、お寺の鐘と響きの感じが似ている気がする。
 ここで駐屯地の概要や震災の時の話などを聞いて、お昼ご飯を食べて(専門用語で体験喫食という)仙台基地へ。
 仙台基地ではブルーインパルスが飛んでくれる予定だったんだけど……。

 雨でーす。
 壁にちょこっと書いてあるのは、津波が到達した高さ。
 でも津波の痕跡そのものは、泥水の跡みたいな小さな物も含めて全くなくなっている。
 唯一、汚れて窓が完全になくなった状態で放置されている古い小さな倉庫みたいな建物があったぐらい。

 思わず普通に見てしまうぐらい2009年の時と変わってないが、実は全部一旦津波にのまれているのだった。

 しかし、倉庫の中のブルーインパルスを一生に2度も見ることになるとは思わなかったぞ。

 正面顔。

 おしり(はぁと)。

 増槽
 前は触っちゃ駄目と言われたけど、今回は触り放題だったので、調子に乗って翼に肘をついた写真とか撮ってきた。
 絶対載せられないけど。
 なお、前に行った時に1機だけ格納庫にあったT-2ブルーインパルスが今回なくなっていたので、津波で駄目になったのか聞いてみたら、残っていて別の場所に保管されているということだった。 

 現在、ブルーインパルスと近くにある救難機の格納庫エリアは、こんな風に土盛りでかさ上げされている。これで10メートルぐらいの津波が来ても大丈夫らしい。
 場所は全く変わっていないので、どうやってやったのか質問してみたら、ブルーインパルスの格納庫は、まず屋外整備エリアに盛り土をして、そこに格納庫を家引きという方法でまるっと一時移動、盛り土後元の場所に戻す、救難機のほうはシンプルに盛り土をした後に新しい格納庫を建てるという方法だった。

 そしていつもの救難コンビ。
 格納庫も仲良く一緒。

 左:U-125Aの中、後ろ側。
 右:コクピット側。

 機体用シャワールーム。海上を低空飛行すると塩がつくので、これで洗い流すそうな。
 天井と床の格子からシャワーが吹き出てくる。奥の白いのはシャワーカーテン(本当)。
 これで見学はおしまい。
 基地のまわりも見る限りは普通に戻っているようだったけど、家や店舗が全部真新しいのがやっぱり普通と違う。
 バスでホテルに行く途中、津波が来た沿岸部を通ったが、海に近づくほど草の生えた空き地が増えていって、海沿いになると全く建物がなく、あったと思うと津波にやられたまま放置されたものだったりする。
 さすがに当時の生々しさはなくなっているが、一体どれだけの物が失われたのかというのを目の当たりにする思いだった。
○おまけ

 松島基地で売っていたブルー制服のくまモン。
 もはや熊本関係なくなってるな。

 200円のあたりつきオリジナルガチャガチャをやったら……。

 ブルーインパルスの生写真(ケース入り)が当たってしまった……。

わーいカメラだ


 長門とパムが微妙な感じで見つめあっているので写真を撮ろうとしたら、長門に気付かれた。

 そしてやっぱりこうなった。
 カメラとかブロッサム、通称ちびころとか、なんでこの鳥は端から見て理解しにくい物が好きなんだろう。