週1限定

 最近、カゴの中にいる写真しか載っていないパムだが、別に外で遊ばないわけではない。

 ちゃんと出る時には出ている。
 ただし週に1度だけ。
 どうやら、パムの脳内では、週に1度のカゴの大掃除の時だけ、自分も外に出て遊んでいいということになっているらしい。
 掃除の準備をしてカゴを開けるといそいそと出てきて手に乗るのに、それ以外の時はいくら呼んでも誘っても、カゴを開けっ放しにしておいても、絶対に出てこない。
 別に出たがるのを阻止したり何かしたわけでもないので、なぜパムがそんな考えを持つようになったのかは全くの謎。

 でも、出て何をするのかといえば、人間様の手の上でごじょごじょさえずりながら羽づくろいしたり羽をふくらませてくつろいだりするだけ。
 これでは中にいるのと結局変わらない。
 まあ、出たがらないから慣れなくなったというわけではないので、本人がそれでいいのなら、人間様がとやかく言うことではないかとは思う。

 これは掻かれてうっとりのあまり謎の物体になっているビビ。

スーパーヒーロー大集合

「アヴェンジャーズ」を見てきた。
 アイアンマンとハルクとキャプテン・アメリカが一緒になって大暴れする話(でも全部元ネタ見たことないけど)という、聞いただけで破壊力抜群そうな(そしてそれしかなさそうな)映画だとは思っていたけど、やっぱりそうだった。
 いや、批判しているわけではなくて、何も考えずに見れて結構楽しかった。原作のコミックとか、キャラクターの元ネタとか知っていたらもっと面白かったかも。
 ひとつ不満なのが、司令官のニック・フューリー。正直いらない。
 というか、あくまでもキャラクター(と観客)の前に出るのはあのいい人のエージェントと女副司令官だけで、司令官はあくまで後ろから、姿を見せずに指令や支援を行う謎めいた存在、のほうが良かった気がする。
 結局、フューリーが前に出てきすぎているために、エージェントと女副司令官の存在が中途半端になって残念だった。ふたりとも、特にいい人のエージェントはいい味出してたのに。
 とりあえず、アメリカ人は気持ち悪い巨大なエイリアンに自国が攻撃されるのが大好きということは分かった。
 だって、何かというとそういう展開の映画ができるよね。

ぎっくの怒り


 長門。
 すっごい睨まれてるよお前。
 以前、長門はぎっくちゃんをいくら怒らせても恐くない相手と見ていたらしく、ちょっかい出し放題だったが、ぎっくちゃんは怒りが頂点に達すると加速装置のスイッチが入るらしく、突然信じられないぐらいの俊敏さで金網越しに飛びかかり、足やくちばしに噛みいたりする。
 なので最近はあまり怒らせすぎないよう、用心するようになったらしい。

中を拝見

 ブロッサム、通称ちびころが卓上ファンに興味を持った。

 うちは床置きで使ってるけど。
 どうやら送風口の奥がどうなっているのか気になるらしく、風に吹かれながら首振りに合わせて右に行ったり左に行ったり、さかんに覗き込んでいる。
 まあ、巻き込まれる物でもないんで好きなだけ覗いてもらっていいけど、覗いて理解できるんかいな?

追憶売ります

「トータル・リコール」を見てきた。
 女って恐い。
 以上。
 じゃなくて。
 原作もリメイク元のシュワルツェネッガーのも知らないせいか、なかなか面白かった。
 早い段階で、主人公クエイドをめぐる女性ふたりの立ち位置が確定してしまったのがちょっと物足りなかったし、アクションが過剰な上にカメラワークが凝りすぎて、どういう状況なのか分からない部分も結構あったけど、どんでん返しのうまさもあってまず飽きずに見ていられる。
 特にクエイドの“妻”のローリーの、ターミネーターとも勝負できそうなしつこさと容赦のなさはもはやトンデモの域に達していると言っていい。男だったら良くあるただの強力な悪役なのだが、女の妄念や情念がプラスアルファされている分、なんか嫌な凄みがある。演じたケイト・マッキンセールも明らかに面白がってやっており、その怪演っぷりだけでも一見の価値がある。
 とりあえず、ひとつ気になったことは、未来の都市は空間の使い方が下手だなあということ。
 ひとつの建物内を移動するために、どんだけ広いエレベーター空間が必要なのかと。

チャンドラと言葉

 手乗りとそうでない鳥の最大の違いは、鳴いて人とコミュニケーションを取るかどうかだという気がしてきた。
 チャンドラは手乗りではないが、非常に人なつこくて、すぐ人間様のそばに寄ってくるし、手から物を食べたり、指をカゴに入れると自分から頭をすり寄せて掻かせたりする。
 だが、ビビやパムのように、人間様が話しかけても一緒になってさえずらないし、言葉も覚えようとしない。また、鳴いて人間様を呼ぶこともない(他の鳥どもが呼び鳴きを始めると、つられて鳴くことはある)。明らかに、人間様の言葉に対する反応が、他の鳥どもとは違っている。
 人間様はこれまで荒鳥を飼ったことがないので、これは推測でしかないのだが、鳥の親に育てられたチャンドラは、人間に育てられた手乗りの鳥のようには、人間の声や言葉をコミュニケーション手段として認識できないのではないだろうか。
 手乗りの鳥は、幼い頃から人間に話しかけられ、その音域や調子に慣れている。また、鳥自身も人間を親と認識しているから、その働きかけに反応しようとする。結果として、ごく自然に、同類の鳴き声以外に人間の声や言葉もコミュニケーション手段のひとつに含める“回路”ができあがっていく。
 ところが、親も鳥だったチャンドラは、人間の言葉に接する機会がほぼ皆無だったため、手乗りと違ってその“回路”ができず、人間の声や言葉を雑音としてしか認識できない。なので、人間の言葉に反応しない。
 とまあ、さっきから黙ったまま人間様の様子を伺っているチャンドラを横目で見ながら、そんなことを考えたりもする。

 チラチラ見てる。
 もっとも、他の鳥どもの様子を見て学習したのか、最近のチャンドラは、声をかけると実に控えめに返事らしきものをつぶやくようになった。
 その調子で慣れていってくれ。

ファイアワークス

 神宮の花火大会を見てきた。
 会社の会議室の窓から。

 いや、肉眼ではもっと大きくて派手に見えてるんだけどね。
 カメラで撮ると、どうしてこんなショボい感じになっちゃうんだろうね。
 上のほうから見ていたせいか、場所的な制約があるのか、あんまり大きいのがなくて高さも低かったのがちょっと残念だった。
 もっともその分、数でカバーしてはいるんだけど。
 やっぱりこう、大玉が思いっきり高く上がってドーン! の迫力には及ばない感じ?

過去から来た

「絶対何も買わないぞ!」と決意して行ったはずなのに、気付いたら買っちゃってることってあるよね。

 たまたま足を踏み入れたアンティークフェアで勝ってしまった1900年頃のイギリス、ドルトン社という所のミルク入れと花瓶。
 イギリスではウェッジウッド、ミントンと並ぶ陶磁器メーカーなんだって。
 今はロイヤル・ドルトンと言うらしいけど、この時はまだロイヤルはついていないただのドルトン。

 1880年頃のブルームーンストーントガーネットのペンダント。
「坂の上の雲」の登場人物たちと同じ時代からやってきた。
 このぐらいなら普段使いにできそうな……無理か。

 そして、テーブルの上に上がりたいのにガラクタに占領されているので、人間様を見上げて不満アピールをするブロッサム、通称ちびころ。
 ごめんごめん。すぐどけるから。

凝視

 実家からこんな猫写真が送られてきた。

 庭で見つけたカブトムシを箱に入れておいたら、そばにひっついてひたすらじっと眺めているらしい。
 親に初めてカブトムシ買ってもらった幼稚園児のようだ。