サーラルの甘ったれた顔。
足が片方しかないのは、反対側の足で向こう側にある藁のオモチャを掴んでいるため。
大股開きでふんばっている状態なのだが、そのままうたた寝したりしてるので居心地はいいらしい。
鳥の居心地がいいって良くわかんないな……。
研修最終日。
この日は午前中に呉のてつのくじら館と大和ミュージアムを見るだけ。
11時過ぎには解散になったので、宮島の水族館に向かうことにした。
呉から宮島まで約1時間半。新幹線の時間を考えるとちょっと余裕がないが、前回宮島に行った時に気になっていたので、頑張ってみることにしたのだ。

「丸んせみ」ってなんじゃと思ったら、「みせん丸」(弥山、宮島の山)だった。
そういえば弥山も行けてないな。いつもロープウェイ大混雑だし。
今度はそれを主目的に来よう。

牡鹿には角が生えている。
奈良だと危ないので容赦なく切られているが、ここの鹿は大人しいからそのままなのかな。

大鳥居は大規模修復中。まあ前回見てるからいいけれど。
そういえば、この状態の鳥居を写生する写生大会という、鬼のような企画のチラシが貼ってあった。
正気か。
宮島水族館は、宮島港から歩いて20分ほど。厳島神社のさらに向こうにある。
入場料を払って厳島神社の中を通っていけばショートカットになりそうだったが、さすがにそれは自制した。

入ると最初にあるのは牡蠣の養殖いかだ。レプリカではなく実際に牡蠣を育てながら、いかだ周辺の環境を再現している。
似たような物を前にどこかで見たぞと思ったら、仙台うみの杜水族館のホヤ養殖水槽だった。


ここでもモンハナシャコ。
カメラを向けていたら隠れ家にするんと入ってしまったが、くるりと身体を丸めてターンする仕草がいちいち優雅。

太刀魚。
実はかなり暗闇に近い環境で、妙なリラクゼーション効果がある。

瀬戸内海のイルカ、スナメリ。
昔は良く見られたんだけれど、今は稀少動物と化しているらしい。


最初に見た牡蠣養殖水槽の水面下。
群れでぐるぐる泳ぐイワシの稚魚? がきらきら光ってとても美しい。
いつまでも見ていられる。

カメラを向けたら一目散に逃げていったタコ。
そんな嫌がらなくても……。

一方、たこつぼに入っている奴は全員片目とろうとをこうやって出して覗いているので、ちょっと恐い。

ウマヅラハギ。
名前は聞くけど実物を見たのは初めて。
顔はともかく、白地に茶色の模様がある身体に青いひれがとてもきれいだった。

ヘラクレスカブトムシって始めるものなのかとか、ここは水族館ではないのかとか、いろいろとツッコミどころが浮かぶ展示。

なんだっけ、食べるとミルクの味がするという説明しか覚えていないカニ。

ハゼはかわいいんだけど、気が荒くてしょっちゅうケンカしている。
こいつらも次の瞬間ケンカを始めた。

泳ぐペンギン、上から。
同じ水槽の様子を下と上から見ることができる。

ライブプールで、丁度オットセイの訓練をしているのに出くわした。
オットセイだけでなく、先輩トレーナーが後輩トレーナーの指導もしているらしい。

手のひらに鼻をぴたっとくっつけて動かずにいるというのが、言うことをきかせる基本の動作らしい。
エサが欲しくて一生懸命頑張るオットセイと、そのオットセイの訓練を一生懸命頑張るお姉さん。
微笑ましい。

夢中で見てたら、オットセイをそばで撮影させてくれた。
これは撮影のために「待て」をしている所。多分こういうのも訓練なんだと思う。
オットセイは犬の仲間だそうだけど、訓練の時の表情やしつけのされかたを見ていると納得するな。
こぢんまりしていて瀬戸内海の生物が中心なので、いわゆる大手みたいに華やかではないけれど、でも逆に見たことがない魚とか結構いて楽しい。
入場料が若干お高めだが、展示のレベルも高いので十分満足できる。
さて後はブラブラしながら帰ろうか。
この後焼き牡蠣を食べて、もみじまんじゅうを山ほど買って帰ってきた。
牡蠣はあんまりおいしくなかったけど、よく考えたら今シーズンじゃなかったね……。
※寝てしまったのでまとめてアップします。
今日は善通寺から一転、呉に移動して海自の艦艇と江田島の見学に向かう。
四国からまた瀬戸大橋を渡って広島県の呉まで、はるばるバスで向かうのだが、なんでもこの辺は良いルートがないとかで、その所要時間実に3時間。
しかも呉に近づけば近づくほど大雨が降ってくる。なんだかダメな予感しかしない。

琴平から瀬戸大橋に向かう途中にあった富士山に似た山。
ていうか割と四国ではあちこちにこのタイプの山あった。

見ていたら突然もくもくと白煙を噴き上げてなんか始まった瀬戸大橋近くの工場。
鉄工所っぽかったから、製鉄でもやってたのかな?
ところで呉って4年前にもやっぱり見学で来てるんだよね。
個人で来たのも合わせるともう5回ぐらいになるかな。
なんで関東に住んでるのにこんな頻度で来ているんだろう……。

とまあそんな事を考えながら呉に到着。
こちらが見学予定の輸送艦『おおすみ』。
輸送艦と銘打たれているが、実際には陸自の車両や装備を上陸させる強襲揚陸艦。
用途的に陸自と関連が深いので、今回の見学先になったっぽい。

格納庫。
一般公開の時はここにLCACが格納されているのだが、今日はいない。
何もいないLCAC格納庫というのはむしろレアな風景なので、かなり興奮した。

海水がちゃぷちゃぷいいながら流れ込んできている。
艦の中に水が入ってきているのって、なんだかとても不思議な気分。

食堂。
パーテーションが木!
なんか徹底していろいろ拒んでる感あるな……。

艦艇の後は江田島を見学する。
フェリーで行くのかと思ったら、海自が交通艇を出してくれた。なにそれすごい。


江田島の大講堂と幹部候補生学校。この辺ももう5回ぐらい撮ってる気がする。

エントランス側から廊下を撮ってみる。
……外から撮るのと変わらないんだけどね。

きれいな階段。
ここでは1階が候補生の区域、2階が職員と幹部の区域と厳密に分けられていて、候補生は2階に上がれないらしい。
2階で校長先生のオフィスも見せてもらったのだが、そこの写真は割愛。
東郷平八郎の肖像が飾ってあった。





その後は教育参考館とか売店とかおなじみのコースをたどって、また交通艇で呉まで戻ってきた。
これだけの艦艇を見るのも久しぶりだなあ。
横須賀は吉倉と船越に港が分かれちゃってるから、こんな風に見応えのある風景にはならないんだよね。
まあ定番と言えば定番のコースだし、最初はまたこのコースかあと思ってたんだけれど、蓋を開けたらLCACなしの『おおすみ』とか幹部候補生学校の中とか、あんまり見れない物が見れて楽しかった。
自衛隊の基地見学で四国に来ている。
本来は毎年1回あるなのだが、コロナで中止が続いていたので、実施は実に3年ぶり。
久しぶりの自衛隊分補給だ。まだまだ前の通りとはいかないけど、いろいろと見れるといいな。
今回の目的は善通寺の陸自善通寺駐屯地。
歴史をたどれば、乃木希典が初代師団長を務めた明治31年創設の陸軍第11師団にまでさかのぼるという、由緒ある駐屯地で、関東方面ではもうなくなってしまったような歴史的構造物も結構残っている。
東京方面からだと新幹線を使っても4時間ぐらいかかるのが難点だが。

まず司令部でブリーフィングを受ける。これは司令部の玄関と16式。
ここはいわゆるまあ南方からの脅威に対して、素早く部隊を展開して対応する機動旅団が中核になっている。
いつも思うんだけど、機動旅団ってすごく強そうな響きじゃない?

ブリーフィングを済ませるともうお昼なので、一旦駐屯地の外に出て偕行社で昼食。
通常だと隊員食堂で体験喫食になるのだが、コロナの影響で部外者が隊員と一緒に食事をすることは、現在できなくなっている。
なお、偕行社というのは、陸軍の将校クラブ。海軍の水交社と同じもの。
ほとんどの偕行社は終戦後に取り壊されたけれど、ここは進駐軍が使ったりしていたので、残ったらしい。
ちなみに隣にあるのは市役所。

お上品そうなホール。重要文化財らしい。
一部はカフェに改装されて、ご近所の憩いの場になっている。

ご飯を食べたら駐屯地に戻って、装備見学。
さっきの16式のエンブレム。黒地の四国をバックに牙をむく白い狼(?)。かっこいい。

最新式の浄水装置。
いわゆる南からの万一に備える「最前線」であるこの部隊には、新しい装備が優先的に配備されているそうな。
なおこの浄水装置、海水かららも真水を作れるので、災害時にも大変役に立つらしい。

最新式……かどうかは分からないけど、新しい銃。
重さ3.2キロでとっても軽いので、女性も扱いやすいらしい。

中距離多目的誘導弾。略して中多。
これは割とあちこちで見るし、総火演でもおなじみ。

とまあこんな感じで現代の装備を見た後は、歴史を見に行くことになる。
乃木希典が団長を務めていたので、やっぱり乃木関係の話が多い。
なおここは明治に作られた赤レンガ倉庫(現役)。

旧師団司令部の2階を乃木関連の資料館にした「乃木館」
ちなみに旧師団創設時に建設され、2006年まで司令部庁舎だった。
現在も1階は音楽隊の施設になっている。
長持ちしすぎ。

素敵な階段。
非常に雰囲気があるので、ここでウェディング写真を撮るカップルが多いらしい。お、おぅ……。

業務用ハンコ。
「済」とか「受領」とかいわゆるそんなのから、司令官印、部隊長印といった重要な物まで一通りそろっている。
経緯は不明ながら、終戦後にここではなく高松で発見されたらしい。

司令官室の机。
右の小さな椅子は、乃木希典が使っていたもの。質素が好きなのでこういう椅子になったらしい。
思うんだけど、乃木って形から入る人だよね。

そしてなぜか飾ってあるF86(後ろはチヌーク)。
なぜ陸自の駐屯地に空自の戦闘機なのか、全く経緯が分からない。
非常に聞きたかったのだが、時間がなくて聞きそびれた。
この後、音楽隊のミニコンサートを聞いて見学は終了。
時間は短かったけどすごい面白かった。

そしてこの後は善通寺にやっていた。
そう、これもちゃんとした見学なのだ。
前は旭川駐屯地のついでに旭山動物園を見学した事もあるので、駐屯地の後に寺見学が入ってきても全くおかしくない。
ちなみに、駐屯地から五重塔が見えるぐらい近くにある。
ここは空海の生誕地に建てられた寺院なんだって。
「善通寺」という寺及び近隣の地名は、空海のお父さんの名前「佐伯善通(さえきよしみち)」にちなむとか。

五重塔。
2階まで作ったところで資金が底をつき、中を上がって展望台みたいに外を見られるようにして入場料を稼ぎながら、こつこつと残りの3階を作っていった。
なんか苦労がしのばれるな。
案内のお坊さんがすごくいろいろ話してくれたので、大幅に時間をオーバーしてこの後の自由時間がなくなり、その時に行こうと思っていた金毘羅宮に行けなくなってしまったが、話がとても面白かったのでいいや。
今日は平泉へやってきた。
平泉は奥州藤原氏の本拠地だった所で、ゆかりの寺や遺跡が割とコンパクトにまとまっている。
各地点を結んでるんるんバスという観光専用の巡回バスが走っており、車がなければこれを利用できる。
これまで散々免許がないがゆえの辛酸を味わってきたので、さすがは岩手屈指の観光地とつい賞賛しかけたが、よくよく調べたらこのるんるんバス、1時間に2本しか出ていない。
……うん、でもこれまでに比べたら破格の扱いかな。

もっとも、平泉駅についた朝9時には、まだるんるんバスは動いていなかったので、普通に路線バスで中尊寺に来た。
バス停のすぐそばに弁慶の墓があった。
なお、るんるんバスで、義経と弁慶が討たれたと言われる場所も行くことができる。ちょっと興味があったのだが、時間的に微妙だったので見送った。
そう、ここからかなりの急坂をのぼっていかないと、中尊寺にはたどりつけないのだ。
なんか早くも心が折れそう。
しょうがないから頑張るけど。

坂を上って最終地点の金色堂に行くまでに、こういう小さなお堂がいくつもある。
これは通称弁慶堂。奉られているのは地蔵菩薩だが、弁慶の立ち往生と義経の像がおさめられているので、この名前になった。
というかさっきから弁慶しか出てこないな……。

やっとついた金色堂。
といってもこの建物は金色堂ではない。
覆い堂と呼ばれる保護用の建物で、金色堂本体はこの中にすっぽり格納されている。
中は撮影禁止。
隣には資料館もあって、仏像とか収蔵品とか、昭和35年の金色堂の解体修理の時に調査した藤原4代の棺の副葬品とかを見ることができる。
泰衡の首桶とかもあって生々しい。
というか、この人達のミイラの写真、みんな素っ裸で葬られた遺体としてはどうかみたいなポーズをしていて常々疑問だったんだけど、あれは副葬品とか着ていたものとか調査で全部剥がれてああなってたのね。
この資料館には、発見時にミイラが着ていた袈裟とか経帷子とかも展示されていて、やっと謎が解けた。
金色堂は、うん、すごかった。
割と小さいのでがっかり名物などと言われる事もあるが、といっても、奥州藤原氏の3人の遺体+1人の首が中に納められているのだから、決してそこまで小さい物ではない。
むしろ、小さなお堂のなかにこれでもかとばかりに金にあかせて豪華な細工を施し、さらにお堂全体を金箔で金ぴかにするというトンデモ発想に、もしかすると朝廷と同等か、それ以上かもしれなかった奥州藤原氏の権勢と羽振りの良さがひしひしと伝わってくる。ぶっちゃけ、秀吉の黄金の茶室とか鼻で笑うレベル。
これは義経を口実に頼朝が滅ぼすわけだわ。絶対鎌倉より金も力も持ってたもの。

どこかで見た顔だと思ったらうちの社長に似ていた松尾芭蕉。
金色堂を見て「五月雨の降り残してやひかり堂」という句を残している。

そして、古い寺社に良くあるように、ここも仏と神が一緒に祀られている。
境内内にある白山神社にある能舞台。作ったのは伊達一族。
能舞台なんて良く分からないけど、伊達と聞くだけでセンスがいいように見える。
全部見るのに大体2時間半ぐらい。このご時世で御朱印がほとんど書き置きなので、その分時間がかからなくなっている。
次に行ったのは毛越寺。
中尊寺に行くと行ったら父親が熱烈に推してきた。なんでも庭園がすごいらしい。

ちょっと奥に広大な池の庭園が広がっていた。なるほどこれはすごい。
性質が全く違うので単純比較はできないが、規模で言えば足立美術館にも匹敵する。
何度も火災に遭ったため、当時の主要な建物はほとんど残っていないが、元々は一番奥(真ん中の白い杭が立ってるあたり)に金堂(本堂)が建っていて、池に渡された橋を通ってお参りする形になっていたとのこと。

左側の木の塊が経堂跡、右側が鐘楼跡。といっても土台石しか残ってない。

噂の金堂跡。杭の説明文によれば、吾妻鏡に「金銀をちりばめ、紫檀赤木等を継ぎ、万宝を尽くして釈色を交う」と書かれた程の、それこそ金色堂並みの豪華絢爛さだったらしい。
またしても奥州藤原氏の財力すごすぎる。
確かに父親推しなだけの事はある。
まあ残っているものだけ見たら、ただの庭園と言えば庭園なんだけどね。
で、最後に行こうと考えたのが、達谷窟毘沙門堂。
岩に貼り付くようにお堂があるとか、岩に仏の像が彫ってあるとか一部で有名な寺。
ただ、またしてもここはバスがないので、タクシーに頼る事になる。
毛越寺ではタクシーがつかまらないので、一旦歩いて10分ほどの平泉駅に戻り、そこから出発した。
ちなみにお参り中の待ち時間も含めて、かかった料金は5,000円。

大きくはないが手の込んだ鳥居。律儀に一の鳥居から三の鳥居まである。
奥に見えるのが噂の毘沙門堂。
ん? 鳥居……? 寺なのに鳥居……?

創建は坂上田村麻呂らしいが、なぜこんな所に作ろうと思ったのか……。


これが岩の仏、岩面大仏。
岩が脆いのかかなり消えてきている。もう10年ぐらいで危ないかもしれない。
これで行きたかった所はコンプリート。でも新幹線の時間まで3時間近く残っている。
早割で予定を変える事ができないので、とりあえず乗車駅の一ノ関まで戻ってぶらぶらして過ごした。

ぶらぶらついでに撮った岩手山となんか山。
橋の下を流れるのは磐井川。冬には白鳥が来るんだって。
実は、中尊寺に行きたいなと思ったのが、今回の旅行のそもそもの始まりだった。
どうせ行くならもうちょっと別の場所をと考えた結果、八幡平とか藤七温泉とか小岩井農場とかが加わり、気付けば岩手県内陸部を大縦断することになっていた。
とにかく交通の便が悪くて苦労したが、結果としては割とスムーズにいったと思う。
岩手2日目。

昨日とは打って変わっていいお天気。
上の方でちょこっと湯気が見えているのも藤七温泉だが、こっちは完全な高温の源泉ばかりで人は入れない。
さて、昨日も書いた通り、八幡平と盛岡駅は、1日1往復のバスでしか結ばれていない。
そして、帰りのバスは15時にならないと来ない。
チェックアウト後も居残って別料金で温泉に入る事は可能だが、そこまで入り続けていたいほどではない。もう1度八幡平に行こうか、どうしようかと悩んで宿の人に相談したら、チェックアウトの後、用事のついでに最寄りの路線バスの始発バス停まで車で送っていってくれるという。
なんというホスピタリティ。
というわけで、車で30分ほどのバス停に送ってもらい、そこから路線バスに乗って11時頃には盛岡駅に着くことができた。
彩雲荘のおじさん、ありがとう!
思いがけず時間に余裕ができたから、近くの小岩井農場まで行ってみよう!
実は全然近くなかった。
確かに小岩井農場は盛岡から田沢湖線で2駅なのだが、この田沢湖線のダイヤが1時間に1本。しかもこの時間は1時間半以上間が開いている。
盛岡からの路線バスもあるにはあるが、こちらは1日2往復で全然時間が合わない。
しょうがないので盛岡からタクシーで5,000円かけて行ったのだった。
運転手さんにいろいろ説明してもらって楽しかったけど、なんでこのあたりは無免許の人間に優しくないのだろうか。
小岩井農場は牛乳でおなじみのあの小岩井農場。
岩手山山麓に、東京風に言うと山手線の内側ぐらい、地元風に言うと田沢湖よりちょっと広いぐらいの広大な敷地を持っていて、その中で牧畜、養鶏(卵ではなく採卵用のヒヨコを出荷する方)、農業(乳牛用の資料を作っている)、林業(牧畜に最適な環境の保全のため)、観光をやっている。
今日来た小岩井農場は、その広大な敷地の中の指先ほどのごくごく一部をレジャー施設に整備して一般公開している場所になる。

なんか園内を歩いているのに出くわした。
ドラえもんのパチモンみたいだと思ったが口には出さなかった。
そして入園後すぐに向かったのが「ファームトラクターライド」というアトラクション。
トラクターが引く客車に乗って、非公開エリアの森林を見せてもらうガイドツアーなのだ。
ウェブサイトで見た時に、これだけは絶対乗りたいと思っていたのだが、首尾良く最終回である14時半の回の予約に成功。
しかも最前席。やったね。
後は名物牛乳ラーメンでも食べた後、適当に回って時間を潰そうかな。

餌やり体験のポニーはニンジンが欲しくてこちらを伺っている。
ごめんよ、まだ餌やり体験の時間は遙か先っぽいんだよ。

秋の花に虫がたくさん来ている。
いろんなシジミチョウとアブだと思うがもしかするとミツバチかもしれない。

トンボもわんさかいる。アカトンボは早くも真っ赤。
ところで、こうやってとまっているトンボにちょっかいを出すと、いち早く察して逃げたり、羽をぴしぴし触られても動じなかったり、いろんな反応のがいるのだが、やっぱり性格なのだろうか?

羊牧場。
暑いのかみんなゼイゼイやっている。
台風前のこの蒸し暑い日に分厚い天然ウールだもんね、無理もない。


少しでも身体を冷やそうとしているのか、地面にぴったりとくっついて謎の生物化している。
なんだか可哀想になってきた。
なんだろう、なんだかあんまり楽しくない。
那須の南が丘牧場の方が、動物と人との距離が近くて断然楽しい。
もっとも、全力で観光牧場をやっている南が丘牧場と、プロ畜産業の片手間に観光事業をやっているだけの小岩井農場を、同列に見るのが間違っているとは思うけれど。

まあそんなことを考えながら、上丸牛舎と呼ばれる歴史区画にやってきた。
ここには小岩井農場創設当時の設備が保存されていて、牛舎を中心とするいくつかはまだ現役で使用されている。

搾乳可能な雌牛がずらりと並ぶ牛舎。
今はお昼寝タイムなのか、みんな反芻しながらまったりしている。

ずらりと並ぶ牛の尻。
ちなみに、可能な限り清潔にしてあるのだが、フンの臭いやら何やらで独特の悪臭がする。
畜産関係の設備なんて20年以上近づく機会がなかったから、こういう臭さがあるというのを久しく忘れていた。
というか、日本人がささいな臭いまで気にするようになったのは最近の話で、昔の日本はこういう臭いが日常的にしている悪臭の国でもあったんだよね。別に日本に限らないけれど。

優しい顔してるね。カメラ向けたら目を背けちゃったけど。
牛もカメラが駄目なのか?
んーまあこんなもんかなという感じ。個人的には、昔の物より今の最新の畜産設備の方を見たかったけど。
そうこうしているうちに、ファームトラクターライドの時間がやってきた。

そしてマフラーにとまるオニヤンマ。
このマフラーはトンボにとってよっぽど魅力的に見えるのか、この後も隙あらばトンボがとまろうとしていた。

走り出すとこんな感じ。
客車の車高が高いので、意外と遠くまで見渡せる。


まず最初は牧草地に連れて行かれて、トラクターと遠くに見えるD51とブルートレインをバックに記念撮影。
この車両は農場名物らしいが、なんで農場にD51とブルートレインがあるのかは良く分からない。

いよいよ森へ。このあたりは不整地なので振動がすごくて、手ぶれ写真しか撮れない。
周囲のスギの森林は全て、小岩井農場が植林して育てているもの。

その森林が見渡す限り続いていくので圧倒される。
スギたちは10年、20年、30年……とグループごとに少しずつ年齢をずらしながら飢えられていて、道路沿いのきれいなスギは、樹齢100年以上とのこと。
ちなみにこの森林ができる前は、住む人もいない荒野だったらしい。そこに文字通り1本1本木を植えて、今の小岩井農場ができあがったんだって。
それが山手線の内側ぐらいの広さ。
なんかすごい歴史を聞いちゃったな。

森の中の広場にやってきた。
これはキノコの一種が寄生してしまったスギ。もうこうなると材木にはできないらしい。

ガイドさん「真下から見上げると、木がらせん状に育っているのが分かりますか?」
ほんとだ! 不思議! なんで!?

参加者の子供がその辺で発見し、ガイドさんが大捕物の末に捕まえたヤマアカガエル。
山に住むので吸盤がなく、代わりにジャンプ力がすごい。
かわいい。

捕まったショックか、放されてもしばらく呆然としていた。
かわいい。
この後我に返ってぴょんと跳んだら、見ていた子供がとんでもない金切り声を上げたもんだから、そっちの方にびっくりした。

森を出ると牧草地が続く。
ここにそのまま牛を放して食べさせるわけではなく、収穫して保存用資料にする。草を7年、飼料用トウモロコシを3年、小麦を1年輪作しながら使っているんだって。


トラクターにわざわざ挨拶しに出てきてくれた、羊牧場の牧羊犬とバディのお兄さん。
牧羊犬はおじいちゃんだけどお兄さんに甘えるのが大好き。
楽しかった!
林業って畜産以上に触れる機会がないから、ほんと知らない事だらけだった。
10年、100年という先を見越しながら、成果を次世代に渡す前提で計画をして回していくのって、どんな感じなんだろう。
帰りは今度こそ小岩井駅から田沢湖線で帰った(ただし小岩井駅まではバス路線がないのでやっぱりタクシー)。
特定の時間しか駅員さんがいない半無人駅なのに、普通に秋田新幹線が通過していくのがちょっと面白かった。