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南国の迷彩ヘリ

 人間様の勤務先は陸海空自衛隊の基地の近くにある。
 どの基地も航空部隊を持っており、毎日毎日何かしらが飛んでいる。東北大震災で救援機として一躍有名になったUH-60を始め、おなじみのチヌーク、P-3C、あとは偵察ヘリ? と思うようなのとか背中にどら焼きをしょった警戒機っぽいのとか(でもこれは見間違いかも)、とにかく気付くと何かがいるので、ちょっとしたプチ航空祭気分が味わえる。
 残念なことに基地にカメラを向けるのは禁止なので撮影はできないのだが、知っている機体が飛んでいると、それだけで「ああ、今日もがんばってるなあ」とちょっと心が和んだりする。
 ……沖縄ではこういう趣味はいい顔されなさそうなので、黙っているけどね。

那覇空港から一番近い戦跡地(パンフより)

 海軍司令部壕に行ってきた。
 なぜここが沖縄観光で最初かというと、ウィークリーマンションからも近かったから。

 壕の入口付近はとても眺めがいい。というか、わざわざそういう見晴らしのいい場所を選んで作られたので当然と言えば当然だが。
 この壕が実際に使われていた頃はどんな風景だったんだろうか。

 壕への入口。写真だとわかりにくいが、かなり急勾配の階段が延々下へと続いている。
 多分元々は山頂の看視哨かなにかへの通路だったんじゃないかな。

 左:作戦室。高級幹部が使う場所は一応漆喰できれいにしてあるが……
 右:その他の場所はこんな素堀りのまんま。

 砂岩を兵がツルハシやクワで掘ったものなので、たまに固い岩盤部分があるとこうやって残っちゃってたりする。

 公開されていない場所は、こうやって土がたまったままになっている。
 ちなみに、この壕から発掘された遺骨は2,400体らしい。
 でこれが午前中。
 午後からは一応観光の定番、首里城に行ってきた。

 うねうねとした独特の城壁。

 左:おなじみの正殿。意外と狭かった。
 右:松のかわりにソテツが植えてあるのが沖縄っぽい。

 王が崩御した時、埋葬まで遺体を仮安置する場所とのこと。
 皇太子しか入れなかったほどの最高の権威を誇る場所なのだが、工事用のプレハブ事務所が無粋すぎ。

 おなじみの正殿。

 左:遊歩道を歩いていたらひょっこり現れた構造物。首里城関連の何かかと思って近づいたら……
 右:地味に戦跡だった。

 池にいた恐い鳥。通称フランス鴨というらしい。
 池を眺めてたおっちゃんが教えてくれた。
 うーん、城壁はすばらしかったけど、他はふーんという感じ?
 で、国際通りをふらついて帰ってきた。

 国際通りの店にいたコンゴウインコ。
 ご機嫌斜めだったらしくちょっかいを出したら本気で怒られた。

 そして今日の長門。
 絶好調だね。

潜水艦の上は暑い

 沖縄行きの前に多少なりとも海自分を補給しておこうと思って、潜水艦の見学に行ってきた。
 だってどうせ総火演行けないし。

 とはいえ潜水艦は機密のかたまりなので、中はもちろん外観も間近での撮影は禁止。
 でも写真がないとネタ的に厳しいので、苦し紛れにヴェルニー公園から入港中を撮ってきた。

 ちなみに乗ったのは奥の『わかしお』。
 就役は1993年でもう古いが、中はぴかぴかに掃除されていてとてもきれい。
 潜水艦の中のコンパクト美というか、あらゆる物をとことん無駄なく詰めこんだ感が実は結構好きなんだけど、でもこの中で暮らすって本当に大変だと思うわ。
『そうりゅう』とか、最新型はもう少し余裕があるんだろうか?

 ところでハトはなぜすぐそばの芝生ではなく、夏の直射日光に照りつけられる石畳の上にわざわざ横たわるのか。

夜の軍艦

 横須賀の米軍基地になんか1隻だけ電飾してる艦がいた。

 左は米軍の駆逐艦。
 あいにくカメラを持っていなかったのでiPhone4で頑張ってみた。
 意外と撮れるもんだなあ。
 オーストラリアのフリゲートだって。
 ところでなんで入り船状態で電飾してるんだろう?

カレーと飛行艇

 そういえば岩国でこんなものを売っていたので買ってみたのだった。

 岩国海軍飛行艇カレー。ネーミングになんとか差別化したいという努力の跡が伺える。
 右からUS-2試作1号機通称JALカラー、試作2号機通称ANAカラー、試作3号機量産型カラー。
 大きさ比較のためにブロッサム、通称ちびころに来てもらったがなんとなくイヤそう。
 もともとは海上自衛隊岩国基地の名物料理(?)で、去年岩国基地に行った時、広報の人が「ぜひ市販して岩国名物にしたい」と意気込んでいたが、1年を歴て完成していたらしい。
 この他にも店によって数種類のパッケージを販売しているが、これを買った店の人によれば中身はみんな同じとのこと。
 ちなみにお味のほうは……うーん微妙?
 キーマカレーというか、中途半端な挽肉カレー感と和風の風味にこだわりすぎたのが失敗してる感じ。
 このレンコンなら欧風でも充分いけると思うけどなあ。

オピニオンする人

 こんなものになってみた。
 
 額装の状態でもらったんだけど、どうしたらいいだろう。
 やっぱり部屋に飾るべき?
「オピニオンリーダー制度」というのは、昭和49年に発足した自衛隊の公式サポーターみたいな制度で、ぶっちゃけて言えば、自衛隊側はいろいろと見学や部隊研修をさせてくれる、オピニオンリーダー側はそれをもとに、自衛隊のアピールを外部に向かって行う、というもの。
 対象となるのは概要によれば「大学学長、教授(教育関係者)、報道関係者、執筆・評論家、災害・医療関係者、経済界関係者及び実業家等」で、なんでヒラの会社員である人間様がまぎれこんでいるのか知らないが、そういうわけで、いまだ東北大震災の災害派遣体制が続く朝霞駐屯地に行って委嘱を受けてきた。
 ……というか、今の仕事状況だととてもそんな余裕作れないから、最初断ったんだけどね……。

 委嘱式のついでにビジターセンターも見学させてくれた。
 90式戦車だって。意外と小さい。

 その横に置いてある、こっちは戦車を屠る攻撃ヘリAH-1コブラ。
 後ろに見えるのは航空祭でもおなじみ空挺団のパラシュート。

 窓の外をUH-60が飛んでいった。
 ちなみに、特典は東部方面対隷下の基地に自由に入れる入門証がもらえるぐらいです。
 しかも、空自と海自及び他の地方の陸自には通用しません。
 さらに、無報酬どころか見学なんかの時には費用は全部自腹になります。
 念のため。

昔特攻基地があった島

 今日は徳山まで足をのばして、大津島の回天基地跡を見てきた。
 あと、昨日は行けなかった岩国城にも行くつもり。

 岩国から徳山まで山陽本線で1時間半。さらに大津島まで船で20分。
 徳山のフェリー乗り場にすでにこんな模型が置いてあるのがなんだか。

 左:このへんも工業地帯だった。
 右:こんな貨物船やLPG船が至るところに沖泊めされていて、その間を縫うようにフェリーは航行する。かなり楽しい、

 これが大津島。
 緑色の屋根の建物があるあたり(小学校)から右手一帯が回天基地だったところになる。

 左:有名な発射訓練場へのトンネル。
 右:トンネルの中。地面の筋はトロッコのレールの跡。
 明るく見えるがこれもF値2.0のマジックで、実際はかなり暗い。

 これも有名な魚雷発射訓練場跡。
 今残っているのはコンクリートの部分だけだけど、昔はもっといろいろあったんだと思う。
 どうやら釣り場になっているらしく、おっちゃんが数人アジ釣りをしていた。

 中心にある2カ所の穴は魚雷発射用の穴、のぞくとこんな感じ。
 水面まで数メートルある上に薄暗く、おまけに波が当たるたびにタポン、タポンと響く水音がなんというか、背筋に何かがくる恐怖感がある。
 とはいえなじみのない設備のせいか、現役の時がどういう形だったのか、どういう風に稼働していたのか全く想像ができない。
 探せばどこかに資料写真はあるかな。
 でこの後は回天記念館へ行ってみた。
 射場跡は海岸沿いだが、記念館は結構な坂道を上がったところの元士官宿舎があったあたりに建てられている。

 門から建物までには、戦死した回天乗員の名前を記した石が並べてある。
 展示されている資料は書簡を中心とした隊員の私物が中心。
 戦中戦後に回天という兵器が置かれていた立場を考えると、多分このあたりが現存する資料としては精一杯なんじゃないかと思う。

 基地の背後にある山の山頂から海を眺めてみた。
 本当にこの島はのどかなんだよね。
 こんなところで、つい60年前に、確実に死ぬという訓練を繰り返して、実際に出て行ったきり帰ってこない人たちがいたということが感覚として分からない。
 
 これも山の上にあった見張り所。試験や訓練中の魚雷や回天がどういう動きをするか、全体的な動きを監視するための場所だと思う。
 というかさっきの山頂もそうなんだけど「20分ほどで登れます」という案内板の軽い言葉を信じて登ったら、実はえらい急勾配の山道を1キロ以上も歩かされるというひどい目にあったのだった。
 基地の人たちは訓練のたびに登ってたのか……。

 でもおかげでごはんがおいしく食べれました。
 漁師定食1,200円。
 これで大津島は完了。新幹線で新岩国に戻って岩国城を見ることにする、
 行きは1時間半だったのが、新幹線の自由席だと料金が倍かかるものの25分で戻れてしまう。

 昨日の猫が今日もいた。
 みんなからいじり倒されていたが嫌な顔もせずにされるままになっていた。

 岩国城から見た岩国市街、
 左のほうの海側が岩国基地。何か離着陸があるかとしばらく見てたけど休日のせいか全く飛ばなくてがっかり。

 左:ボタンとかサツキとか、花満開。こりゃ観光客多いわけだわ。
 右:とりあえず、昨日と反対側から錦帯橋。
 これまでも砲台跡とか「遺構」としての旧軍施設は結構見てるんだけど、今回の大津島のは、なんとなくそういうのとは全く違った印象だった。
 もしかすると、遺構の背後にある現実というのが、これまでのものと全く違うからかもしれない。
○おまけ

 回天記念館のすぐ下にある休憩所では、テレホンカードが記念品としていまだ現役だったのに驚いた。

 そして船着き場で売っていた回天まんじゅう。
 5個入りで中は白あんだって。
 見本を見るとおいしそうではあるんだが、この方向性の商売っけはどうなんだろう……。

 で、下のほうに貼ってあった推薦シール。
 この絵柄は何? と思ったら、一時期有名になったストレスを感じると頭をかきむしるマレーグマのツヨシらしい。
 そういえば今どうしてるんだろう?

お母さんといっしょ

 まだ1回も行っていないからという理由で母親にせがまれて、軍港めぐりに行ってきた。
 地元なんだから自分で友だちか父親誘って行ってくればいいのに。

 東北大震災の救援活動も一段落ついて、艦艇の数はまあぼちぼちな感じ。

 なんかコロンとしてかわいい船がいた。

 時期的な物かトモダチ作戦後の休養なのか、米軍側では整備中の艦が多かった。

 そしてジョージ。
 放射能が恐くて整備途中でハワイに逃げたと前にニュースになっていたが、いつの間にか戻っていたらしい。

 春の定期異動で呉から横須賀に異動になった『やまぎり』。


 いろいろいる。
掃海艇の『つきしま』と『まきしま』も今まで見なかったけど、やっぱり春の異動で来たのかな?

 そして長浦港内に悠然と停泊する日本最大級のサルベージ船、起重機船『富士』。
 自衛隊所属でもなんでもないのだが、あまりの巨大さにいきなりテンションが上がる。

 この強そうな船名。
 調べてみたら、姉妹船は皆『武蔵』とか『駿河』とか『金剛』とか、護衛艦にもひけを取らない堂々たる名前を持っていた。
 
 そのクレーンの真下をくぐる軍港めぐりの船。左側のがマストの先っちょ。
 ここまでサービスをするとは思わなかった。ごめん軍港めぐり、ちょっと甘く見ていたよ。

 停泊している岸壁より幅が広い『富士』の正面顔。

 そしていつもどおり堀割を通って長浦港に戻る。

『あすか』は内火艇を上げる作業をしていた。
 いやもう、なんといっても『富士』ですよ。ちょっと方向性が間違ってる気もするけど。
 思ったよりいろいろいて、母親も結構満足したようで、「次は友だち連れてくる自信がついた」とか言ってたが、また乗るつもりなのか……。
○おまけ

 なんだか微妙にたそがれてる感のある背中。
 昨日健康診断に行ったら、人間でいえば80歳だと言われたらしい。

 そして鳥はやっぱり怒っていた。

岩国へ行こう

 チケットぴあで見つけたので、面白半分に申し込んでみたら当たってた。
 米軍基地の航空祭って有料席があるんだ。なんか新鮮。
 というかそもそもやるのか? やる気なのか?

 まあ、フリーツアーを利用してた佐世保行きのお金が、災害の影響ということで戻ってきたので(半分寄付しちゃったけど)、それを流用して行こうかなーと思ったのだが、岩国どころかその周辺のホテルが全部、ネットどころか電話でも全然取れない。
 何でも、1年前からすでにこの日は予約でいっぱいらしい。航空祭オタク恐るべし。
 なんだか自分はとんでもない所へ飛び込んでいこうとしてるのではないかという懸念を若干覚えつつ、でもせっかく当たった物は行ってみたい。なんとか方法はないか考えた末、もしかすると岩国の旅行代理店ならば、地元ならではのホテルとのルートを持っているのではと思いつき、電話で頼んでみた。
 すると、JR岩国駅から徒歩3分のホテルがあっさり取れてしまった。
 あとは交通だが、やっぱり新幹線が無難かなあ。
 

『キスカ』もタイトルで太平洋奇跡の作戦と言っている件

『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男』を見てきた。
 観客の老人率が異常に高かった。
 赤ちゃんがかわいかった。
 唐沢寿明がいい味出してた。
 以上。
 ……だけでは何なのでもうちょっと書いてみると。
 公式サイトや宣伝から、47人の部下と100人以上の避難民を率いてタッポーチョ山に立てこもり、神出鬼没のゲリラ戦を展開する大場大尉と、険しい自然に悩まされながらも物量作戦で彼らを掃討しようとする米軍の、知略の限りを尽くした対決を想像していたら、全然違った。
 大場大尉が「フォックス」ぶりを見せたのは、映画冒頭の2回、追跡してきた分隊に対してのみで、後は何というか、お決まりの「戦争は厳しいね、悲しいね、つらいね」という情を前面に押し出した展開に終始。山と捕虜収容所(米兵の監視の眼を盗んで大場隊も出入りし放題)をちょろちょろしてたら、いつの間にか終わっちゃいましたという感じ。
 なんでこの大尉を米軍がそこまで恐れたのか、映画を見る限りでは全く分からない。
 この手の作品はまず何よりも「戦闘」と「作戦」、及びそれに伴う極限状態をきちんと描き続けてこそ、その反対側で織りなされる人間のドラマにも深みがでてくる。なのに、手間がかかるからか、スタッフにそれを撮りきるだけの専門技量がなかったのか、最初の玉砕突撃以外は「戦闘」と「作戦」の描写はは手を抜く一方、簡単に撮れる人間芝居にばかり傾注していく。なので、見る側は感情移入ができないし、彼らの苦しみを実感としてとらえることができない。
 そして、感情移入ができないから、登場人物、特に民間人の行動が悪目立ちする。家族を目の前で殺されたのは自分だけではないという当然の事実を考えもせず、大場に当たり散らしアメリカ兵を憎み、勝手なことをしては隊を危機に陥れる看護婦とか、恐らく天然という設定なのだろうが、全く空気読めずにいらんこと言ったりしたりしてばっかり、何のためにいるんだろう? と疑問なだけの老母を抱えたおばさんとか、収容所で大場の庇護下に自分の子供がいると知り、「なんとしても説得して投降させます」とアメリカ側に言って大場隊を訪れたはずなのに、乱暴に扱われたら逆ギレしてろくに説得もせず帰るおっさんとか……。
 要所要所で場面を締める唐沢寿明の任侠兵士(比喩でなく本当にヤクザ出身の兵隊)がかなりがんばっていたので、かろうじて映画全体の印象は救われているが、一歩間違えれば相当グダグダな映画になっていたと思う。
 題材の選びかたやポスターの絵柄を見ると、この作品、明らかに『硫黄島からの手紙』を意識している。だが比べるとこっちはかなり厳しい。
 もっとも、イーストウッドも、母国のお家事情が絡む『父親たちの星条旗』は結構グダグダだけどね。