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CREGUEAN#8 "Blaze of Glory" Private Reaction9
昨日の夢明日の夢



■まえふり■

 ディオニクス社艦隊との決戦が終わり、人はみなそれぞれの暮らしを始めていた。
 一連の事件はジャーナリストたちの手によって報道され、ディオニクス社とエーリッヒ・ヴィッテンベルクはコルディア社会から厳しい追及を受ける。だが、ザンジバル要塞の攻撃の際、行方をくらましたエーリッヒ・ヴィッテンベルクの消息は分からないままだった。
 そしてもうひとり、突然姿を消した者がいた。連合条約軍中尉であり、ザンジバルの端末であった駆逐艦『ラージ』艦長として事件に巻き込まれたキース・ブライアンである。彼はすべての根源であったエーリッヒを探し出し、復讐すべく、密輸屋に身をやつしていたのだった。
 そして数ヵ月、事件のほとぼりもようやくさめてきた頃……。


「人はいつ、幸せになれるのだろう?」
「なれない、と思います。いつまでも」

──ルーン・シュタイナー
──カナリー・スポルフコフ


 グラスや椅子がひっくり返る音、男たちの罵声に、振り返ったアネリースは深窓の令嬢めいた美貌をしかめてみせた。
「……よくもまあ、毎日毎日ここじゃケンカの種があるものね、エディスン」
「なにしろ世の中の不満と不幸を全部しょってるからな、ここの連中は」
 エディスンと呼ばれた中年の密輸屋が、読んでいたスレートから顔を上げてからかうように言う。アネリースは返事代わりにふんと鼻を鳴らし、脚を組みかえた。
「つまらない冗談言ってる暇があったら契約書の感想聞かせてちょうだい。なにか問題は?」
「いや、OKだ」
 彼女の問いにエディスンは首をふった。さらさらとスレートにサインをしたためるとアネリースに返し、にやりと笑う。
「あのへんは海賊も出るっていうからな。やりくちを知ってるあんたの護衛なら安心だろうよ」
あそこのはただのごろつきよ。ひとからげにしないで」
 スレートを受け取ったアネリースは、サインを一瞥してバッグに戻した。一仕事終わりとばかりに赤銅色の髪をかきあげ、そこで初めて彼の笑いに応じて笑顔を見せる。
「さて、それじゃ契約成立ってことで、乾杯でもしましょうか」
「賛成だ。たまには美人を相手に酒を飲みたいからな」
「それで世辞のつもりなら、もっと女に対する形容詞を勉強しときなさい、エディスン」
「やれやれ。ドラゴンレディはありきたりの形容じゃご不満ってわけか」
 ぼやきながらも、エディスンはご機嫌の風情でテーブルの上にある注文ボタンを押そうとした。が、そこでアネリースの背後に眼をやると、手を止めてわざとらしく舌打ちしてみせる。
「なんだヒッグズ、ずいぶん長かったな。もうちょっといれば酒代がひとり分浮いたのによ……腹でも下してんのか?」
「ち、違いますよ」
 少し前に「トイレ」と言ったきり席をはずしていたヒッグズは、遠慮のない船長の言葉に赤面した。こんな人の前でと言いたげにアネリースを横目で見るが、もちろん彼女は平然としている。
「妙にトイレが混んでやがって……あと、あっちでガンズんとこの若いのがケンカしてたんで、ちょっと見物しちまったんすよ」
「若いの?」
スーキーとかいう奴ですよ。あの暗い顔した」
 アネリースの眉がぴくりと動いた。エディスンのほうは露骨に軽蔑した顔になる。
「あんな奴ちったあのされりゃいいんだ。生気も覇気もねえツラしてるくせに、態度はでかいわしきたりは平気で破るわ、全然人のこと考えやがらねえ。どんなお偉い若造か知らねえけどガンズじじいもなんであんなの雇ってんだか……おいなんだアネリース、どうした?」
「ちょっと……用事を思い出したわ」
 あわただしくバッグを手にしながら、アネリースは立ち上がった。
「悪いけど、乾杯はまた今度にしてもらえる? 私のほうからおごるから」
「ああ、別にかまわねえけどよ……おいアネリース!」
 いやにそそくさと去っていく女船長を、エディスンとヒッグズはぽかんとして見送った。ややあって、ヒッグズがおずおずとエディスンを見やる。
「……トイレでも行きたくなったんすかね?」
「……おまえと違うぞ、あほう」


 ケンカの輪に駆けつけたアネリースが見たものは、キース・ブライアンとふたりの男の大乱闘……というより、ほとんど一方的にキースが殴られている場面だった。彼女は首をのばしてアクセル・ガンズや彼の船の乗組員を探すが、どうやら一緒ではないらしく見当たらない。まあ、彼らがいたらそもそもケンカなどさせないだろう。
「おやめ!」
 それほど大きな声ではないが、アネリースの一喝はその場にいた全員を凍りつかせるのに充分だった。その隙をついて彼女は輪の中に入りこみ、キースとふたりの男を引き離す。と、押しのけられた形のキースがそのままよろめき、床に尻餅をついた。アネリースが驚いたことに、そのまま彼はくたりと大の字になってしまう。
「……キース!?」
 一瞬、アネリースは呆気に取られて彼を見おろした。その鼻を強い酒の臭いがつく。どうやら泥酔しているらしいと彼女が気付いた時、後ろから声をかけられた。
「なんだよてめえ、こいつのコレか?」
 振り向くと、ふたり組のうちのひとりが下品な仕草で小指をつきだしていた。アネリースの頭に血が昇りかけるが、努力して彼女は冷静を装う。売り言葉に買い言葉でこっちまでケンカをおっぱじめては、ミイラ取りもいいところだ。
「……彼はガンズんとこの乗組員よ。手を出してただですむと思ってんの?」
「しかけてきたのはその野郎だぜ」
 もうひとりが言い、血の混じったつばを吐いた。どうやらかなり手ひどく殴られたらしい。良く見ると前歯も1本折れている。
「オレらがうるさいとかなんとか難癖つけてきやがった。酔っ払いがよ」
「…………」
 アネリースは眉をひそめた。
 この歯折れ男が嘘を言っているようには見えなかった。第一、キースの正体やアネリースとの関係を知らない連中が、わざわざ取り繕う必要があるとも思えない。となると、本当にキースが先にしかけたのだろう。
 なにやってんのよこの馬鹿は。
 床に転がっている青年を蹴り飛ばしたい気持ちを、彼女はなんとか我慢する。
「じゃあガンズと私に免じて許してもらえないかしら。私は護衛屋のアネリース・フィレス」
「……へえ、あんたがあのドラゴンレディか」
 元海賊の風変わりな女船長の噂は歯折れ男も聞いていたようで、態度が微妙に変化した。こいつは話が通じそうだと彼女は内心ほっとする。
「ガンズじいさんとあんたに免じてっていうんなら仕方ねえな。でも、オレら怪我させられたんだぜ?」
「分かってるわ」
 後でガンズに請求しよう、と思いながら、アネリースはいくばくかの金をバッグから出そうとした。とその時、それまで黙っていたもうひとり……彼女に小指をつきだしたのほうの男が突然近づき、その腕をつかむ。声を出す間もなく、彼女は小指男に抱きすくめられていた。
「ドラゴンレディか、いいねえ」
 突然のことに眼をぱちくりさせるアネリースに、彼はいやらしい笑みを向けた。
「きっと顔に似合わずスゴいんだろうな。どうだいこのお詫びに一晩看病してくれるっていうのは」
「…………」
「お、おいバカやめろ、怒らせるんじゃ……」
 アネリースの表情がみるみるうちに変わっていく。それを見た歯折れ男があわてて割って入ろうとしたのと、彼女が動いたのが同時だった。次の瞬間、急所を思いきり蹴り上げられた小指男の悲鳴があたりに響き渡る。
「……身のほど知らずが!」
 けがらわしげに吐き捨てたアネリースは、急所を押さえて床にうずくまる男の頭をぐいと踏みつけた。鼻と口を床に押しつけられた小指男は「ぎゅ」と変な声をあげるともがきだす。それに構わず、彼女は相棒を緑色の瞳で正面からにらみつけた。
「この汚物を私の見えないところに持ってきなさい。今すぐ」
「……な……」
 あまりのことに、歯折れ男はただ口を開けたり閉じたりするだけだった。だがアネリースは容赦しない。さらに力を入れて小指男の頭をぐりっと踏む。
「持っていかないと踏み殺すわよ!」
 びく! と歯折れ男は飛び上がった。アネリースが足をどけると、彼はあわてて窒息寸前の小指男を抱き起こし、にげるようにそそくさと去っていく。怒りさめやらぬアネリースはその後ろ姿を射殺しそうな眼で見送っていたが、やがて周囲を囲んでいた見物人をじろりと見渡した。
「散りなさい! 見世物じゃないわ!」
 ある者はそそくさと、ある者は面白そうににやにやしながら去っていく。そうやってあらかたの見物人がいなくなったころ、やおら彼女はくるりと後ろを向いた。キース・ブライアンのそばへかがみこんで胸ぐらをぐいとつかんで起こすと、これまた遠慮なく怒鳴りつける。
「この馬鹿キース! 酔っ払い! 起きなさい!」
 ……だが、完全にのびてしまったキースは、呼べど叩けど蹴飛ばせど一向に起きる気配はなかった。しばらくしてとうとうアネリースはため息をつき、コミュニケータを引っ張り出した。

*     *     *    


 マリアが船室のドアを力一杯ノックすると、中からアネリースが顔を出した。不機嫌極まる少女を見て女船長は苦笑する。
「氷水持ってきましたアネリースさん!」
「ありがとうマリア……もうちょっと小さな声でしゃべってくれる? 彼が起きるから」
「起きたっていいんですあんな奴!」
 鼻息も荒くマリアは断言した。ついでにどん、どんと足を踏み鳴らす。
「酔っ払ってケンカして気絶だなんてみっともない! おまけにアネリースさんに世話かけて、うちまで転がり込んでくるなんてサイテーです! あんなの放り出してきちゃえばよかったんですよアネリースさんっ!」
「仕方ないでしょ、ガンズのとこに連絡つかなかったんだから」
「だったらガンズじーさんの船の前にでも放り出しとけばよかったんですっ! なんでわざわざ連れてくるんですかっ! あたしがあの若造嫌いなの知ってるくせにっ!」
「分かった、今度からそうするから今回だけは我慢してちょうだい。ね?」
 怒りまくるマリアをなだめすかしてアネリースは水のピッチャーを受け取り、ドアを閉めるとやれやれと首をふった。と、ベッドで低いうめき声がする。振り返るといつ眼を覚ましたのか、話題の人のキース・ブライアンが半身を起こして口を押さえていた。
「……気持ちが悪い……」
「ちょっと! ここで吐かないでちょうだい!」
 アネリースはあわててピッチャーを置き、青年のもとへ駆け寄った。支えるようにしてベッドから立たせると船室近くのトイレへ連れていき、放り込んでドアを閉める。待つことしばし……やがて、蒼白な顔をしたキースが、よろめきながら壁にすがるようにして姿を現した。そのまま床に座り込もうとするのをアネリースが腕を取って支える。
「……まったく、しっかりしなさいよキース・ブライアン! 10代の小僧じゃあるまいし!」
「……アネリース……?」
 今更のように、キースはけげんな顔で彼女を見た。次いであたりを見回し、ようやくここがフラミンゴでもガンズの船でもないことに気付く。
「……ここは……どこだ?」
「『レディ・ドラゴン』」
「なんで俺はここにいるんだ……?」
「フラミンゴで酔っ払って大ゲンカして、挙げ句の果てにのびちゃったのよ」
 状況を理解できないでいるキースに、ため息混じりに彼女は説明した。
「ガンズのところは連絡しても誰も出ないし、仕方ないからうちに運んだの……もう重いし酒臭いし、何度ぶん殴って放り出そうと思ったことか」
 刺と侮蔑を隠そうともしないアネリースの言葉に、キースは赤面して唇を噛んだ。それを見た彼女はちょっと言いすぎたかと反省し、語調をやわらげる。
「とりあえず時間も遅いし、ガンズには今日こっちに泊めるって伝言しておいたから、一晩ゆっくり休んでくといいわ。ひどい顔してるわよあなた」
「……いや、もう帰る」
 だが、キースの返事は彼女がむっとするほどそっけなかった。そのまま彼はアネリースから腕をふりほどき、ふらつく足を踏みしめ歩き出そうとする。が、彼女にその背を軽く押されるととたんによろめき、そのまま足をもつれさせて崩れるように倒れこんだ。
「……なにするんだ!」
「どうやって帰るつもりよ、そのていたらくで」
 ようやく身を起こして抗議する彼を、アネリースは冷たく見おろした。
「一体なんなのその言い草。感謝しろとは言わないけど、もうちょっと言いようってのがあるんじゃないの。酔っ払いの面倒見たことがないのあなた
「別に俺が面倒見てくれって頼んだわけじゃない」
「ああそう、私が勝手にやったことだって言いたいわけね」
 アネリースはかがみこみ、正面からキースを見た。緑色の瞳が剣呑な光を放っている。
「いつからそんなに偉くなったの? キース・ブライアン元中尉」
 そろそろ我慢も限界だった。大体、彼がいなければ、いらぬケンカに手を出して侮辱されることも、こんな時間まで急性アル中患者の世話にあたふたすることもなかったのである。それを「頼んだわけじゃない」とは、人を馬鹿にするにも程があるではないか。
「…………」
 アネリースの見幕に、キースはなにも言わず眼をそらした。その仕草にまた彼女は神経を逆撫でされる。
「聞いたわよ、フラミンゴでのケンカ。酔っ払いのあなたがあのふたり組に難癖つけたのが原因だって? まったく、あなたがそんなことする人だったとはね。向こうが悪いんだと思って止めに入って恥ずかしかったわ。その前には散々な噂聞かされるし……船乗りの間でのあなたの態度、なんて言われてるか知ってるの?」
 これにもキースは返事をしなかった。その様子では多分知ってるんだろうと彼女は思った。
「ガンズの話じゃ、エーリッヒを探してどうにかするとかほざいてたらしいけど、結局なにがやりたいのよあなた? 自堕落な生活して自分の評判を落とすような真似しかできないんなら、悪いことは言わない、こんなところでぐずぐず遊んでないで故郷に帰ってやりなおしなさい。若いしまだ間に合うでしょ、あなたなら」
 彼女が口をつぐむと、沈黙が漂った。キースは歯を食いしばり、ただ床を見つめている。
 と、その唇が動いた。
「え? なに?」
「君になにが分かるっていうんだ!」
 不意に彼は顔を上げ、絞り出すように言った。
「君はいつだってそうだ。強くて自信たっぷりで、堂々と俺に説教する。きっと君は挫折したことも、人生でなにかを失ったこともないんだろうさ! そんな奴に何が分かるんだ。何もかも失った俺の気持ちが! 奪った奴に復讐することすらできなかった俺の気持ちが!」
「……いい加減にしなさいよこのガキ!」
 鋭いアネリースの声と共にキースの頬が鳴った。突然のことに、彼は怒るより驚いて自分に手をあげた女船長を見やる。
「私がなにも失ったことがないですって? あんたが何もかも失ったですって? 甘ったれるんじゃないわ!」
 アネリースは決めつけた。
「あんたはただのワガママな、駄々をこねるガキよ! あんたには人のことなんか見えちゃいない。いっつも自分のことしか考えてないじゃないの! 最初っからそう、今だってそう!」
「……なんだって?」
「その生意気な口を閉じなさい! いい? なにもかも失ったっていうけど、持ってたものを自分から捨てたのはあんた自身じゃないの。市民権、ガーディアン、受けて当然の社会保障、高い教育に開けた自由な未来! 私たちがいくら望んでも手に入れられないものだわ。それを捨ててきたのはあんたよ。誰のせいでもない、エーリッヒに復讐するために全部捨ててここに来たのはあんたの選択でしょ。なにが『なにもかも失った』よ! はっ、笑わせないでよ!」
「俺は奴に復讐する権利があったんだ!」
「権利、ね」
 キースも負けずに怒鳴り返す。それを彼女はあざけるように繰り返した。
「だったら殺せばいいじゃないの。なにもたもたしてんのよ。さっさと探し出して殺して、故郷に返り咲きしなさい。そうすれば失ったと思ってたのが全部幻想だって分かるから。幻想のお涙頂戴につきあわされて迷惑をこうむるのはまっぴらごめんよ!」
「殺せなかったんだ……!」
「……?!」
 さらに辛辣なことを言おうとしていたアネリースは、悲痛な言葉に虚をつかれて口を閉じた。彼の頬が涙で濡れているのを見ると、今度は絶句する。
「……キース?」
「親父は奴に殺されたんだ。それなのに俺は奴を殺せなかった。すぐ眼の前に座っていたのに……記憶喪失だって? すました顔しやがって、ふざけるな馬鹿野郎! 俺はなんのために……!」
「……エーリッヒに会ったの? キース」
 急に変わった風向きに幾分困惑しながらも、確認するように彼女は問いかけた。泣きながらキースはうなずく。
「じゃあ、記憶喪失っていうのは……?」
「奴は全部忘れてたんだ……自分のことも、俺たちにしたことも……今じゃ奴は、ただの身元不明の……」
「……なんてこと」
 まるで子供のように悔し涙を流すキースを見ながら、アネリースは小さくつぶやいた。そして唇を噛む。
 なぜこの青年が荒れていたのか、ようやく彼女には合点がいった。
 恐らく彼は、目的を見失ってしまったのだろう。エーリッヒ憎しの一念ですべてを捨てて追いかけ、ようやく見つけだしたと思ったら、肝心の相手は憎しみをぶつけるところができない場所へ行ってしまっていた。
 吐き出すことのできない憎しみは、それを抱く者自身を蝕む。エーリッヒを殺せなかったキースは、復讐すらできない自分に絶望したに違いない。そして絶望したとき、彼には失ったものしか見えなくなってしまったのだ。
 普段ならば、それは彼の甘さで片付けられてしまうだろう。甘さと社会経験の不足だと。だが、この時のアネリースにはそうは見えなかった。
 多分、彼は自分を罰しているのである。
 父親を殺したエーリッヒ、それを殺せなかった自分……最愛の者を奪われたのにしかえしができないという事実は、キースにとっては許せないまでの自身の弱さと映ったに違いない。普通の人はそれは弱さではなく健全な精神性の発露だと思うが、あいにく彼は性格上そうは考えられなかったのだ。
 だから、失ったもの以外から眼を閉ざすことで……そんな風にして今まで得たものを、これから得るであろうものをすべて否定することで、キースは無意識に“自身の弱さ”を罰しているのである。それが父親や、彼に関わった人々に対するつぐないであるかのように。
 本当に彼は思い込んだら一直線で……純粋なのだ。
「キース」
 呼びかけた後で、アネリースは考えこんだ。下手な言葉は口にできない。知らなかったとはいえすでに彼を泣かすほどのことを言ってしまっているのだ。全く、男の子を泣かすなんて何年ぶりだろう。
「キース、あなたのお父さんが死んだのは……あなたがこんな風になったのは私のせいよ」
 キースは息を飲んで顔を上げた。その眼を見つめ、アネリースは薄く笑ってみせる。
「忘れたの? 前にあなたに通信を送って、JJファミリーやブランカとの抗争に殴り込みをさせたじゃない。私があれをしなければあなたは私たちと関わることもなく、反逆者扱いされることもなくて済んだはずよ」
「…………」
「それに、『ラージ』が暴走したとき、オリーク・ウォレイの船を使ってブライアン大佐に連絡しようとしてたじゃない。『ラージ』から離れた後、『レディ・ドラゴン』から私がやったの。大佐は私の言葉を信じて……結果は、あなたも知っているとおりよ。どう?」
「……そんな……考えたこともなかった……」
「じゃあ今考えてちょうだい」
 青い顔で……それが急性アル中のせいかショックのせいかは分からなかったが……つぶやくキースに、彼女はたたみかける。
「私が呼ばなければ、あなたはやってこなかった。大佐もやってこなかった。あなたを反逆者の運命に叩き込んだのも、お父さんを死なせたのもこのアネリース・フィレスよ……キース、憎むんなら私を憎みなさい。私はここにいるわ。逃げも隠れもしないし、行方不明にも記憶喪失になったりはしない」
 キースは無言のまま呆然としていた。無理もない。これまで犯人だと思っていた人物が実はそうではなく、それまで仲間のような顔をしていた人物が真犯人は自分だと告白したようなものなのだから。
 彼は私を憎むだろうか。とアネリースは考えた。この状態から立ち直った時、キースはエーリッヒ・ヴィッテンベルクに向けていた憎しみと怒りを、同じくらいの激しさで今度は私に向けるのだろうか。
 だが、そのほうがいいはずだ。少なくとも、行き場のない憎しみと悲しみに蝕まれ続けるよりは。昨日の夢も明日の夢も、すべてを失ったと思い込んで生き続けるよりは。
 夢見る権利を放棄してしまうよりは。
 アネリースは彼から眼をそらし、静かに立ち上がった。近くの船内コミュニケータに歩み寄るとアレックスを呼ぶ。やってきたアレックスはなにやら異様な雰囲気に驚いたようだが、なにも言わずに彼女の頼みに応じてキースを助け起こすと船室へ運んだ。
「……明日は私はいないから、好きに帰っちゃっていいわ、キース」
 黙ったままベッドに横になったキースに、アネリースは言った。
「気分が悪くなったら、そこのテーブルに薬があるから。それじゃあ……おやすみなさい」
 返事はなかった。アネリースは意識して表情を消し、きびすを返すとドアから出ようとする。
「アネリース」
 と、低く呼ぶ声が聞こえ、彼女は振り返った。キースがごそごそと身を起こして彼女を見る。
 その眼の中には憎しみも敵意も見えなかった。ただ、無言の問いかけだけが浮かんでいる。だが、その問いかけにアネリースはなんと答えていいのか分からなかった。答えれば、さっき言った言葉のすべてから実がなくなってしまう。
 結局、彼女はもういちど「おやすみ」とだけつぶやくと、船室を後にした。


「……なにかあったのか? アーニャ」
 廊下に出た途端、アレックスが心配そうに口を開いた。アネリースは笑おうとして失敗し、そのまま従兄にしがみつく。
「……アレックス」
「うん?」
「人の心を救うのって……存外つらいものね、アレックス」
「……そうだな」
 アレックスは穏やかに応じ、ドラゴンレディと称される従妹の……妹の背を軽く叩いた。

*      *     *


「ふーん、じゃあまだフォンシルは物騒なわけ?」
<ああ、なんかまだクーデターの影響が残ってるようでな。サファリーナの船がいきなり攻撃されたそうじゃぞ>
「サファリーナねえ。相変わらず情報源はみんな女なのね、ガンズ」
<当然じゃろう。女のほうが観察力が鋭いし、なんといっても話してて楽しいからな>
 からかうようなアネリースの言葉に、ディスプレイの中からガンズはすまして応じた。アネリースは苦笑し、赤銅色の髪を指先でもてあそぶ
「……そういえば、酔っ払いキースはその後どう?」
<ああ、その節は迷惑かけてすまんかった。酔いつぶれて女に迷惑かけるような奴は最低じゃときつーく言っといたからな>
「言うだけじゃなくてちゃんと監督しておいてちょうだい。フラミンゴではもう本当に散々だったわよ」
 ……次の日、アネリースが帰ってきた時には、すでにキース・ブライアンはいなかった。
 アレックスの話では、多少二日酔い気味だったものの言葉や態度はしっかりしていて、特に変わったところはなかったらしい。彼のいた船室へ行ってみると、ベッドは感心するほどきれいに整えられており、その上には1枚のメモが置いてあった。
<……そういえばキースの奴、お前さんのところから帰ってきてからなんだか少し変わったぞ。なにかしてやったのか? アネリース>
「別に」
 ガンズの問いに、ごく短くアネリースは答えた。彼女が生まれる前から宇宙を駆け回ってきた老船長は、その答えを聞いて皺のよった顔に笑みをこぼれさせる。
<そうか。ま、奴が元気になるのはいいことじゃ。わしと違ってまだまだ先は長いからな>
「そうね」
 アネリースもかすかに微笑み、メモに書かれていた言葉を思い出した。
「それじゃそろそろ出港の時間だから。また機会があったら会いましょう」
<航海の無事を祈っとるぞ、アネリース>
「ガンズも」
 通信は切れた。アネリースは髪をかきあげ、改めて船長席に座りなおす。
「さて、それじゃあ仕事開始といきましょうか、アレックス、マリア」
「了解」
「OKですー」
 彼女の言葉にふたりの声が重なった。アネリースはうなずき、管制室への通信を開く。
「管制室、こちら『レディ・ドラゴン』……準備完了、出港管制をはじめてください」


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 ……女船長アネリースと、『レディ・ドラゴン』の話はひとまずここで終わる。
 この後、『レディ・ドラゴン』がどんな道を歩んだか、果たして、キース・ブライアン元中尉とアネリースさんの関係がどうなったのか、それについてはあえてここでは語らないことにしようと思う。もちろん、あたしはどちらの結末も知っているが、世の中、あいまいにしておくほうが面白いということもあるものだから。

 ちなみに、クルーたちは今でも全員健在である。
 ただし、『レディ・ドラゴン』は6年前に廃船になった。ジャンプドライブに修理不可能なトラブルが起こり、スクラップにする以外なくなったのだ。後にも先にも、アネリースさんがあんなに寂しそうな顔をしたのはあれいちどきりだった。
 その後、新しい船を買ったのだが、性能も居住性も『レディ・ドラゴン』よりずっと上なのに、居心地が良くないと彼女は時々こぼしている。でも、なんとなくその気持ちもわからないでもない。あたしも正直言うと、あの船のほうが良かったなあと思うことがあるのだから。
 アレックスは人工の視力を手に入れた。彼が父親になった時にアネリースさんが「子供の顔も見てやらないつもりなの?」と一喝、半ば強引に手術を受けさせたのである。ずいぶんと費用がかかり、また手配に苦心もしたはずなのだが、それについては彼女はおくびにも出さなかった。もっとも、アレックスはちゃんと分かっていたし、アネリースさんもアレックスが分かっているというのを気付いているようだったけど。
 ……そしてもちろん、あたしだって現在ただいまも航宙士として彼女たちと一緒に働いている。いろいろ大変なことも多いが、降りようなどとは考えたこともない。
 なにしろ、ここにはあたしの愛する家と家族があるのだから。

マリア・ユン・フィレス


用語解説

  • スレート……ICの携帯端末。ボード状で、情報を表示させたりペン入力ができたりする。機能的に現代でいちばん近いのはザウルスかな?

  • あそこのはただのごろつき〜……リアクションでは社会からはじきだされた食いつめ者集団のような扱いだった海賊だが、わたしはどちらかといえば独自の文化と気風を持った少数民族的なイメージで描いている(シナリオ1のバイシールとかネトヘスに近い)。理由は簡単で、素人の食いつめ者にできるほど、航宙船やその整備システムの維持運営というのは簡単でもお手軽でもないからである。
     言ってみれば、羽田や成田空港を航空機ごと持っているようなものだからね。

  • スーキー……キース・ブライアンの変名(笑)。ガンズじーさんがリアクション中で呼んでいたのだが、このセンスは彼のプレイヤーさんではなくマスターのものである。

  • 下品な仕草で小指を〜……果たして5000年後にもこのゼスチュアは健在なんだろうか……?

  • コミュニケータ……早い話が携帯電話。

  • あたしがあの若造嫌いなの〜……実は「お子様は趣味じゃないから」と昔マリアをふった男の子にキースが似ているからというのが真相だったりする。

  • 酔っ払いの面倒〜……人生において二度とやりたくないもののひとつ。

  • 散々な噂……この話でのキースは完全にわたしの想像である。が、リアクションでの言動をもとにシミュレート(ってほどのもんでもないけど)したものなので、そうそう的外れではない……はず。

  • 強くて自信たっぷりで〜……第9回リアクションで似たようなことをキースは思っていたので、決して過剰な誉め言葉ではない(笑)。

  • ガーディアン……連合条約宙域での、その人の社会における権利と義務を定めた一種の階級制度……といっても、大部分は自分で決めて申請できる。ガーディアンの高い人ほど高い権利(高い公的地位につけるとか、高度な社会保障が受けられるとか)と社会に対する厳しい義務(政府に監督されるとか、非常の際には財産を政府に提供しなくてはならないとか)がある。連合条約軍人で将校のキースも当然これを持っているはず。
     詳細はテーブルトーク版のワールドガイドに載っている。

  • 記憶喪失……キースが見つけたとき、エーリッヒは脱出の際の頭部の怪我がもとで一切の記憶を失っていた。キースはいちどはそんな彼に銃を向けるのだが、結局殺せないまま戻ってきてしまっている。
     ここまでマスターに大事にされるエーリッヒはうらやましいくらい幸せ者だ。キースこそいい面の皮である。

  • フォンシル……コルディアの政治的中心地、カルバート星区にある恒星系。Cブランチ。軍事叛乱とかが起こったりしていたらしい。

  • 赤銅色の髪を指先で〜……実はこれ、アネリースのものを考えるときの癖だったりする。
     ちなみにアレックスは指先でミラーシェードを押し上げる、マリアは語尾にすぐ「!」マークをつけるのが癖。

  • ベッドは感心するほど〜……ベッドをしわひとつなく整えるというのは、靴をぴかぴかに磨き上げるのと並んで軍人さんのたしなみらしい。
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